ジブリであってジブリでない「レッドタートル ある島の物語」マイケル・デュドク・ドゥ・ヴィット(監督)/プリマ・リネア・プロダクションズ/スタジオジブリ/感想

スタジオジブリの名を聞くと、一体どの映画を皆は思い浮かべるのだろう?

レッドタートルが公開された時期に「ジブリ総選挙」なる投票が行われた時は、見事「千と千尋の神隠し」が1位に選ばれており、なんとなしに、宮崎駿の絶頂時の作品が選ばれたんだなぁと思ったものだったが、果たして僕はどうだろう?

ナウシカやラピュタは勿論トラウマ級に好きではあるし、宮崎作品だけでなく高畑さんの「火垂るの墓」「かぐや姫の物語」も忘れられない。これはTVシリーズで観たかったなぁというのなら「紅の豚」だし、未成熟ながらも良さがあった「思い出のマーニー」だって捨てがたい。

でも、1本だけを上げろというのなら、やはり「風立ちぬ」かもしれない。「崖の上のポニョ」辺りから、いつ死んでも良いようにアニメを作っていたように思える宮崎駿の集大成であると同時に、普通に良い映画だった。これまでなんだかんだ言っても観てくれる人のために映画を撮っていた男が、初めて私的に撮った映画に思え、何故だか無性に嬉しかったのだ。


そんなジブリも、今は空中分解状態で、宮崎駿と高畑勲の受け皿としての機能しか有していない。次代のジブリを背負うかと思われた米林宏昌は、宮崎絵から脱却すべく外に出て映画を作っているし、「山賊の娘ローニャ」でようやく可能性が見えた宮崎吾朗は、また親父の周辺で雑務に追われているようだ。

しかし、そんな状態のジブリであったからこそ、レッドタートルが実現したというのなら感謝せねばならないだろう。








男が荒波に揉まれ、誰1人いない無人島に流れ着く。生きていく分には申し分ない島に背を向け、男は筏で海に出ようとするも、目に見えない力に邪魔され失敗。どうやら紅い亀の仕業だと分かり男は怒りに任せて亀を殴ってひっくり返してしまう。しかし罪悪感に駆られ亀を救おうとするのだが......



はっきり云って誰かのネタバレを見るまでもなく展開は読めるものの、脚本がシンプルであればあるほど誤魔化しが効かないから絵作りがものを言うわけで、そういう意味においては本当に絵に力のある作品だった。この作品のスタッフが居れば俺もまだ長編が撮れると宮崎駿が洩らしたのも頷けた 。


宮崎駿を唸らせたマイケル監督ではあるが、アーティストとしての方向性は明らかに高畑勲である。ほとんど動かないが手描きの温かみある美術や、セリフが無くとも伝わる人の営みや感情表現であるとか、淡々と物語が進行していくのに、妙な緊張感があるだとか、高畑作品に共通した何かを節々から感じた。

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人間以外にも島の住民はいて、蟹がとにかく可愛い



まあジブリで育ったアーティストでもないのに、宮崎や高畑と比べるのは意味のないことかもしれないけれど、一応ジブリ作品として売り出されている以上、意識せずにいられなかった。実際、長編を作った事がないマイケル監督としても、ジブリのサポートがあるならやると言っていたそうだから、アーティスティックプロデューサーという肩書きで参加した高畑勲氏の影響が全くないことはありえないだろう。

特殊な出逢いではあったものの、結果的に素敵な家庭を営み幸せに旅立った男の物語は、ジブリという異文化と交わって素晴らしい子を成したマイケル監督の物語のようでもあり、本当に素敵だった。

きっと若者にはこの映画の良さが分からないだろう。当たり前の幸せに気付くには、どうしても若さが邪魔になる。今直ぐでなくて良い。生きるのに疲れた時や、脛に傷が沢山出来た頃に是非観て欲しい。

きっとなんでもない出来事の一つ一つが大事だったのだとしみじみ思うのではないだろうか....





