2017年03月30日

漫画に憑かれた巧達「漫勉 シーズン4」感想

「YAWARA」「MONSTER」「20世紀少年」など、ヒット作を次々生み出して来た”浦沢直樹”さんが手掛ける『漫勉』は、毎回1人の漫画家さんの仕事っぷりを定点カメラで収め、その映像を漫画家本人と一緒に見ながら語らうテレビ番組で、設定やネームの切り方、下書き〜ペン入れまでじっくり扱っているから漫画を描く人には良いヒントになるし、読むのが専門だという人でも、この番組を見ればどれだけ漫画家が技術と気持ちを込めて描いているのかが伝わり、これまで以上に1ページ1ページを大事に読もうとなる良い番組だ。






この番組が始まったのが2014年。その頃僕は入院していて、病室のテレビに釘付けになっていたのを覚えている。あれから3年近く経ち、気づけばシーズン4も終わってしまった。今シーズンも実に濃厚で、作品を読んだ事のない方の回を見れば読んでみたくなり、お馴染みの方の回を見れば読み直したくなり、結局馬鹿みたいに漫画が読みたくなった。


特にラストを飾った"ながやす巧"さんの仕事は凄まじかった。呆れるくらい設定に年月をかけ、細かな装飾全てに手を加え、いざ描くとなったら、単行本一冊分をキャラクター1人ずつ一気にペン入れして感情が散らからないよう配慮する拘りようには頭が下がる。この歳で漫画を描ける喜びでいっぱいだと語る職人気質の不器用さが酷く愛おしく思えた。漫勉の影響で今更読み始めた「壬生義士伝」も凄く面白い。時代劇を全然描いたことが無いだなんて信じられないディティールであるし、ながやすさんの絵のテイストにチャンバラは実に合っているように感じる。


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壬生義士伝 1 (ヤングジャンプコミックスDIGITAL) -
壬生義士伝 1 (ヤングジャンプコミックスDIGITAL) -








下手に金をかけたCMを流したり、書店でおかしなポップを付けるより、漫勉のような本物を切り取って訴えかけた方が漫画の将来は明るいのかもしれない。


描き手と読み手の両方の漫画愛を高めてくれる良い番組だ『漫勉』。








「浦沢直樹の漫勉」公式サイト

タグ:浦沢直樹
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2016年11月17日

”終わらない人”というより、”終われない人”が宮崎駿

「引退」とは、”役職や地位から身を退くこと。スポーツなどで現役から退くこと”だが、時に人は”それ”を撤回する。

もう無理かと思って辞めてみたけど、まだ身体は動くな。若い子であのレベルなら、私が本気を出せばもっと凄い。と、忘れ物でも取りに帰るみたいに復帰する。



宮崎駿という人も、何度となく辞めると口にして来た人物だ。一つ映画が終わる度、もう出来ない、やらないと口にして来た。体力的な話以上に、妥協出来無い性分が元で人間関係を壊してしまうのが本人には一番堪えるらしい。そんな話を見聞きしていたから、「風立ちぬ」のあと、今までの引退宣言とはまるで比べ物にならない本気さで引退を口にした時は、残念な気持ち以上に、安堵するようの気持ちが僕の中を駆け巡ったものだけど、"終わらない人"と銘打った引退後も作ることをやめない宮崎さんに密着したドキュメンタリーの終盤、長編の企画書を鈴木さんに見せに行く宮崎駿おじさんを目にすると、この人にはのんべんだらりとした余生より、イライラカリカリな物作りの時間が相応しいなと微笑ってしまった。

仕事に欠かせない人材が次々と亡くなっていく寂しさや、若い世代と一緒に新たな世界(CG)を覗く楽しさともどかしさ、そして”人間が描くのと同じように絵を描く機械”を生み出そうとする人々との温度差に忸怩たる想いを吐露する宮崎さんの姿が実に印象的な良いドキュメンタリーだった。




「何もやってないで死ぬより、やっている最中に死んだほうがまだましだね」

そう口にする宮崎さんに、一度でも関わった人は「負けてられるか!」「付き合ってられるか!」「最後までお伴します!」と思わずにいられない。結局ジブリは後継者らしい後継者を育てられないまま、おじさん三人の思い出の場所に終わってしまいそうだが、本当の意味で教わる・覚えるというのは、本人の意志が介在しないと実現しないわけで、こうして背中を何らかの形で残してくれるだけでも、充分次代の作り手が生まれる土壌作りになっていると思った。

いつか人の手を離れ機械が勝手にアニメを描くようになったとしても、感情の無いAIに情緒までは演出出来はしない。感情まで再現出来るようになるまでは、人間の出番はまだまだある。

そもそもあらゆる面で人を凌駕する存在を作って、僕らになんの益があるのだろうか?劣る自分達は老害なのだろうか?機械の許可なく地球上での生存が赦されないような時代だけは来て欲しくないな....


