R15を正しいと感じる自分と、それでは駄目だと云う自分がいる「メイドインアビス -深き魂の黎明-」小島正幸(監督)/キネマシトラス(制作)/感想

今ラーメン屋でこれを書いている。例のウイルスで少ないかと思ったら路駐してまでお客が来ていた。もうかれこれ30年以上通うラーメン屋である。店構えもボロボロだし店主も老けた。それでもこれだけ客が来ると云うのだから大したものだ。


朝一は映画館へ行った。勿論記事タイトル通りメイドインアビスを観る為である。運悪く北海道知事による緊急事態宣言のタイミングにぶつかってしまい、行くに行けない日々が続いて非常に焦ったかった。この様子では映画館も閑古鳥だろうと思っていたが、実際行くと確かに客が少ない。居ないわけではないが半減は確実である。メイドインアビスなどスクリーン1の4DXでありながら四人という体たらく。お陰で観終わった後の憤りも一入だった。もっと大勢に観てもらいたい!そんな気持ちでいっぱいになっていた。



深さ不明の縦穴(アビス)が見つかり、其処から見たこともない遺物が発見されたことで、穴の周囲には自然と街が出来上がったという世界観の本作。なんと言っても降りるのは良いが昇る時に上昇負荷が掛かって呪いをその身に受けると云う設定の有無が大きい。それがあることでただの楽しくて危険な地底探検に留まらず、人間の純然たる好奇心の先にある狂気をありありと描くことに繋がっているのだ。

今回の劇場版でも、それは遺憾無く発揮されていて、アビスで独自の進化を遂げた動物と同じように化け物として君臨する人間が主人公達の前に立ち塞がる。メイドインアビスのもふもふ担当ナナチを酷い目に合わせた張本人でもある人間なのだが、これが本当に恐ろしい。単なる悪なら倒す側も気分爽快なのだが、悪は悪でも自覚の無い悪なうえ、奴(ボンドルド)の語る愛も確かに愛であることに違いないから恐ろしいのだ。レグの言葉を借りれば全くもって度し難い男である。

良くも悪くも深淵に魅せられた者の憧れの行方が我々の嫌悪と涙腺をこれでもかと刺激したことは確かだった。グロテスクでセクシャルで、様々なコンプレックスの”ごった煮”であるのに、これほど胸が締め付けられるのは何故なのか?此処まで子供達の命運を弄んで良いのだろうか?倫理観と云う物が自分にもあったことに気付かされる。ボロボロになっていくレグ、プルシュカの想いに共鳴するリコ、過去の過ちに打ち拉がれるナナチ、彼女らが愛おしくて仕方なかった。重ね重ねボンドルドの正しく間違っている生き様故と言わざるを得ない......

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劇場で手渡されたスタッフ本。メインスタッフによるイラストの数々でまた泣いた....



そもそもファンタジーと云うものは古来より自分が考える正しさを行使していれば、自ずと良い結果が付いて来る、わけではないことを残酷に教えてくれる存在だ。そういう意味においてメイドインアビスは紛れもない”それ”である。おかしな性癖に目覚める可能性もあるが、個人的には10歳より下の子供達にこれを見せたい。これだけの物を見て、それでも自分は、と覚悟が出来れば社会と言う深淵でも逞しく生きられるはずだから。

世の中はあまりにも嘘ばかり。夢見れば叶う。努力すれば成れる。そんなまやかしで武装して子供に接し続けて来たから日本はおかしくなってしまったとさえ思う。amazarashiの言葉に突き動かされる若者が多いのも、そんな世界に嫌気が差しているからだろう。ファンタジーは子供を試す物が多いが、それと同時に大人も試されていることを忘れてはならない。臭い物に蓋をするだけなら誰にでも出来るのだ。




新型のウイルスに感染しようがしまいが人間はいつか死ぬ。今回のは逃げずに立ち向かって乗り越えるべき試練と考え、当たり前の予防以上のことはやめてはどうだろう?過剰な自粛を続けることに、なんの意味があるというのか。

メイドインアビスは地方以外は1月から上映されていたから傷は浅いかもしれないが、その他の作品やイベントへの影響がどれだけの規模になるか予測も出来ない。マスクだらけでも良いから、”中止”の2文字だけはやめてもらいたいものだ......









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PS2が二十歳になったと聞いて

連日コロナコロナと、TVでもTwitterでもいい加減ウンザリさせられているけれど、今朝はPS2が20周年と云うニュースを見掛けて気が紛れた。


奇しくも今日は、令和になったお陰で2、3、4が並ぶ日である。初代は12月3日、3は11月11日、4は2月22日、そしてプレステ2は3月4日と、いちいち数字の並びに絡めて発売日を設定するソニーに相応しい偶然だ。


PS2は発売日に買った。と云うか買ってもらった。語弊が無いように説明すると、親に買って貰ったわけではない。当時既に社会人であった僕は、発売日である3月4日の土曜日も当然仕事で休めず、でもどうしてもPS2を諦めきれずに、友人に頼み込んで彼の父親と一緒に某有名おもちゃ店に並んで貰い確保してもらったのである。発売前から本当に注目されていたこともあり、予約していようがいまいが手にするのは一苦労だったのだ(俺なんもしてないけど.....まじ友人の父有り難う.....💕)


PSの頃から任天堂のハードから離れ出していたから、ドリキャスと同じ、いや、現役として使った年月は遥かにPS2は長かった。PS定番の「リッジレーサーⅤ」は当然やったし、フロムの「エヴァーグレイス」は世界観もキャラも大好きでハードカバーの小説も買った。建設用重機で戦う異色過ぎる「ぶちギレ金剛!!」も友達とゲラゲラ笑いながら対戦したし、中学生からやっていたウイニングポストシリーズもアホみたいに遊び倒した。ナムコが作っていなければ「MotoGP」のレースゲームもこれほどメジャーにならなかったことだろう。




初期だけでも沢山の思い出があるPS2。初期ロット後PS2の互換を切ったソニーへの怒りが売り上げに繋がったPS3の姿を思い出すだけでも、PS2の偉大さが良く分かる。基本コアなハード(セガやMSのね...)を推したくなる性分ではあるものの、デザインの面でもシンプルに格好良く、歴代の据え置き機と比べても思い出深いゲーム機として心に残っている。ついでに云えば安価なDVDプレーヤーとしても優秀で、ただ観るだけで良いならこれ以上ないコスパだった。今でこそDVDを再生出来るだけで4万円なんて払えるかよと思うかもしれないが、パイオニア製のDVDプレーヤーが2000年モデルの安い型でPS2と同じ価格であったことを思えば、ついでにゲームが出来るのか、ついでにDVDが見れるのか分からないほど安かったと言える。



PS3で一旦トーンダウンしたPSだが、MSの失策でXboxが暴落したため、日本だけでなく世界的にPS4は売れることになった。


そして今年は最早PS5の年になるという。これが早過ぎると感じるのは、自分が老いただけなのだろうか?.....


なんにせよPS2は本当に良いハードでした。ソニータイマー込みでね

posted by lain at 20:51北海道 ☔ゲーム

この人が居る限り俺たちのガンダムは終わらない「Gのレコンギスタ II ベルリ 撃進」富野由悠季(総監督)/感想

正直云って、TV版を観た時ベルリの事がよく分からなかった。

アイーダさんにとって大事な人(カーヒル)だった男を殺してしまったり、自分の恩師を実力で上回り殺めてしまったりして、泣いたり落ち込んだりするわりに立ち直り方が驚異的で”こいつ本当はサイコパスなんじゃ?”とか思ったりしたものだった。

しかしこうして映画になった物を改めて眺めていると、カーヒルの一件がアイーダの中で変化しベルリとの仲が深まっていく流れがちゃんと描かれているし、恩師を殺めたことを責め立てるケルベス・ヨーを登場させベルリが覚悟を手にして行くまでを実はちゃんと埋めていたのだなと思い知らさせた。





Gレコが判り難いと言われる理由は、「こいつ誰だっけ?」と思うほどにモブにまでしっかり演技を求める群像劇になっているからではないかと思う。それでなくとも複数の組織がそれぞれ好き勝手やってるなか、更に細かい所で好きにキャラクターが動くのである、そりゃあ誰がなんの目的でここまで執念燃やしてるのか把握し難いと感じる人がいても不思議ではない。そもそもその混沌とした人間模様が好きであるとか、キャラクターやメカ、はたまた富野さんの細かな演出部分に絞って観ているという人ならば、そんなことお構い無しにTV版を楽しめていたに違いないが、自分も含め現代人の多くは最近の焦点を絞った主観的なアニメに慣れ過ぎているため、こうした作りに対する準備が出来ていなかったりする。特にGレコは26話に収まるような物量では無かったため、早いテンポに尚のこと追いついて行けなかったかもしれない。





だがようやくその距離が埋まる時が来た。自分が変わったのかGレコが生まれ変わったのか、熱心に分析しているわけではないからなんとも云えないが、TV版を観ていた時には素通りしていた部分に気付ける余裕が生まれるほどに群像劇が分かり易くなっているのは確かである。全5部作3ヶ月ペースで今のところ進んでいるため、前回の内容を忘れないうちに次がもう来たという感じなのも良い。「俺には無理だー!」と云っていた人も、懲りずにもう一度観てみて欲しい。一度でも富野作品にハマった経験のある人ならば、必ず何処か惹かれる物があるはず。過去の富野ガンダムを呼び起こさせるアイテムにもニヤリとさせられるだろう。


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改めてちゃんと見ると本当に拘りを感じる描写が多くて困る






物作りの世界だけじゃなく、生きるからには”たられば”はご法度で、言っても詮無いことなのだが、もしも富野さんに宮崎駿のような絵の細かな部分を自分で修正することが出来たなら、イメージと仕上がりが直結するガンダムになったのではないか?という気持ちだけは拭い去ることが出来ない。コンテの段階で細やかな演技付けがなされているのは知っているが、それを実際に動かす作業は宮崎ほどには出来ないわけで、そこがジレンマの正体のような気がしてならない(自分で全てやる人間ですらイメージを形にするのに苦しむのに此処までやれたら十分凄いのと、”吉田健一”さん達の仕事が云々という話ではないことだけは云っておきたい)

まあそうは云っても、宮崎駿でも高畑勲でも無い劣等感こそ富野由悠季監督を支えているのも事実で、生まれ変わって欠点が無くなった富野さんなど富野さんとは云えないことだろう。ガンダムだって生まれなかったはずだ。人生なかなか上手くいかないものである。いずれにせよ、もう御大には何度もやり直せるだけの時間がそれほど残っていない。アニメの業界が宮崎駿と新海誠のようなテイストの物ばかりでなく、富野さんのセンスに続く人が出て来て欲しいところだ。



兎にも角にも残り3作、無事に仕上がることを祈るばかりであります。

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posted by lain at 07:14北海道 ☔アニメ