♪BLAME!とSFは続くよ何処までも〜「BLAME! THE ANTHOLOGY」早川書房/感想

映画館での公開と同時にNetflixにて配信を開始するなど、何かと驚かせてくれたBLAME!ですが、上映館数が少ない割にTwitterでのつぶやき数ランキングは「美女と野獣」についで2位を獲得し、上映している映画館でも連続して1位になっているというから驚いた。


Twitterつぶやき数ランキング http://eiga.com/l/Q247T 



劇場版を観た者の1人としては、それくらいの反応があって当然の作品だろうという想いも確かにあるのだけれど、なんだかんだBLAME!は”知る人ぞ知る”作品という立ち位置だったわけで、シドニアの騎士がある程度ヒットした後だとしても、何処までお客が付いて来るのか半信半疑だった。まあなんにせよ喜ばしい話である。気が向いたら劇場版からシドニアとはまるで違う硬派さの原作漫画に入り、更にはSF界を牽引している5人の作家によるアンソロジーにまで是非到達して欲しいものだ。

それこそBLAME!の超構造物と化した階層都市を探索し続けるくらいの困難さがあるやもしれないけれど、それに見合った風景が味わえることだけは保証する。






BLAME!の世界観に触発された九岡望・小川一水・野崎まど・酉島伝法・飛浩隆の5人によるアンソロジーは、兎に角もう有り体に言って素晴らしかった。5人それぞれの個性的な解釈や肉付けでもって展開されるサイドストーリーを味わっていると、あまりの見事な解体っぷりに度肝を抜かれた。自作のプレッシャーから解放され、1人のファンとして生き生きと同人作業をしたような輝きがあったのだ。こんなに具体的なBLAME!を楽しめるのは本作ならではだろう。

本来ならば相入れない人間と珪素生物の共感を描く”九岡 望「はぐれ者のブルー」と”小川一水”さんの「破綻円盤 ―Disc Crash―」から始まり、少々BLAMEの味わいから離れているような気がしつつも最後にはそう来たかという独自の切り込み方に今の氏の勢いを感じた”野崎まど”の「乱暴な安全装置 -涙の接続者支援箱-」、そしてSFの泥沼に引き摺り込もうとする”酉島伝法”さんの「堕天の塔」と”飛 浩隆”さんの「射線」へと流れて行く構成には、徐々に慣らしてSFにハマらせようという早川書房の読者調教術の巧さを感じてしまった。

僕は特に「はぐれ者のブルー」のコンビが最高だと感じ、小川一水さんらしい性表現の切なさに魅了され、野崎まど氏のドSっぷりに口をあんぐり。最後には世界そのものになる『エアコン』の孤独を壮大な進化論で描く飛浩隆さんに脱帽する以外、為す術がなかった....





SFは実際の科学的検知に基づいて書かれることもあれば、作者の頭の中だけで作られたルールで表現される場合も多く、振り回されることを享受もしくは嬉々として求めるくらいの読み手でなければ楽しめない面もある。今回のアンソロジーにしても、 少々SFを齧ったことがある程度の人(僕みたいな人)では敷居が高いなと感じさせる作品もある。


 「分かる人だけ楽しめば良い」というのも分かる話だけれど、その結果入門すら不可能になるようなジャンルになってしまっては意味がない。これから先もライトな作品からディープな物まで幅広くSFが展開して行くと良いなと思う。



次は冲方丁さんのノベライズを読むとしよふ。







関連過去記事

俺は、ネット端末遺伝子を見つけた気がする「BLAME!」弐瓶勉(原作)/瀬下寛之(監督)/ポリゴン・ピクチュアズ(制作)/感想: 無差別八方美人?

文字に駆逐されるのは快感だ「象られた力」飛浩隆(著)/早川書房/感想

昔から「SFは難しい」と言われている。


ここでいう所の難しいとは、専門用語や造語を多用する理詰めに関してなのだろうけど、それ以上に世界観そのものが難しいというのもあるのだろう。僕も正直本格的なSFになると内容を半分も理解できているか怪しく、難しい本になると分からない部分は端折ったり、途中で挫折することすらある。


それでも読むのをやめないのは何故か?と言えば、その難しさの先にある風景の素晴らしさを知ってしまったからだろう。僕に難しさの先にある風景の甘美さを教えてくれた1人である飛浩隆さんのような、他人の脳に眠っているイマジネーションを引き出すのが上手い作家さんの本に一度でも触れてみれば、僕でなくともSF無しには生きられない身体になってしまいそうな気もする。






”知る人ぞ知る”と、巻末の解説に書かれてしまうほど、SFファンには伝説の作家として知れ渡っている飛浩隆さん。30年以上のキャリアがありながら、個人名義の書籍は片手の指を折るだけで事足りる執筆ペースも悩ましいが、近年では短編をコンスタントに発表してくれるし、遅読でマゾな僕には、これくらい待たせてくれる方こそ丁度良いのかもしれない。完全に新参者な僕が今更飛浩隆さんについて語るのも烏滸がましいが、今回読ませて貰った「象られた力」がまた滅法面白くて書かずにはいられない。


象られた力 kaleidscape (ハヤカワ文庫 JA) -
象られた力 kaleidscape (ハヤカワ文庫 JA) -




本書はSFマガジンに連載された4編からなる短編集で、ベトちゃんとドクちゃんのように二人で一つの身体を動かす天才ピアニストと、彼らの使うピアノの調律を任された男の物語である「デュオ」は、”私がかれをころしました”という独白で始まり、どうやら奇形の双子ピアニストがその被害者で、加害者は調律師の男のようだと最初からぼんやり想像がついてしまうのだけど、何故殺さねばならないのか?何故彼らの演奏はここまで心を打つのか?が序盤は分からないため、読み進めていくとどんどん深みにハマる。ピアニストというからには勿論様々な曲の話になるものの、こちとら完全に素人なわけで、本当ならピンと来ないはずの演奏描写であるのに、飛浩隆さんの手にかかると素人の心の中にまでリズムが響いて来るから不思議だった。双子の才能の謎や、その後の一筋縄で行かない展開にも痺れた。普通に映画化して欲しい。日本以外で。



デュオとは打って変わり、これも飛浩隆さんなのか?ついそう感じるほどライトノベルなノリのファンタジーだった「呪界のほとり」も、毛色こそ違えど何処と無くらしさがあって、これはこれで普通に続きを書いて欲しくなった。この一編のためだけにここまで設定を考えるなんて流石としか言いようが無い。飄々としたジジイや竜が最高の作品。


けして若くは無い2人の男がテラフォーミングの副産物に魅了され、恐ろしくも美しい奇跡に立ち会う「夜と泥の」の表現力や構成にも舌を巻いたが、短編集の最後を飾る表題作「象られた力」では更にそれに磨きがかかっていて、「グラン・ヴァカンス」を初めて読んだ時の衝撃に似た悦びと苦しさを覚えた。今は存在しない、とある惑星”百合洋(ユリウミ)”の図形を使った言語文化の裏の顔が引き起こす事態から醸し出される得も言えぬ恐ろしさと甘美さの絶妙なバランス感覚は飛浩隆さんにしか出せないと思った。この人にしか出来ないと断言したくなる作家さんである。




毎度凄まじい物語を書いてらっしゃるから、どんなに気難しい方かと思いきや、氏のTwitterを眺めると結構ノリの良い所があって親近感が湧いてしまう。初めて飛さんのつぶやきを見た時は、こういうのも嗜む人なんだなぁ〜と、狐につままれた気分になったものだ。


今は兎に角うっかりAmazonに注文してしまったため、お預けを喰らっている「BLAME! THE ANTHOLOGY」が読みたくて仕方ない。一体どんなBLAME!の世界を飛浩隆さんは書いたのだろうか?他のメンツも強力だし、これ以上は望めないアンソロジーになっていそうでわくわくする。


早く届かないかなぁ..........




BLAME! THE ANTHOLOGY (ハヤカワ文庫 JA ニ 5-1) -
BLAME! THE ANTHOLOGY (ハヤカワ文庫 JA ニ 5-1) -


文字で紡がれる遺伝子「伊藤計劃トリビュート2」 ハヤカワ文庫JA/感想

故”伊藤計劃”氏が作家デビューしたのは10年前。作家として活動したのはたった2年。


にも関わらず、代表作が劇場アニメとなり、大勢の作家にトリビュートされているのは何故なのだろう?





正直僕には小難しいことは分からない。でも分からないなりに彼の作品が人を惹きつける理由を考えてみると、儘ならない自身の身体に対するもどかしさや、生きることを赦されているのに命の使い道を知らぬ人々への静かなる怒りこそが全てだったんじゃないかと思わずにいられなかった。

正直、映像化された伊藤計劃作品は微妙だった。同じ境遇に無い者が束になってもかかっても、彼の抱えた闇に及ばなかったのだろう。




そんな彼に感化された若者六人のトリビュート第二弾をようやく読み終えたのだけど、六人それぞれが個性的で守る物など何処にも無いと言わんばかりに攻めていて凄く面白かった。冒頭を飾る”草野原々”の「最後にして最初のアイドル」からしてとんでも無い飛躍(アイドルとして成功することを夢見て挫折した少女と、その第一の理解者である少女の想いがガン細胞のように増殖して地球を飛び出してゆく展開は唖然呆然涙腺崩壊である(?))であったし、10代のラッパーでありながら本書に参加している”ぼくのりりっくのぼうよみ”の「guilty」も若さが眩しくも気恥ずかしい作品で良いアクセントになっていた。

他にも”柴田勝家”さんによる生まれた途端にヘッドマウントディスプレイを装着させられ、VRの中にしか現実が存在しない村の話や、砂漠で死体が歩くというディストピアネタを振るった”伏見完”、異なる言語を母国語とする者同士の普遍的な意思疎通を可能にする技術の落とし穴を書いた”黒石迩守”、そしてラストを飾った”小川哲”の「ゲームの王国」と、本当にそれぞれ違う毛色で楽しめた。


特にどこがSFなのかよく分からない「ゲームの王国」は読み応え十分で、普通に政情が不安定だった内戦下のカンボジアにおける人々のドラマとして読みふけってしまった、カンボジアならではの文化や、それらを表現する時のニュアンスがとても好みで、相性が良い作家さんだからしばらく追いかけてみたくなった。







一人の作家が死んで。一人以上の作家が生まれる。この世界は哀しみだけが連鎖するように出来ているわけでは無いなと思った。

伊藤計劃が愛したSFを、これからも僕らは愛してゆくだろう。






伊藤計劃トリビュート2 (ハヤカワ文庫JA) -
伊藤計劃トリビュート2 (ハヤカワ文庫JA) -





関連過去記事

我こそは次代を担うSF作家だ!そういう気迫が心地良い「伊藤計劃トリビュート」早川書房