大人になってゆく”彼”を、誇らしく思う....なんて、素直に言えたら苦労はしない...「君の名は。(Blu-rayスペシャル・エディション)」新海誠(監督)/感想

毎日毎日、ただひたすら今日を生きていたら、終わらない夢でも見てるみたいだなと時々思う。


そのうち目が覚めて、長くて疲れる夢だったと、あっさり忘れてしまいそうな人生だ。




これまで何度も重要な決断を迫られる度、最後には押しの強い人の云うこと聞き続け、主体性など何処吹く風で生きて来たせいかもしれない。気付けば”何故こうなった?”などと、己れの不甲斐なさを棚に上げ、周囲に転嫁したがる自分がいて虚しくなる。汗水垂らして働くようになり、少しは戦う自分になれた気はするけれど、肝心なところで逃げ腰になるのは直りそうになくて、同じように先へ進めない人を見つけると安心してしまう。根っからの臆病者なのだ。


そんな樣だから、同志のように思っていた男が、どんどん変わっていくのもたまらなく寂しい....



「君の名は。」のメイキングドキュメンタリーや、メインキャストの神木隆之介と上白石萌音、それにRADWIMPSを交えたビジュアルコメンタリーだけでも満腹になれるのに、新海誠監督が新しく編集した「スパークル」のMVだの公開記念特番だの主題歌が英語になっているVerの本編まで見れて豪華過ぎる(僕が買ったのはBlu-rayスペシャル・エディション


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新海監督自らが観客の質問に答えているコーナーもあるブックレットも読み応えあり









まさかの大ヒットに繋がった本作を手掛けた新海誠は、元々ニッチな作品を作る監督だった。世間の需要云々より自分が見たい風景を優先する自己完結型の制作スタイルに勇気付けられた人は数知れないだろう。”叶いそうで叶わない”お得意の切ないストーリー構成は、裏を返せば叶えたく無いだけにも思えて、お祭り自体よりお祭り前夜が大好きな僕との相性も抜群だった。しかし、『君の名は。』はひと味違った。独特の美術センスや、もどかしい男女の関係はこれまで通りだったものの、キャッチーなOPや蛇足ともとれるラストシーンもそうだが、登場人物のコミカルなやり取りも新鮮だった。


僕は始め、劇場に行くのを躊躇った。新海誠作品を見た事もない人達が素敵なハッピーエンドだと口々に言っているのを知り、早々に腰が引けてタイミングを逃してしまったのだ。それでもどうしても観たくなって、最終的には映画館へと足を運んだわけだが、思っていた以上の充足感と、蛇足に感じる幕引きの板挟みに逢い、やはり予測通り複雑な気分になってしまった。これまでの彼ならば、歩道橋の上ですれ違うシーンで切なく終わったはずだ…..という気持ちは、いまだに変わらない。




だがしかし、BDまで買って本編そっちのけで特典映像の数々を見ていると、新海誠が実に嬉しそうに携わってくれた人達の仕事っぷりを話していたから、もう野暮なことは言わないでおこうと思った。柔軟に周囲の意見を取り入れつつ、自分の作家性もちゃんと残した彼は、着実に成熟した人間になりつつある。そもそも、あーしたいこーしたいという想いをちゃんと行動に移している彼に自分を重ねるだけ失礼な話であった。


前編新海誠によるビデオコンテもBDの特典に入っており、神木隆之介も真っ青な熱演もちらほら見られた。いっそ瀧くんのCVは新海誠でいけた(断言)









他者の強さを認め、己れの弱さを知る男だからこそ、この映画を生み出せたに違いない。


独りよがりで周囲の手を借りる=敗北などと思っているうちは、なにごとも成し得ないのではないかと思った。特に今のような時代ならば尚のこと厳しいだろう。






『聞くは一時の恥聞かぬは一生の恥』




そんな言葉がふと浮かんで消えた….





それにしてもスパークル.....





彗星、綺麗だったよな.......


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ぼくも、いつかRADWIMPSの「デート」が鳴り響く恋をしてみたいものだ.......








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俺は、ネット端末遺伝子を見つけた気がする「BLAME!」弐瓶勉(原作)/瀬下寛之(監督)/ポリゴン・ピクチュアズ(制作)/感想

一般的な反応として、2次元好きは整った絵を是とする傾向にある。

没個性ではあっても安定した女の子を提供してくれる絵師が大人気だったり、無料配布されている原作漫画を、別の漫画家がより綺麗に作画し直した作品が大ヒットしたりもする。まるで整形美人を愛でるような所業であることに、どれだけの人が気づいているのだろうか?....




