2017年10月13日

視聴者の中にデスノートを持っている人がいたとしたら、この映画の関係者の中で誰が真っ先に殺されるかな?...「Death Note/デスノート」Netflix/感想

もしも、名前を書くだけで人を殺せるノートが手に入ったら、あなたならどうする?

やっぱり自分が気に食わない連中を片っ端から始末するだろうか?

それとも.....



小畑健と大場つぐみによる大ヒット漫画「デスノート」。今更ストーリーの説明などする気にもならないが、その過激な内容は今考えても『ジャンプで大丈夫か?』と思ってしまうほど際どく、頭脳明晰で正義感の強い青年が、ぶっ飛んだ死神の気まぐれのせいで人生を狂わされ、いや、自ら狂っていく過程に、何度と無く虚しいため息が漏れたものだった。

特に宿敵”L”との戦いがメインであった第1部の展開が素晴らしかったため、その部分が様々なジャンルでメディア展開されたわけだが、一般的にウケが良かった邦画実写版はあまり好きになれなかった。何が嫌って、コスプレ同然の微妙な登場人物が数人いることもそうだけど、それ以上に死神が安っぽい3DCGで登場している点だ。

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2006年度版リューク
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去年公開された新作では、かなりディティールは良くなってはいる....



昔の日本映画は小説や漫画の実写化の場合、作者の強い反対が無ければ、そのネームバリューだけを生かし、あとは好き勝手に脚本やらデザインを決めていることが多く、登場人物の服装や髪型だって似ても似つかないことがしょっちゅうあった。それはそれで問題が無いでも無かったが、原作をなぞるだけではない個性が其処には在り『生身の人間』が演る場合の違和感が無いよう改変されているため、無理なく観れる利点もあった。

勿論昔だって特撮を使用して原作に寄せていた作品は沢山あったわけで、一概には言えないが、今の実写化のやり方があまりにも原作の見た目に寄せないと気がすまない物になっているため、原作を知っているとどうしても客観的に観るのが難しい。しかも寄せることによって、役者の演技が粗末だと素人のモノマネみたく悪目立ちするし、素晴らしい演技でも格好がそれだから、いまいち心に響かないなんていう副作用もあり、一体誰が得する実写化の流れなのかいまだに理解に苦しむ。単純に人気作の勢いが残っているうちに、ファンから搾り取れるだけ搾ってやろうとしているだけにも思えてくる。

今回のハリウッドでの実写化も実に陳腐で粗雑。映像の作りもそうだが役者も脚本もどれもこれもB級の中でも下に位置する出来栄えだった。アメリカでは一部のティーンに人気が出たなんて話も聞くけれど、原作への微妙な寄せ方とオリジナルの展開には苦笑するしかなかった。もしもリュークが、なんの変哲も無い普通の人間と同じ姿形で登場し、ここぞという時だけ死神に感じるようなキャラへ改変されていれば、諸手を上げて本作を迎えたかもしれない。





どんな大人気シリーズでも、シリーズを重ねるごとに亜種が生まれ、質もまちまちになるものだけど、予算が円滑に回りそうな海外でもこのレベルというのなら、まだ日本版のデスノート実写版を観てる方がマシに思えた。トレーラー程度の尺ならば、絵になるカットは沢山あったし、黒人がLに扮しているのもアメリカらしい改変で良かったように思うが、Lが体力勝負を挑んだり、シーンとシーンを繋ぐピースが明らかに足りなかったのがとても残念であった。

人を人たらしめている”背景”を疎かにする作品は絶対成功しないなと思った。





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posted by lain at 07:57 | 北海道 ☔ | 映画 米国 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
2017年08月15日

家(戦車)を護りたかった男『フューリー(Fury)』2014年/米国/映画/感想

今日8月15日は、昭和天皇が太平洋戦争の敗北宣言を国民に向けラジオで行った日だ。

「堪え難きを堪え、忍び難きを忍び」

そう口にする天皇の肉声を国民が初めて聴いた日でもある。

100年も経っていないのに何語だか分からない


そもそも何故日本は戦争をしたのか?

そんな風に思う自分がいる。

独自に生み出した技術などほとんど世界には通じないうえ、資源だって当時から貧しかったはずなのに、何処でどう勘違いに至ったのだろう?不勉強な僕には、まるで理解出来ない大人の事情とやらが存在したに違いないが、後から見ればただただ愚かな行為でしかない。

でも、今を生きるのに必死な者に遠い未来を予測することは出来ないし、もし予測することが出来たとしても、世の流れを変えるのは容易なことではない。まるで当時の日本のようにアメリカと戦う姿勢を見せる北朝鮮も、引き下がれない場所まで流れ流れて行きそうで不安だ。

もし戦争になったとしても、残るのは虚しさばかりだろうに......





フューリーは、まもとな戦力も整わない中、連合軍の攻勢に合わた行軍を余儀なくされた戦車小隊の物語。兵士や戦車の補充もままならない前線で役に立つのは経験と根性だけという状況で、最後の足掻きと言わんばかりに抵抗するドイツ兵相手にそれだけで足りるわけもなく次々と仲間の戦車に犠牲が出て、彼らは大部隊を前に壊れた戦車1両で戦うことになる。

映画の結末は見え透いているし、自己犠牲など陶酔の極みでしかない。見る人によっては過剰に戦場の醜さを表現している(新兵に敵兵の処刑を強要したり、戦車で人を踏み潰したり、手足が機銃で引き千切れるのも当たり前)と酷評しそうでもあるけれど、それだけでバッサリ切ってしまうのは忍びないものが、この映画にはあったような気がした。なんというか、酸いも甘いも知り尽くした父親が、家族と家を護りたいと願うみたいな姿がブラッド・ピット演じる”ドン”にはあって、行為それ自体の良し悪しは関係なく、命を賭けたい物を持っているのが羨ましく思えたのかもしれない。

互いを"Wardaddy”(戦うオヤジ)だの"Machine"(機械)だの”Bible”(聖書)だの”Gordo”(肥満)だのと相性で呼び合う男達を乗せる戦車”Fury”(激しい怒りの意味)はまさに家なのだ。生まれも主義主張も違う者達が、戦車に乗っている間だけは固く結びつくのである。たとえそれが殺し合いに過ぎなくとも、今この瞬間の絆だけは永遠だと信じる彼らの姿は、愚かであるのと同時に愛おしい。






この映画において、良心の象徴のような新兵に「理想は平和だが、歴史は残酷だ」と口にしたドンは、己れの感傷に仲間を巻き込んだ。けして英雄の物語では無い。神亡き戦場で、逃れようもない光景を前に戦うとは、こういうなのだろうと思った。

美しい陶酔は新たな戦場を生む。果たして、フューリーの陶酔は、新たな火種へと繋がるのだろうか?

少なくとも僕は、血と火薬と泥に塗れた戦車になど絶対乗りたく無いなと思ったけれど....

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posted by lain at 15:04 | 北海道 ☔ | 映画 米国 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
2017年03月12日

箱舟には乗れそうに無い僕が想う3.11「ノア 約束の舟」ダーレン・アロノフスキー(監督)/ラッセル・クロウ(主演)/感想

無理に思い出す必要は無いのだけれど、3月11日になれば自然と思い出さずにいられない東日本大震災。

僕などは直接的な被害という被害に逢っていないため、あの震災についてあれこれ口にすることすら少し躊躇われるが、誰もが途方にくれるような光景がテレビで流れて来たのを目にした時の衝撃は忘れ難い。あんな一瞬の出来事で、1万人以上の命が損なわれただなんて、今考えても恐ろしい.....


他に数字が取れる絵があれば、それを優先するテレビ局。新しいニュースばかりを追うネット大手。それらに頼り切っている僕らは、正直被災地が今どうなっているかほとんど知る由もない。人口が更に減ったとか、いまだに遺体を探す民間団体がいるとか、廃炉作業が難航しているうちに環境被害が拡大しているとか、そういった情報は入って来るものの、”そこ”で生きる人達そのものの姿がイマイチ伝わってこないのはもどかしい。

何年かかってでも、あの地に本当の笑顔が戻ったなら、もう少しマシな日本になれるのかもしれない....



震災後、様々な場所で地震や洪水を扱った作品の取り扱いを避けていた。被災者や震災でショックを受けた人々への配慮だったわけだが、もしもこの映画が2011年に公開予定であったなら、絶対公開取りやめの憂き目にあっていたことでしょう。

なにせ、世界を血と欲で汚す人間を海に沈め、もう一度動物達だけの楽園からやり直そうとする話なのだから....





ノアの箱舟というと、神がノアというおっさんに命じて舟を作らせ、自分好みの生き物達だけを救済しようとしたという大昔を舞台にした物語なわけだけど、こうして映画として咀嚼してみると、実に遠い未来のディストピア物に感じた。土は痩せ、木は枯れ、どんよりした空の下、何も残っていない風景の連続には、マッドマックスも顔負けの重苦しいものがあった。

人間を哀れんで自らも堕とされてしまった岩の姿をしている天使達のCG表現のB級映画っぷりや、神の啓示を受けるような男が死体を足蹴にしたり見事な殺人技を披露することへの違和感で少々気持ちが萎えたりもしたけれど、慣れて来ると岩の化け物でしかない堕天使達が愛おしく思えて来たし、聖人とはかけ離れたノア像にリアリティを感じて、そこそこ心に響く物があったように思う。パトレイバーの劇場版に登場する世界に絶望した男達同様に、人間の暴挙に落胆して神の望むまま、助けを求める人類を見殺しにし、自らと愛しいはずの家族の命すら最後には滅しようとするノアという男を愛さずにはいられない自分がいた。

各方面から反応があったというのも頷ける際どい脚色の結果、失った物もかなりあったのかもしれないが、世界中で自分と自分の家族だけが生き残るという極限状態なら、これくらいの狂気の一つや二つあって然るべきとも思う。もしも自分や家族だけがこの世界の生き残りになったとしたら、どう感じるのだろうか?いくら子孫を残すためとはいえ、兄弟や親とセックスするなんて嫌だろうな...と、真っ先に考えた僕は、まず間違いなく箱舟に乗れはしないんだろうね.......


あの津波で亡くなった人たちが、亡くなる寸前何を考えたかなんて思いもよらないけれど、自分がこの世界に無用な存在として神に罰せられただなんて思ったままこの世を去っていなければ良いなと思う。

そして、こんな仕打ちをしてくる地球であっても、命をくれたのも地球なのだということを忘れず生きて行こうと思った....





ノア 約束の舟 公式ウェブサイト
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posted by lain at 10:10 | 北海道 ☔ | 映画 米国 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする