2016年08月31日

命と引き換えの愛なんて僕は要らない「アンナ・カレーニナ」ジョー・ライト(監督)/レフ・トルストイ(原作)/感想

この前観た映画のタイトル繋がりで、本作を観出したものの、よくよく考えたらアンナじゃなくてハンナだったと言うから、相変わらずな自分に呆れてしまう....





帝政が残る時代のロシアを舞台に、政府高官を夫に持つアンナの許されざる恋の行方を描いた作品で、題材は酷くありふれた男女の話である。しかし、チャン・イーモウ監督の「紅夢」のように、一度甘美な物を味わったが最後、失う怖さに捕らわれ醜く歪んでゆく女の描き方や、それと対照的に自分の欲望を殺して生きて来た農場主の男の堅実で慎ましやかな愛の温かみがなんとも言えない仕上がりで素晴らしかった。

なんと言っても舞台上で物語が進んでいるかのように感じさせる演出手法が巧みで、まるでテンポの良い舞台作品を観てるみたいだった(舞台裏への移動や扉の開閉、おもちゃの汽車まで使い場面転換を行っている。ステージ上で何やらやっている時に、下では男が箒で掃除中なんていう絵面まであって、ただそれだけでも愉しめる映画だった)



あまりに昔から主導権を持たない存在であるが為に忘れがちだが、日本はかつて”帝政”だった。今のように象徴としてだけの帝ではなく、実質の権力を持った帝が居たのだ。

それが辞めることさえ周囲に伺わなければままならないお飾りになってしまったのは何時からなのか?西暦794年に始まった平安時代に、藤原氏が”摂政”と言う実質の有る存在になったのが始まりだったのだろうか?

なんにしても、日本における”王様”は早くに力を失った。紀元前から20世紀まで皇帝が続いた中国や、1200年代から1900年代まで皇帝が居たロシアなど、隣国に眼を向けてもそれは明らかだ。しかしまあ、そのお陰で滅ぼされず今に至るのだから、大したものではある。もしかすると脱獄を夢見る虜囚のように、復権に向け準備していたりするのかもしれないが....



権力を持った王の時代が長い国になればなるほど、こういったスキャンダラスな出来事が歴史の中に目白押しだったりするのでしょうね。






関連過去記事


web拍手 by FC2
posted by lain at 07:19 | 北海道 ☔ | 映画 欧州 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
2016年08月15日

人は考えることで人に成る「ハンナ・アーレント」マルガレーテ・フォン・トロッタ(監督・脚本)/感想

 ブログを書くようになってから、終戦記念日であるこの時期は戦争を扱った作品に触れるようになった。銃で飢えで迫害で、数え切れない人が創作の中でも死んでゆくわけだが、1年、また1年と戦争から遠のく度、”陶酔”を含んだ内容の作品が増えて来ているようで少々残念だったりする。派手に銃弾が飛び交い、兵士の悲哀がドラマチックに描かれているのは確かに甘美なのかもしれない。でも、根本的な問題に踏み込んだ作品がもう少しあっても良いのでは無いかと思うだ。

 去年はそういう意味で実に良い作品に出会えた。塚本晋也監督の「野火」である。極限状態の人間が”思考”することの困難さ、そして、人間がいかに葛藤しようとも、世界(自然)は常に在るが儘であるということを生々しく描いた作品で、見終わった後は心底戦争は嫌だと思ったものである。今回観た「ハンナ・アーレント」からも、野火と同じく”思考”することの大事さを感じた気がした。




 相も変わらず不勉強さを露呈するだけの話だが、ハンナ・アーレントなる人物を初めて知った。ナチス統治のドイツからフランスへと亡命し、フランスがドイツに屈したせいで一時収容所暮らしになるも、夫と共にアメリカへと逃げ延びた著名な女性思想家だそうな。伝記的な本作でハンナは、他国へ亡命していたところを捕らえられたアドルフ・アイヒマンの断罪裁判を傍聴し、彼の罪を独自の解釈で記事として発表したことで窮地に立たされることになるが、彼女の主張は学の無い僕でもヒステリックな連中とは違う客観視に溢れた物だと分かる内容で、終盤大勢の前で持論を展開するシーンには釘付けになった(バルバラ・スコヴァの熱演が光る)。弾圧によって生まれた歪みを弾圧によって埋めようとする人々に悪の本質を問う勇気が素晴らしい。