斯く言う僕も場合によっては不安定な作品を敬遠して生きて来た。黒田硫黄の漫画が凄いと一部で人気になろうとも、初見では好きにならなかったし、他の追随を許さないようなインパクトのグラップラー刃牙は未だに生理的に受け付けない。のちにどハマリしたファイブスター物語でさえ、一度はこの絵は駄目だと思ったものだった。”人間は見た目じゃ無い”なんてことはありえない。何せ中身を知るより見た目で判断した方が断然楽なのだから....


BLAME!も見た目でまず避けられる作品だった。能面のように表情の乏しい主人公。どう場面が転換したのか分かり難いコマ割りや構図。説明セリフが少ないが故の置いてきぼり感。どれをとっても連載当初のBLAME!は読み易い漫画では決してなかった。

ただ、鬱蒼とした構造物の生み出す圧倒的な孤独や、人ならざる者達の驚異的な存在感のおかげでそれらの弱点など直ぐに気にならなくなった。少女漫画もそうだが、それぞれの漫画の文法が理解出来るようになると、その世界感が普通に居心地の良い物へと変貌するのである。




少なからず読者に努力を強いる作品ではあったかもしれない。おそらく弐瓶勉氏が一番それを理解していることだろう。今回の劇場版についても戸惑いがあったと聞いた。しかし今回は氏の努力の結果、劇場アニメになると知った時の喜びを遥かに凌駕する喜びが僕の全身を貫いていた。




BLAME!のようなカルトな人気を博した作品は、得てして『イメージと違う』と、言われてしまいがちだが、作者自らの総監修により紛れもないBLAME!になっていて、空も大地も見えない構造物の混沌ぷりや無感情に人を狩るセーフガードの恐ろしさの中を探索する空気が凄くよく表現されているなと感じた。エンターテイメント性を持たせた映像化により、具体性が増して原作の味わいが損なわれている面も、もしかするとあるかもしれないけれど、それを上回る魅力をもって世界観が底上げされているから満足度はすこぶる高かった。

磨きのかかったトゥーンレンダリングな作画は当然素晴らしかったし、まず音ありきなのでは無いか?と思ってしまうほど、物体の質量や熱の有無、更には空間の奥行きまで豊かに語っている音作りが凄かった。残念ながら地元の映画館では上映しなかったため、自宅でNetflixにて鑑賞(劇場公開と同時にNetflix独占で配信)したわけだけど、これは断然音響の良い環境で観てこそ真価が分かる映画に仕上がっているなと貧弱なスピーカーでも伝わるものがあった。

「人間だ」と口にするのがこれほど似つかわしくない男霧亥の雰囲気作りが上手くいっていたのも素晴らしく、こんなに喋らない櫻井孝宏は初めてなのでは?と思った。霧亥に雑な扱いを受けるシボの捉え所の無い自由さや、分かり易いヒロインであるづるの可愛らしさは勿論のこと、珍しくチャラくない宮野演じる捨造の婆ちゃん子なところが微笑ましかったり、キャラの面でも格段にバランスが取れていた。

やはり弐瓶勉さんの世界観は日本の3DCGの質感がしっくり来る。ディズニーのでは駄目だろう。海の向こうの真似をするより、こちらのテイストを極めていった方が日本のアニメの将来は明るいのかもしれないとつくづく思った。






今でこそシドニアの成功で一般人にも振り向かれる漫画家になった弐瓶勉氏だが、BLAME!が無ければまず間違いなく今の氏は無かった。これを機会に若い子にはBLAME!に触れて欲しいし、もしよければ原作漫画も最初の方は辛抱して読んでいただきたい。必ず癖になること請け合いだ。


さんざんっぱら拙い文章を書いて来たけれど、理屈など置いておいて普通にBLAME!をまず楽しんで欲しいものだ。馬鹿でかい建設者、わらわらと湧いて来る駆除系、狡猾で美しい上位セーフガード、無機質への愛情がこれほど掻き立てられる作品はなかなか無い。ボークス辺りがBLAME!のキャラのドールとか出してくれたら即買いするだろうなぁ僕は......




にしてもありがとうNetflix。これからもお世話になります....













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