冬アニメ見れてませんオジさんのアニメの話

以前にも書いたような気がするけれど、僕は成人式に参加したことがない。今以上に仕事の休みが少なく時間的な拘束も多かった為、せっかくの休日である成人の日に普段着ない背広や和服など身に着ける気になれなかったのだ。

あの時、何をして過ごしていただろう?昼頃まで寝ていたような気もする。今日なども朝から、いつ録画したか思い出せない番組をだらだらと眺めていたが、相変わらず何の日でもブレない怠惰っぷりである。



見ていたのは佐藤健くんがアニメ制作の現場を巡る某局の番組で、何故日本のアニメは低コストでありながら凄いのか?という切り口で良い話と悪い話をバランス良く取り上げているのが印象的だった。3DCGが主流になりつつある世界アニメの中で、未だに手描きが主流の日本。個人的には手描きにしかない魅力を放棄したら日本のアニメは終わりだと思うのだが、このままアニメーターの遣り甲斐に甘えるような事を続けていてはイケナイのも確かであるし、何処かに上手い打開策が無いのだろうか?自分の勤める業界などもそうだが、アニメに関しても実務をやる会社より、それらを管理運営する会社の取り分が多過ぎるように感じる。何分、何枚幾らだけでなく、作品に関する商品の売り上げ次第で更なるボーナスを支給するくらいのことがあっても良いのではないか?そうすれば必ずモチベーションに繋がり、作品だって良い物ばかり残って行くはずである。

四季ごとに何十本と作られるTVアニメ。その中で何本記憶に残る作品があるだろう。正直1年後も覚えている作品など殆どないと言わざるを得ない。去年の暮れから年明けまで放送していた作品を例に挙げるなら、世界観もキャラも中途半端だった「トクナナ」や、ニッチなビームライフル競技を取り上げたまでは良いがワンテンポで良くも悪くも平凡な「ライフル・イズ・ビューティフル」などは、見てる間はそこそこ楽しかったはずなのに、あっという間に記憶から消えることだろう。

人も金もある作品だって現場が噛み合わなければ失敗(◯ェアリー・ゴーン)するし、低予算でも演出がしっかりしていれば成功(◯好きの下克上)する場合もあるから、作り手の根性に期待したくなる連中の心の弱さも分からないでもないが、やるからには作り手も受け手も満足の行く作品であって欲しいと思うのが皆の総意のはずだ。「旗揚!けものみち」や「BEASTARS」のような作品は、手法や技術の差はあっても、見ているだけで作り手の生き生きとした様子が目に浮かぶ。慎重勇者や入間くんもそうだが、秋アニメは作り手が楽しく悪ふざけを出来る作品が目立った。次のクールが放送出来るかどうか分からないという「星合の空」に関しては残念な限りだが、1クールで終わらない作品も多く、一つの作品を大事に消化しようという流れに変わって来ている兆候なら良いなと思った。





まだ冬アニメは見ていない。なかなかに充実したラインナップのようで楽しみではある。

だが、時代劇や演歌と同じように日本のアニメ業界が生まれ変わっていかないのであれば、心から楽しむことなど出来はしないだろう。

本当の意味で日本を代表する文化はアニメだと言えるようになったら幸いである......

デス・ストランディングをクリアして残った物とはなんだったのか?........

令和2年のお勤めを始めたばかりの昨日、早速派手に”生きる”のを辞めた人の話題で持ちきりだったから溜息が出た。理由など分からないし、分かる必要も無いと思うが、本人にとってはそれが唯一の道であったかもしれないし、そうでは無かったかもしれないとも思った。何にせよ、自分の命がどうでも良くなったなら、もっと有効活用して派手に散るくらいの方が、より長い死ぬまでの時間を楽しめるのでは無いか?と考えてしまうくらいには虚しいニュースだった。