タグ:宮崎駿
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2015年05月14日

理由いつも後ろに付いて来る『アナザーストーリーズ「アイルトン・セナ事故死 不屈のレーサー 最期の真実」』

いつものように朝起きて、あれこれと準備しつつ、そういえば昨夜アイルトンの事故について特集した番組を録画しておいたのがあったなと朝食を食べながら見始めたのだが、様々な人達がセナについて語る様子に涙を堪えられず瞼が腫れぼったいまま会社である。

近い場所でセナを見守ってきた広報官の女性や、バッジョがPKを外しワールドカップ優勝を決めた時、セナを讃える横断幕を掲げたブラジル代表選手達。セナ亡き後、ブラジル国民の期待を一身に受けて苦しみもがいたバリチェロ。そしてセナの遺体と唯一対面した日本人記者。彼等がセナから受け取った物の大きさを想うとまた泣けてくる。



本当に必要とされていた

本当に愛されていた。

本当に速かった。

でも、僕らと同じ人間だった。




ただ少し違ったのは、誰よりも速くありたいと言う強い気持ちと、繊細過ぎた感性。

大抵誰しもひたすら目標へ真っ直ぐ向かっている時は歯車がしっかり噛み合うもの。だが一度それが乱されるとまるで機能しなくなるものである。だから、セナのような大胆かつ繊細なドライバーが少しでも心を乱したりすれば、それこそ走りに大きな影響が出るはずだ。

セナの事故からだいぶ経った今だから言葉に出来ることかもしれないが、事故でセナが亡くなったと知った時、心の片隅にこれはセナが望んだことなのではないか?という気がしていた。

バリチェロとラッツェンバーガーの事故が起きた直後、このグランプリへの不信感を露わにしていたセナの精神状態からして「ほらやっぱり危険だったろ?」と、わざと自分が事故って見せるくらいのことをして見せたのでは無いか?という考えが浮かんだのだ。事故の真相もはっきりしなかったため、尚更そんな発想が湧いたのかもしれない。

でもきっとそれは違う。単純に戦う準備が出来ないまま戦場へ脚を踏み入れたことが大きな原因だったことだろう。起こるべくして起きて、たまたまそれが取り返しの付かない結末に繋がっただけなのだ。





あれからF1はより速く、より安全になった。

ドライバー達は心の準備が整わずとも、それをマシンがサポートするから平気で戦えるし、誰かが傷つく恐れもほとんど無いから僕らは安心してレースを観ていられる。僕らに心の準備は一切必要無い。

だが何の憂いも無いはずのF1は何処か味気ない。


そこにセナが居ないからでは無い、おそらくマシンが電子制御され過ぎたため、ドライビングからドライバーの個性が見え難くなったからだと思う。

ルールの枠内で限界を目指せば誰もが同じ答えへ辿り着くのが当然ではあるけれど、それでは最後に行き着く場所に人間は不要になってしまう。

人馬一体という言葉が乗馬にはある。文字通り人と馬が一体になったかのように見える様子を表した言葉だ。

異なる種族。異なる魂が共鳴しあって成し遂げる人馬一体とは少し違うけれど、F1だって大勢の想いが同じ方向を向いた瞬間の一体感は素晴らしい。あくまでも機械は道具、魂と魂とが織りなす情景だからこそ胸が熱くなる。

だから機械の進歩と共に個性が死んでゆく今のF1が切ない。まだ人が機械を制していた時代の英雄の死は、僕にとってのF1の死そのものだったのかもしれない。




何をもって「魂」とするかは、これから先難しくなって行くかもしれないけれど、セナを忘れずにいられたら、自分の魂の在処だけは見失わずにすみそうな気もする、是非そうありたいものだ...





どうでもいいが真木よう子の司会っぷり堅すぎて微妙であった....




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posted by lain at 08:56 | 北海道 ☔ | Comment(0) | TVその他 ドキュメンタリー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする