2017年03月12日

箱舟には乗れそうに無い僕が想う3.11「ノア 約束の舟」ダーレン・アロノフスキー(監督)/ラッセル・クロウ(主演)/感想

無理に思い出す必要は無いのだけれど、3月11日になれば自然と思い出さずにいられない東日本大震災。

僕などは直接的な被害という被害に逢っていないため、あの震災についてあれこれ口にすることすら少し躊躇われるが、誰もが途方にくれるような光景がテレビで流れて来たのを目にした時の衝撃は忘れ難い。あんな一瞬の出来事で、1万人以上の命が損なわれただなんて、今考えても恐ろしい.....


他に数字が取れる絵があれば、それを優先するテレビ局。新しいニュースばかりを追うネット大手。それらに頼り切っている僕らは、正直被災地が今どうなっているかほとんど知る由もない。人口が更に減ったとか、いまだに遺体を探す民間団体がいるとか、廃炉作業が難航しているうちに環境被害が拡大しているとか、そういった情報は入って来るものの、”そこ”で生きる人達そのものの姿がイマイチ伝わってこないのはもどかしい。

何年かかってでも、あの地に本当の笑顔が戻ったなら、もう少しマシな日本になれるのかもしれない....



震災後、様々な場所で地震や洪水を扱った作品の取り扱いを避けていた。被災者や震災でショックを受けた人々への配慮だったわけだが、もしもこの映画が2011年に公開予定であったなら、絶対公開取りやめの憂き目にあっていたことでしょう。

なにせ、世界を血と欲で汚す人間を海に沈め、もう一度動物達だけの楽園からやり直そうとする話なのだから....





ノアの箱舟というと、神がノアというおっさんに命じて舟を作らせ、自分好みの生き物達だけを救済しようとしたという大昔を舞台にした物語なわけだけど、こうして映画として咀嚼してみると、実に遠い未来のディストピア物に感じた。土は痩せ、木は枯れ、どんよりした空の下、何も残っていない風景の連続には、マッドマックスも顔負けの重苦しいものがあった。

人間を哀れんで自らも堕とされてしまった岩の姿をしている天使達のCG表現のB級映画っぷりや、神の啓示を受けるような男が死体を足蹴にしたり見事な殺人技を披露することへの違和感で少々気持ちが萎えたりもしたけれど、慣れて来ると岩の化け物でしかない堕天使達が愛おしく思えて来たし、聖人とはかけ離れたノア像にリアリティを感じて、そこそこ心に響く物があったように思う。パトレイバーの劇場版に登場する世界に絶望した男達同様に、人間の暴挙に落胆して神の望むまま、助けを求める人類を見殺しにし、自らと愛しいはずの家族の命すら最後には滅しようとするノアという男を愛さずにはいられない自分がいた。

各方面から反応があったというのも頷ける際どい脚色の結果、失った物もかなりあったのかもしれないが、世界中で自分と自分の家族だけが生き残るという極限状態なら、これくらいの狂気の一つや二つあって然るべきとも思う。もしも自分や家族だけがこの世界の生き残りになったとしたら、どう感じるのだろうか?いくら子孫を残すためとはいえ、兄弟や親とセックスするなんて嫌だろうな...と、真っ先に考えた僕は、まず間違いなく箱舟に乗れはしないんだろうね.......


あの津波で亡くなった人たちが、亡くなる寸前何を考えたかなんて思いもよらないけれど、自分がこの世界に無用な存在として神に罰せられただなんて思ったままこの世を去っていなければ良いなと思う。

そして、こんな仕打ちをしてくる地球であっても、命をくれたのも地球なのだということを忘れず生きて行こうと思った....