 しかし、一方では理性で解決出来ない憤りを抱えた人たちの気持ちも良く分かる。いくら国を追われ、一時でも収容所に入ったことがあるとは言え、ハンナはのうのうとアメリカ暮らしの女性だ。目の前で家族をガス室に送られた人達と境遇が一緒だとは言えないだろう。客観的に思考出来たのも環境の賜物であると言われても仕方ない。思想の為に友人を失ってゆくハンナの物悲しさが、正論は人を傷つける物でしか無いのだと雄弁に語っていて、戦争はこんなところにまで葛藤を生み出すのだと、しみじみ思ってしまった。




世界最大の悪は、ごく平凡な人間が行う悪です
そんな人には動機もなく、信念も邪心も悪魔的な意図もない
人間であることを拒絶した者なのです
そして、この現象を、私は”悪の凡庸さ”と名付けました

 『悪の凡庸さ』と名付けてしまえばお洒落にまで感じる言葉だが、現代に蔓延る凡庸な悪の数々を思うと、他人事で済ませられない怖さがある。

 ルールだから

 言われたから

 いつもしているから

 そうやって思考を停止させている瞬間が誰にだってあるのでは無いだろうか?

 子供は将来の為と言われ、何に使う公式なのかも知らず解き方を学び。大人はマニュアルに無いからと手を止めて面倒な事はたらい廻し。好きでも無い、どうしてやるのかさえ分からない。ただ長年組み上げられた社会のシステムの中で生きようとして心が死んでゆく僕達は、まさにハンナの言うところの現象に囚われているのだと断言しても差し支え無さそうだ。一歩ルール作りを間違えた途端、取り返しの付か無い事態に繋がりそうで恐ろしい。こう言ってはなんだが、実に切り口の面白い戦争映画でしたね...



 あれから何十年もの時が流れた。あと30年もすれば戦後100年になる。それだけの年月が過ぎても、人間の本質はなんら変わっていないようだ。あと30年。無事大きな戦争も無く過ごせれば良いなと、小市民な僕は心底思った。
web拍手 by FC2
posted by lain at 23:21 | 北海道 ☔ | Comment(0) | 映画 欧州 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
2015年08月27日

芸能人は眼が命?「顔のない眼(原題:Les Yeux sans visage)」ジョルジュ・フランジュ(監督)/1960年

 雨が降る中車を走らせる女。

 曇るフロントガラスを頻りに気にして何処か落ち着かない。

 ふとルームミラーを弄って後部座席に眼をやる。

 そこには帽子を深く被り、ぐったりとした誰かが映る。



 車がようやく停まる。

 女は後部座席から”誰か”を引きずり出すと、川に捨てた..... 









 それなりに名の売れた医者の男が、車の事故で顔に怪我を負った娘の為に、自分を慕ってくれる秘書と共に何度と無く女性を拉致して顔の皮を剥がすというスリラーなのですが、怖いというよりエグかったです。古い映画だから特殊効果にしてもカメラワークにしても、現代のように完成されてはいないものの、顔の皮を剥がすシーンが微妙に長かったり、医者の男が報いを受けるシーンの激しさなどは今観ても結構キツイ。

 せっかく移植した皮膚が、どんどん壊死してゆく過程を収めた写真が流れるシーンもあり、当時劇場で本作を観た女性達は相当ショックを受けたのではなかろうか?



 何故「眼のない顔」ではなく「顔のない眼」なのかと思っていましたが、見終わればとてもしっくりと来るタイトルでした。娘は顔に怪我を負っているために、父親から仮面を着けるように言われているので、両目と身体の動きで感情を目一杯表現しなければならず、娘役の”エディット・スコブ”さんも相当役作りには苦心したに違いありません。

IMG_8608.jpg


 まるで自分を実験台にしているような父の呪縛から解放され、娘が森へと歩み去るラストシーンがとても詩的で美しかったです。人によっては恐ろしいと感じるのかもしれませんが、僕は彼女のマスク姿も綺麗だと思いました。一旦移植に成功した時の彼女の顔より何倍もです。

 白黒映画は暗い部分と明るい部分がハッキリと出るので、顔を失った娘の仮面の白さが本当に印象に残ります。無駄に毛穴まで映るような現代の映像作品より、よほど詩的な情緒を出せる時代だったのだと変に納得していました。

IMG_8607.jpg
全然関係無いけど、劇中に登場する車がシトロエン製で独特



 オードリー・ヘプバーン主演の「ローマの休日」をわざわざカラーに着色してリメイクするなど、カラーにしたがる人も多いですが、白黒は白黒として楽しむのが吉な気がしてならないっすね(´・Д・)
web拍手 by FC2
posted by lain at 07:14 | 北海道 ☔ | Comment(0) | 映画 欧州 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする