寒い冬にはヒーローの血潮が特効薬「僕のヒーローアカデミア THE MOVIE ~二人の英雄~」長崎健司(監督)/ボンズ(制作)/感想

年末。それは本当に人々から余裕を奪う。受験勉強が追い込みの子供達や、連休前の残務処理や仕事の前倒しに追われる社会人の元へ、否応なしに訪れる冬で心身は削られる一方だ。自分などたまの休みすら何をするでもなく、ゲームに疲れてうっかり居眠り風邪の一歩手前である。

そんな日に持ってこいなのは暖かい食べ物?それとも飲み物?いや違う。温めるなら心から熱するべきだろう。そんな気分で見出した劇場版だったが、望み通りの効果を得て、今は身も心もホクホクだ。





皆が何かしらの”個性”(身体を強化したり、炎を操ったりする超能力のこと)を持って生まれるのが当たり前になった世界で、個性を持たない主人公がナンバーワンヒーローから力を受け継ぎ、強大な悪を倒す存在になって行くという王道路線が兎に角熱いヒロアカ。しかし、その真髄は勧善懲悪に非ず、正義が生み出す悪の有り様にあると思う。現代社会が抱える問題を体現した生々しい者達が、悪という姿で正義の前に立ち塞がり、それをそれと知って尚且つ戦い強く在らねばならないからこそ、ヒーローの輝きが増して見えるのではないだろうか。

そうは言っても、普通に純然たる悪として描かれるだけの者達も多い。そこに一片でも正しさがあると前に進まないことがあるし、何よりヒーロー物らしい爽快さが損なわれるからだろう。劇場版もかなり分かり易い構造で、小難しいことは置いておいてヒーローのピンチと、それを跳ね除ける逆境への強さが普通に楽しめる娯楽作品に仕上がっていた。それはそれでヒロアカの面白さとして気持ち良いわけだが、様々な悪と向き合って成長したの出久達を知っていると、少々物足りないというか、かつての若かりし自分を見るような懐かしさを感じるというか、去年公開された作品とは思えないほど遥か昔の出来事に思い感慨に耽っている自分が居た。少し寂しい気もするが、もう彼らには無邪気な正義は相応しく無いのかもしれない。





まあ何にせよ、最近よく見かけるTV版の続きは劇場版で〜という地続きの映画ではなく、単品として楽しめるようになっているのは好印象。既に子公開中の”最凶”と歌われる敵が登場する劇場版2作目も概ね好評のようで何よりだ。無闇に色気を売りにするアニメではなく、こういった作品が日本製として世界に見てもらえる事が僕は嬉しい。いやほら、劇場版の眼鏡っこの胸や尻も好きだよ、好きだけれど、それがメインじゃ駄目じゃないか........可愛いよねメリッサ.........ボソ

メリッサ.gif






兎に角、オールマイト愛を拗らせた人には耳が痛い話でしたo┐ペコリ 
posted by lain at 21:41北海道 ☔アニメ

サブタイトルはダサい。だが演出はすこぶるダサく無い「Gのレコンギスタ I 行け!コア・ファイター」富野由悠季(監督・脚本)/サンライズ/感想

世の中には自分の身近な人と同等か、それ以上に死んで欲しく無い人というのが居て、間違いなく富野由悠季という存在は、そういった”人”の一人として大勢に生き続けることを望まれている。

しかも御大は”ただ生きている”だけではなく、”作品”もセットで生存を望まれるのだから大変である。監督業に引退の2文字は無いとはよく聞く話だが、自分が78歳で同様の生き方を周囲に望まれたとして、果たして富野さんほどの働きが出来るだろうか?おそらく否だ。生きる張り合いにはなっても仕事としてちゃんと形になるかどうかは別の話なのだ。



兎に角想像して貰いたい。TV版放映開始時でも72歳の人が、これだけ瑞々しく情熱溢れる物を作ったのだと云うことを。そして更に寿命をすり減らしながら5部作に及ぶ劇場版を作り上げるのだと云うことを。そう考え出したら胸が熱い物でいっぱいにならないだろうか?





富野さんにとってガンダムとは、正真正銘DNA鑑定も必要無いほど自らの子供である。自分の良い面も悪い面も見せ付けてくる存在だから、愛しさと同じだけ形容し難い感情も入り混じるはず。何しろ一般人にまで知れ渡るガンダムだ、氏の制御を離れありとあらゆる形のシリーズが知らぬ間に世界中で愛されるようになっているのを、心穏やかに見守るなど富野さんでなくとも土台無理な話だ。会社(サンライズ)は会社でオリジナル作品を許さず、タイトルにガンダムと付けることを望み創作の邪魔をして来るし、Gレコに辿り着くまでの道のりは、僕らが思っている以上に大変だったことだろう。

Gレコは自他共に認めるやり過ぎた作品として世に出た。あまりにもスタッフ達のアイデアが面白かったせいで、気分を良くした監督が全部ぶっ込んでしまったのだ。お陰でテンポを早める必要が生まれ、置き去りになった部分が多々有り賛否が割れていたが、劇場版では其処がかなり修正されたように感じられた。流石に尺を削らなくてはいけないため冒頭は少しバタつくが、落ち着かせるところで落ち着かせているので今のところ置き去り感無くいっている。勢力図に関しては相変わらず映像だけで整理するのは難しそうなので、初見さんは観賞後ネットで見たところまでだけ、あらすじをおさらいするのが賢明。



個人的に富野作品は”すれ違い”が肝だと思っていて、正直あまり勢力図や戦争の流れなど昔から頭に入っておらず、そういう物を正しく認識する必要性をそこまで感じてはいない。どんなに便利な物を手にしようが、人類は”ままならない”感情に振り回されるものなのだ、というテーマさえ押さえておけば十分魅力は伝わってくるのだ。上方修正された心理描写だけでなく、絵に関してもブラッシュアップがなされているから熱心なファンにとっては、そこら中がウォーリーを探せ状態なことだろう。Gセルフの瞳も大変味わい深かった。

TV版の内容をすっかり忘れた上で観た劇場版だったが、富野さんらしい細やかな演出を再確認したり、笑いに繋がる演技付け(ヒロイン三人に見守られながらコックピッドの座席で主人公が”う◯こ”するアニメなんて俺は観たことがない(真顔))にも終始顔がにやけてしまった。全編作り直したわけではないから、最近の過剰に透明度のある美術やヌメヌメ動くキャラを演る劇場アニメに比べ見劣りする面もあるやもしれないが、通り一遍ではない演出術により、まだまだ得る物があると感じられた。こうすりゃ売れるの教科書通りでは到底作れないフィルムである。






片道2〜3時間冬道を車で移動しなければならないのが面倒で劇場鑑賞を諦め、ネット配信の存在に食い付きやっと観た人間の戯言ではあるけれど、何十年も昔の本を読んで構成や言葉選びにピリリと心が反応した時のような感覚が富野アニメにはあるので、上部だけを眺め値踏みするのだけはやめて欲しい。百聞は一見にしかず。褒めるにしても貶すにしても、まず見るところから始めようでは無いか。






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posted by lain at 07:06北海道 ☔アニメ

”俺は井上真樹夫さんの〇〇が好きだった...”は収束しました

また居て当たり前だった人が亡くなった。享年80歳。誕生日前日だったそうだ。




毎度のことながら、大御所の声優さんが亡くなったというニュースを見てしまうと、皆総じて”俺はこの人の演じたこのキャラが好きだった”という話になってしまうわけだが、井上真樹夫さんの場合数キャラに絞られ、石川五ェ門(ルパン三世)とスレッガー中尉(ガンダム)、そしてハーロック(宇宙海賊キャプテンハーロック)に集中していた。スレッガーさんなどは劇場版のみ担当しただけで、熱心なTVシリーズファンからは何故キャストを変えたのか?という声も上がっていたというのに、今こうして多くの人が井上さんのスレッガーが好きだったと言っている事実がとても印象的だった。劇場版スレッガーさんが好きな人間の一人として素直に嬉しく感じている。

チャラいけど実は紳士というのが、実に井上さんの声とマッチしていたように思う....



正直”石川五ェ門”は格好良いキャラと言うより、可愛いキャラだった。愚直で不器用で直ぐ拗ねる。格好良さだけならハーロックがダントツの渋さだったろう。ハーロックの劇場版も良いが、忘れ難いのは銀河鉄道999との絡みだ。「こんな大人に出逢えていたら、俺だって人生変わっていたはずだ!」と、錯覚してしまうくらい痺れる。








人は誰しも死んで逝く。

それは寂しいことではあるけれど、決して無価値ではない。

井上さんのように何かを遺して死んで行けるかどうかは分からないが、どんな形であれ生き終えれば見れる景色もあることだろう....






蛇足だが、井上さんも銀英伝(アンスバッハ)に出てました(真顔)
posted by lain at 07:00北海道 ☔アニメ