2017年02月24日

amazarashiと雨曝しのロボット達

やっと木曜日も終わりだと重い脚を引き摺り帰宅し、さあ今夜は”ニーアオートマタ”遊ぶぞぉ!と思ったら全然事前DLが出来ておらず断念。代わりに配信が始まっていたamazarashiによるニーアとのコラボシングルを聴いて気を紛らせていた。



曲だけでもニーアとの蜜月具合が伝わって来る仕上がりなのだけど、MVは更に衝撃的でドール好きの一人としては見るのが本当に辛かった。今夜届くはずのディスク盤に付いて来る絵本がどんな物に仕上がっているのか気になって仕方ない。今夜こそニーアとamazarashi三昧で決まりだ。





話は変わるけれど、2、3日前にTwitterでフォローされて存在を知ったJunk Robotという女性一人のソロプロジェクトがなかなか興味深かった。




内外的に憤りを抱え、純粋故の八方塞がりな生き方をしている辺り、女版”尾崎豊”と呼ばれた”橘いずみ”と同じく、女版”amazarashi”と呼びたくなるJunk Robot。まだまだ”秋田ひろむ”ほどの質量は彼女の歌に無いけれど、その尻の青さが逆に初々しくて応援したくなるし、これから先もっと深淵を覗きに行ける彼女が羨ましくもある。

どんどん知名度が高まって来たamazarashiや、それに感化されながら自分の歌を模索するJunk Robotのように、これから先も純粋さ故に傷ついた人たちの歌が拡がって行くのでしょうね。


それが良いことなのか悪いことなのかは分からないけれど......














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2017年02月15日

コトリンゴという僕のキャンバスに絵を描いてくれる人

歌の力は必ずしも万能では無いけれど、音楽という枠組み全体が持つ影響力は計り知れない物があるなと、「この世界の片隅に」の空気感を決定付けていた”コトリンゴ”さんの他の楽曲も聴いてみて思った。







一言で言って彼女の歌は明るさとは無縁だ。楽しげな楽曲でさえ何処か陰を感じる。ただ、どちらか(陰と陽)一方に偏り過ぎないフラットさがあり、受け手の気分次第で温かくも冷たくも曲の印象はガラッと変わり何度聴いても味わい深い。


歌声そのものも素晴らしいが、その歌声をがっちり支えている楽曲の存在感がこれまた素晴らしい。1週間以上みっちり聴いて、彼女の音楽を映画に使いたくなるクリエーター達の気持ちがよく分かった。濃淡の付いた表情豊かな音だから、彼女の世界なのか自分の中の世界が引き出されたのか分からなくなるほど、あっという間にイメージが頭の中に広がっていくのが心地良い。もういっそ、映画そのものの仕上がりが微妙でも、コトリンゴの楽曲さえあれば大丈夫な気さえしてくる。








坂本龍一氏とのコラボや、キリンジでの仕事も面白いコトリンゴ。個人的な願望としては、保刈さんや新居昭乃さんと曲作りするのも面白そうだ。


にしても、相変わらず知らぬ間に同年代を好きになるものだと思った。同じ時代を生きて来ると感じ方や大事にしたい物が似て来るものなのでしょう。また何処かで彼女の音楽に支配されたいものである((🎧))







のん主演『この世界の片隅に』の立役者 コトリンゴインタビュー - インタビュー ...









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普通が普通であるために「この世界の片隅に」片渕 須直(監督)/こうの史代(原作)/MAPPA/感想

タグ:コトリンゴ
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2016年10月19日

不幸に泥酔した僕らには雨曝し位が丁度良い「虚無病」amazarashi

今年の秋はなんだか切ない。多くの命が眠りにつく季節なのだから、いつも通りと言えばいつも通りではあるけれど、個人的に色んなことが重なりセンチな気分が割り増しになっている気がする。

こんな時は、amazaeashi、もとい秋田ひろむに会いたいけれど、amazarashi LIVE 360°「虚無病」は札幌でのライブ・ビューイング(しかも土曜日)のみだと知り、更に寂しさは積もってしまった.....





先週土曜日に開催されたのamazarashi LIVE 360°「虚無病」はかなり良かったようで、「虚無病」収録以外の楽曲も上手くストーリーに落とし込んで映像とリンクしていたと聞いて見に行った人が妬ましかった。いっそ仕事を放っぽり出して行けば良かったとも思った。

しかし、そもそもがライブ・ビューイングというものへの印象が僕の中でよく無い。いくら今演っているものを生中継して流しているとはいえ所詮映像に過ぎないし、アーティストと同じ箱の中の空気を吸っている感覚が弱いのでは?と考えてしまう。いくら映像演出が売りのamazarashiであっても、映像だけがamazarashiでは無いのだ。スクリーン越しでも僕は常に秋田ひろむを意識してライブを味わっている。優雅なお澄まし顔と水面下で足をバタつかせているのを込みで白鳥は愛でたい。秋田ひろむは白鳥じゃなくカラスだろうけど........





新譜「虚無病」には、今までライブでしか聴けなかった「僕が死のうと思ったのは」が収録されていたのが嬉しかったのと同時に、ライブでしか聴けない特別な曲のままであって欲しかった気持ちもあって複雑だった。

若干曲数の少なさも気になった。あと1、2曲あるだけでだいぶ印象が変わったことだろう。全体としては、らしさが様式美になりつつあって、少し型にハマって来たような所が鼻につき、初回は表題作”虚無病”と”メーデーメーデー”くらいしかピンと来なかったけれど、繰り返し聴き、封入された小説を読んで更に聴いてみると、かなり見えて来る風景が変わって格段に1曲1曲が愛おしくなった。これを更に1つの物語としてまとめ上げたLIVE 360°、ほんとに見たかった....(まだ言う)



文藝春秋の編集者が、秋田ひろむによる文学が見たいとの発言をしていたのも実に分かる話だ。酷く断片的な言葉の羅列でありながら、何故か一つの曲として成り立つバランス感覚がamazarashiはすこぶる良いから。きっと文章は文章の難しさがあるだろうし、そう簡単な話ではないのは本人が一番分かっているのだろうけど、こうして歌う詩人としてのキャリアを積んで来た今なら、大好きな物書きに本腰あげて挑戦するのも良いように思える。もしも彼が長編を書くようになったら、きっと音楽活動は減るだろうけど、その分心に染み入る本を届けてくれたら十分だ。



まあ、これは全部想像だ 今日も、詩を歌い続ける男についての.......



タグ:amazarashi
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