ノア 約束の舟 公式ウェブサイト
web拍手 by FC2
posted by lain at 10:10 | 北海道 ☔ | 映画 米国 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
2017年01月23日

神が語らないから人が語る。ただただひたすら虚しい日々を「沈黙 -サイレンス-」マーティン・スコセッシ(監督)/遠藤周作(原作)/感想

僕は宗教に入っていない。入りたいとも思わない。

子供の頃、辛い事があると、どうにかならないものかと都合良く神様にお願いした経験くらいはあるが、今じゃすっかり宗教を立ち上げて金儲けしたいなぁ〜と思うほどの不心得者である。



だから、本作で弾圧される切支丹の苦悩も分からないし、彼らを拷問してまで棄教させたがる日本人の気持ちも分からない。







島原の乱後の日本における苛烈な切支丹弾圧を題材にした遠藤周作の「沈黙」が原作で、尊敬する神父が日本で棄教したとの知らせを受けた二人の若い神父が、頼りない日本人ガイドと一緒に真偽を確かめる為に日本へ乗り込み、弾圧の実状と棄教した神父の真意に触れ苦悩する話。

極力情報を頭に入れず、塚本晋也さん目的で映画館に出向いたため、ここまで日本人だらけの映画だとは思っていなかった。冒頭で拷問されている切支丹や、日本に乗り込んで来る神父も含め、目の色が我々と違う人種は10人出て来るかどうかで、後は馴染み深い日本人役者が勢揃い。外国映画にありがちな見た目だけの似非日本人でないから普通に日本映画に見えた。

しかし、間の取り方や自然の奏でる音を活かすセンスは日本人の感性とは一味違い、塚本晋也監督の「野火」のように人の業と関係なく存在し続ける自然の厳かな存在感が良い映画だと思いました。特に塚本晋也さん演じる男が海で磔にされているシーンは忘れられそうにない.......



塚本晋也さん自身が野火に通ずる物があると断言していただけあって、確かに最後に残るのは虚しさから溢れる溜息でした。ただ、正直後半の1時間近くは、僕にとって少々くどかった。再三踏み絵云々が持ち出され、くどくどと同じことを繰り返している(踏み絵を行えない者を拷問、行っても疑わしい者は拷問、そして主人公である神父が棄教しないことを理由に信徒を拷問。そしてそんな自分たちを棚に上げて信じる物を大事にしたいのはお互い様だと口にするお役人達、という構図が何度も続く)ように感じました。僕が切支丹であれば、もっと主人公の苦悩に共感出来たのでしょうか?

切支丹が崇める神を、何か違う物に置き換えて考えれば、彼らがあれだけ苦しむ理由もそれなりに想像出来るものの、命に代えてまで大事にしたい物などやはり僕には無いかもしれない。無論権力に頭を押さえられ「こうしろ」とやられるのは我慢ならないが、死んでまで守る誇りなど何処を探しても出て来そうにありません。

そもそも、自分の信じる物を大事にしたくて死を受け入れるというのは、本当に神を大事にする行為だと言えるのでしょうか?パンが無ければケーキを食べれば良いじゃ無いとは言わないが、何も応えてくれない神の奇跡を願う暇があったら、自分に出来ることをした方がよほど神に近づけそうな気がしてならない。まあ、あの時代の人々は普通に生活するのも困難で、精神的に追い詰められていたのもあるのでしょうね。いつでも無駄にカロリーを摂取できる僕には到底理解出来るはずもないのです.......





信じる者は救われる

確かにそうだろう。心底信じられる物を持つ人は強く、心に迷いが無い。

でも、心に迷いがあるからこそ信じたい気持ちは生まれるのだと思うし、第一迷いが無い人間なんて面白みに欠ける。いっそ恐ろしく見えることすらある。僕は、不完全で不健全で、信じたいけど信じきれない弱さをこそ愛したい。


そういう意味においては、この映画は愛と哀に満ちた素晴らしい映画でしょう.........







追伸、イッセー尾形は至宝。









関連記事
web拍手 by FC2
posted by lain at 06:57 | 北海道 ☔ | 映画 米国 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
2016年05月30日

滅亡しなかった世界の遺児より、愛を求めて....『奇蹟の輝き(What Dreams May Come)』ヴィンセント・ウォード(監督)/ロビン・ウィリアムズ(主演)/1998年/感想

子供の頃、日がな一日”死”について考え、瞼を泣き腫らしていたことがある。

思い返せば、あれが初めて自身の死について自覚した時だった。


何故そこまで考えてしまったのかもよく覚えている。当時大好きだった学研の「ひみつシリーズ」(様々な分野を漫画で教えてくれる児童書)で”ノストラダムスの大予言”(1999年7の月に人類が滅亡するとしたもの)について書かれていたのを読んで、すっかりその気になってしまったのだ。


あと10年と少ししか残っていないだなんてあんまりだ!