年明け初っ端に書くのが死についての話題になるのは不本意でしかないが、2020年最初にクリアしたのがデス・ストランディングだったというのも悪いタイミングだったかもしれない。大きな厄災により荒廃し分断されたアメリカを、一人の配達人が繋ぎ合わせ救って行くというのがデスストの大まかな流れになるが、死んだ人間を48時間放置すれば街一つが消し飛ぶほどの現象が起きてしまうし、街と街を分断する座礁地帯と呼ばれる場所では臍帯を付けた亡霊のような存在が”あの世”へ引き摺り込もうとしてくる。最後にはアメリカどころか人類絶滅に繋がって往くため、このゲームをかつて猛威を振るったノストラダムスの大予言的に受け取る青少年などが居ても不思議では無いだろう。

否が応でも現代に溢れる問題ついて考えさせられた。肌で感じる環境の激変、国家主導ともとれる個人主義の台頭、腐敗臭を放つようになるまで誰にも気づいて貰えない死の増加、そして独りで死ぬのは嫌だと言わんばかりの者達の捨て身の選択等々....正直気分良く遊べるだけのものでは無かったと言える。しかも安全な場所に引き篭もってばかりの連中にひたすら「頼む」と物を運ばされ、生者と死者に邪魔されつつ山や川を積荷の重みに耐えながら踏破しなければならない日々は本当に大変なものだった。プレイした多くの人が現実の配達人に対する態度を改めるようになったのも頷ける。この段階で何が面白いのか分からなくなった人も多いことだろう



あともう一つ難があると言えば、大人が子供に対する気持ちを一方的に表している側面があることかもしれない。ことあるごとに「繋ぐ」ことの大事さを説き、絆の大事さを強調する展開に辟易する現代人も少なく無いはず。ただ、そういった部分に違和感を感じながらもプレイした自分に関しては、この世とあの世を結ぶ存在として登場するBBという赤ちゃんとの旅で、誰かと繋がりを持つことも悪く無いなと素直に泣けてしまった。生まれる場所は選べないと、心底うんざりしている人にこそ、デスストは相応しいゲームなのかもしれない。

独立後1発目にこれを選んだ小島秀夫という男はやはり面白い。ただしゲーム体験としては彼の代表作メタルギアシリーズより劣ることだろう。MGSⅤでも感じたことだが、小島氏のオープンワールドは単調になりがち。どうも小島氏は限られた空間を無限に味わい尽くさせる手腕はあっても、広大な大地を無限に楽しませる手腕はイマイチに思えてならない。ついでに言うとここはムービーではなくサブキャラを動かせる仕様の方が思い入れが湧いたなという場面も少なくなった。それでなくとも語りが長くなりがちなのだから、”おつかい”の多様性だけでも、もう少し欲しかったものである。


とかなんとか言ってみたが、普通に良かった。未完の大器といった仕上がりのせいで贅沢を言いたくなるだけなのだ。圧倒的にMGSⅤより箱庭の質は向上しており、壮大な自然描写も美しく、ここぞというシーンの見せ方も流石で、海外ドラマ好きも納得の伏線やミスリードも効いており大物役者達の無駄遣いと言われないだけの力は間違いなくあった。リアルなキャラ描写とシリアスな展開だけでなく、監督の性癖とも言える悪ふざけやB級映画要素もあり心底欲張りな男が作った物だと感じたし、そんな男が作る物を大好きな自分も大層物好きだなと痛感させられた。


最初の話題に戻るが、自分は決して死にたい人に”生きろ”とは言いたくは無い。でも”生きてみたら?”とは言いたいかもしれない。デスストをプレイして、更にそんな気持ちが強くなった。生きてみたからこそ、こんな途方もない陶酔に付き合うことが出来たのだから。

生きる理由が見つからないなら、きっとそれは”探す”という選択が間違っているのだろう。そもそも生きる理由を探さなければならないのは何故なのか?我々は自分の都合で生まれたわけでもないのだから、最初から生きる理由など存在しないのだ。無駄なことを考えず、肩の力を抜いてみて、それでもやっぱり死にたいのならば死ぬしかないのだろう。それも生きるための行動で間違いはない。



どんな生き様でも良いが、死ぬ為の死ではなく、生きる為の死であって欲しいものだなと新年早々思った....







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posted by lain at 07:07北海道 ☔ゲーム

年の瀬に思い耽るは未熟ゆえに出逢った「フォーチュン・クエスト」の日々

その昔僕は、文字ばかりの本が好きでは無かった。堅苦しく並ぶ文字を眺めていると窮屈で、しかも漢字が不得意だったから(今も書くのは苦手)物語に没入出来ず、スタートラインにも立っていない状況だった。

それが変わって来たのは小学校も高学年になってからだろうか?ありがちに挿絵が多めの伝記物を好きになり、学園探偵物のような定番にも手を出して徐々に活字への苦手なイメージは和らいでいった。そして図書室で借りるような本ではなく、初めて自分で買った小説が「フォーチュン・クエスト」だった。

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まだラノベという呼び方が世の中に定着していなかった時代、僕にとってのラノベとはスニーカー文庫と富士見ファンタジア文庫のことで、ロードス島戦記、風の大陸、無責任艦長タイラー、スレイヤーズ、そのどれもが”あの時代”を生きた者が素通り出来ない作品だった。同様にフォーチュン・クエストも然りである。確かな血筋を持つわけでもなく、魔王を討伐するような目標があるわけでもない、普通より少し頼りない連中が些細な冒険の日々を自分たちなりに精一杯やっていく姿に癒され励まされ、自分も一緒になって冒険しているような気分になれる良い作品だったのだ。当時何が面白いと感じたかと言えば、兎に角冒頭の人物紹介から面白かった。主役である詩人兼マッパーのパステルの語り口調で全編書かれているのだが、紹介文でも『私の素敵な仲間達を見て!』と言わんばかりの書き込みで既に笑えてくる。これを考えていた時の深沢美潮さんの楽しそうな顔が浮かぶというものだ。イラストを担当する迎夏生さんのコミカルで優しい色使いも相まって世界観もイメージし易くファンタジー入門としても相応しかったと思われる。世界観の話で云うと、レベルが上がり難い設定なのも新鮮だった。ファミコンのドラクエであれば、あっという間に達するレベル5すら、フォーチュン・クエストの世界ではパーティー総出でお祝いするほどの出来事なのである。一つ一つ、地道に積み重ねて行く感じが、更に親近感へと結びついていたのだ(TRPGに馴染みのある人ならば、それくらい当たり前の感覚なのかもしれないけれど)

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竹アーマーの作り方から
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細かなステータスまで。ルーミィは本当に可愛いw 




そんなフォーチュン・クエストが本当の本当に完結するらしいと聞いた。”新”が付くようになってから読んでいない身としては、ようやくなのだなと思った。丸々30年を超えるシリーズ展開である。ラノベもとうとうここまで続く時代になったのだ。番外編を除き、発売予定の最終巻で39冊。これは名だたる作品に並ぶ巻数になる。書きたいだけで続けられるレベルではない。作者の労苦は言わずもがなだが、これまでずっと読み続けて来た読者達の熱意に対しても尊敬の念を禁じ得ない。いずれしっかりと腰を据えて1巻から読み直したいものである。






何処に行くにも持ち歩いていたフォーチュン・クエスト。病気がちだった小学生の僕は、一人で病院へ行き待合席で必ず読んでいた。一度目の前に座った女の子が同じようにフォーチュン・クエストを読んでいるのを見かけた時は、嬉しいやら恥ずかしいやらで、なんとも言えない気分になった。あの頃漫画でも小説でも表紙を外して読む癖があったため、相手には気づかれなかったものの、誰かとパステル達の冒険について語り合えていあたなら、もっと違う読書体験になっていたかもしれない。

自分が好きだからこれ以上の物は無いだなんて云うつもりは毛頭ない。ただ、皆にとってのフォーチュン・クエストが存在したら良いなとは思う。活字は怖く無い。しんどいものばかりではない。読めば読むほど読みたくなる友達なのだ。付き合い方一つで必ず自分の為になることだろう。まるで読めなかった人間が言うのだから間違いない。




深沢美潮先生、30年もの間、本当にお疲れ様でした。楽しいばかりで終われないこともあったでしょう。

貴女のお陰で本を人並みに読める人間になれました。本当にありがとうございます

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posted by lain at 15:48北海道 ☔小説