 どうせ死ぬなら生きる意味なんてあるのだろうか? 

 そもそもなんで僕が死ななきゃならないんだ!


などと、止め処もなく落ち込んでいた。どうにかして予言が外れ無いものかと、ノストラダムスについて書かれた本を幾つか読んだ結果、どうやらこれは一部の人間が都合良く勝手に解釈しただけの物だと思えるようになったものの、内心は引き摺りつつ夢も希望も無い思春期を過ごしてしまい、今ではすっかり空っぽの人間になってしまった。逆に滅亡していた方が幸せだったのでは無いか?と考えることもある...





それにしても何故人は死を恐れるのか?誰も彼もが当たり前のように死んでいくのだから、自分だってそれが当たり前であるのに、その事実を受け容れるのは容易なことではない。そもそも受け容れられる瞬間が訪れるかどうかも一度死んでみるまで分からない。よく臨死体験について語っている人もいるが、結局死んでいない人の話だから真偽は定かでは無いし、やはりエネルギーの供給元である肉体を失えば、脳という器に篭った精神も失われると考えるのが普通なのだろう。僕は一度全身麻酔をかけられたことがあったが、その時は完全に無の状況になっていて臨死体験どころか夢すら見なかった。ただ麻酔から覚醒した瞬間が生まれたばかりの時の記憶(生まれた瞬間の記憶が自分にはある気がしている)に似ていたから、もしかすると死とはこういうものなのかもしれないなとは思った。

どうせなら楽園のような死後の世界が広がっていて欲しいけれど、どうやらそうも行かないようだし、年々言う事を聞かなくなってゆく身体に現実を思い知らされながら、この先どう生きて行こうか考えずにいられないことがつまらない。

せめて、この映画の主人公のように、絶望の中にあっても互いを思い遣れるパートナーがいれば良いのだろうが、そんなロマンスにもてんで縁が無い.....






ありえないような一目惚れをした男がそのまま結婚し、最愛の妻と少々気難しい思春期の子供達とで幸せな家庭を築くものの、事故で子供を二人共亡くしてしまう。なんとか立ち直るものの今度は自分が事故で死ぬ事になり、一人残してしまった妻の辛そうな姿に別れ告げ死後の世界へと彼は誘われて行く。
そこは自分の思い描いた楽園そのもので、思い通りに変えられる世界。男は美しい風景に全てを忘れそうになる。しかし其処へ妻が自殺し、"ここ"では無い地獄へ送られた事を知らされ、妻を救うべく男は地獄へと赴くことになる....


とても1998年に製作された映画とは思えないくらい違和感のないCGで、油彩画をそのまま動かしているような天国の風景が本当に美しかった。男が旅することになる地獄にしても、アメリカらしい物の残骸が印象深かい。丹波哲郎もこれくらい美しい「大霊界」を撮れていれば楽に成仏出来ただろうに.....

天国で娘と息子に再会し、過去の思い出が蘇って感情が爆発するシーンだけでも胸が熱くなるが、最後の最後に愛し合う二人が出逢いからやり直す所が最高に感動的だった。悪く聴こえるかもしれないが、道中の不幸のばら撒き方も上手い作品とも言える。つくづく柔和な表情に隠れた闇を感じるロビン・ウィリアムズにはこういう作品がピタッと収まるなぁと思った。彼も他界してしまったが、本作のような天国で一片の曇りも無い笑顔を浮かべ過ごせていたら幸いだ。いつか彼が自由に描いた天国へお邪魔してみたいものである。


それまでは生あることを喜べる生き方をしたいものだ.....






関連過去記事
web拍手 by FC2
posted by lain at 06:59 | 北海道 ☔ | Comment(0) | 映画 米国 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする