極めると娯楽が娯楽で無くなるでしょ?「高校生ぃぃeeeee!ステージゼロeスポーツ甲子園」感想

つい先達て野球の甲子園が閉幕したばかりだが、兎に角日本では高校生の頂点を決める大会に”甲子園”と付けたがる。気合と根性と陶酔で、少々の社会的問題には蓋をする常套句とも言える3文字だ。ゲーム好きとしてはeスポーツにおいて甲子園が開催されることは、決して悪いことでは無いと思うものの、いち早くeスポーツが盛んになっている地域でゲームの中毒性を危険視する声が強まっている時代に、ゲームをどんどんプレイさせて子供達の競争心を煽るのは、野球の甲子園同様に彼らの”その後”を一切考えていない大人の無責任さの現れでもあるかもしれない。






誰もがゲームしかやらない世界など正直ディストピアでしかない。ゲームに夢中で誰も生産的な仕事をしなくなり、ゲームを作るのもAIの仕事でバランスだけが売りの合成物質を食べながらゲームに疲れたら寝る。最後にはそういった社会のインフラ整備を担う人間すら居なくなって、ゲームを遊ぶ環境自体が死に絶えるかもしれない。そんな未来でもゲームだけをしていたいと本当に思えるだろうか?



しかし今はそんな極論は棚に上げておくとして、実際に一職業としてプロゲーマーが食べていけるまでの時代になって来ているのに、いつまでもゲーム好きの子供らを日陰の元に置いておくのは非常に勿体無いのも確かなことで、どうせそのうち限界を迎えるなら全力でプレイ出来る時期に腕を試させてやりたいとスペックの落ちた中年ゲーマーの一人として思ったりもした。日頃からゲームなど人生の役に立たないと言ってくる周囲の人を見返せる場を手に出来るなんてハッキリ言って羨ましい。まあ見返すどころかプロゲーマー顔負けのえげつないガチ対戦が繰り広げられていたから、ここまで極めようとしていたら楽しいより辛いことの方が多そうで少し心配でもある。殺伐としたゲームプレイばかりしていたら老けるのも早そう......





ゲームは生産的な娯楽ではない。心身と時間と金を浪費するだけと言われても反論するだけ格好悪いほどに。でもそれら全てが無駄ではないのも確かで、結局は得た何かを生きる上で役立てることが出来るかどうかでゲーム好きの人生は180度違うものになるのかもしれない。

ゲームでもなんでも休み休みやったらいいよね.....






posted by lain at 06:53北海道 ☔ゲーム

直接が間接になっても友達付き合いは面倒だったりする話

ファミコンを持っていなかった小学生時代、”お前は持っていないから話しても無駄”という友達の態度にやられながらも、遊びたくとも遊べないゲームの攻略本を買って熟読する日々を送っていたりしたものだが、あの頃とは違う意味で今も疎外感が拭えない。



その昔ゲームは”対戦”する為に誰かの家、もしくはゲームセンターに行かねばならなかった。ネット対戦などPCの環境が整っている場合だけで、しかも動きの激しいものではなくターン制のゲームが殆ど。だからどんな場合も他人と直にコミュニケーションを取る必要性があった。毎日顔を合わせている友達相手ならば気心が知れているから、なんてことはなかったものの、ゲームセンターは独りで遊びたくとも粘着質な赤の他人が対戦を要求して来るのが嫌で嫌でたまらなかった。それから時代は移り変わり”自宅”で世界中の人とゲームをやれるようになったけれど、これがまた実際に顔を合わせるのと同じくらい面倒だったりする。

何が面倒って、対戦相手もしくは共闘者が気に入らないことがあった場合、嫌がらせやボイコット、最後には回線切断も辞さないことが多いこと。顔を突き合わせていれば起きないこと(逆に直であればこそ起きるトラブルもあるけれど)起こさないことが、ネットのように間接的なものになると子供や外人さんも多いからトコトン拗れてしまったりする。最近よく遊んでいる3on3 FreeStyleなどは、毎日のように運営への報告案件が複数発生するほどの荒れ具合だ。ある意味ストリートバスケゲームらしいリアリティかもしれない(皮肉)



予め登録していたフレンドとチームを組んだり、ボイスチャットを常時使えばそんなことも少ないのかもしれないが、フレンドに気を使いながらプレイするのは正直疲れてしまうし、大音量な生活音や暴言ばかり聞こえてくるボイチャにはウンザリである。幾つかのゲームで過去にフレンドとボイチャをしながらやったこともあって、確かに楽しかった時もあった。でもどうやら自分の性分には合わなかったようである。一期一会にかける野良マッチの気軽さを捨てるだけの価値を感じない。

ただ、Xboxをメインで使っていると切なくて仕方ないこともある。フレンドとのマッチングで解除される実績が非常に多いのだ。普通に独りで遊んでいたら半分ほどしか解除出来ないゲームすら存在する。正直言ってコレが一番野良には辛い.......特段実績厨というわけでもないけれど、いつまでも散々やり込んだゲームの実績が中途半端に終わるのは、それこそ性分に合わずモヤモヤする.........




それでも利害のためにフレンド関係を利用するとかしないとか、そういうのはもうやらないだろうと思う。

リアルで人間付き合いが面倒な男は、ネットも同じく面倒くさがりな男なのである
posted by lain at 06:56北海道 ☔ゲーム

未だここは最前線だ「エースコンバット3 エレクトロスフィア」ナムコ/1999年/懐ゲー/感想

僕は飛行機が嫌いだ。主に自分ではない”誰か”が操縦する飛行機に乗るのが嫌いだ。

車の運転は自分の腕でなんとかなるかもしれないし、船は泳げさえすれば生存率もゼロではないけれど飛行機はまずい。何か起きた時にはほぼ助からない。脱出装置が付いていたり、パラシュートを身に付けていても逃げ損なってパイロットが亡くなる痛ましい事故は絶えない。ただ航空機は搭乗者が多い分、事故が起きた時のインパクトはでかいが事故率はかなり低い。一概に飛行機は危ないとは言えないのも事実。それでもやっぱり”墜ちたらどうしよう?”と考えずに居られないのだ.....


そんな腑抜けではあるものの、昔から飛行機のゲームは好きで、特に戦闘機で戦うアーケードライクなものをよく遊んでいたものである。FCの「スターラスター」でワープの格好の良さに痺れ、FM-TOWNSの「アフターバーナーⅢ」で弾避けのスリルを覚え、PSのエースコンバットでは空戦の気持ち良さを知った。そしてそのエスコンの中で一番好きだったのがこのエースコンバット3エレクトロスフィアだった。




あの当時就職して1、2年といったところだったと思うが、働いて金を手にしたせいか、それまで以上にアニメを見ていた自分の前に、美麗なアニメーションを引っ提げて現れたエスコンの新作は衝撃的な出会いだった。PS初期に登場したエスコンは、それまでお茶の間では味わうことが出来なかったものを提供してくれていたが、個人的には少々お堅いイメージで、具体的なストーリーの掘り下げはユーザーの想像力にかかっていた。それはそれで良い方向性だとは思うものの、アニメに育てられた身としては、それだと没入しきれないものがあったのだ。エレクトロスフィアはまさに、それを埋める全てがあったと思う。勿論アニメーションの出来だけの話ではない。電脳化と特異な主人公の設定や各陣営を骨までしゃぶ尽くすストーリー分岐、そしてそれらを盛り立てる空戦のシチュエーションと音楽、どれをとってもプレイする”人”を意識した作りで中毒性のあるフライト体験だった。その後、エスコンはどんどん映像を使いストーリー性を高めていったことからしても、エレクトロスフィアは大きな分岐点であったに違いない。


電脳化と前記した通り、サイバーパンクな内容である点も実に好みであった。エスコンとは関係ないが「serial experiments lain」も同じ時期の作品であるし、劇場版「攻殻機動隊」の成功後の世界であるが故に生まれた作品は数知れないのだろう。

エースコンバットの世界観で未だ最未来であり続けるエレクトロスフィア。あの美しくも恐ろしい空の正当な血脈は絶えてしまうのだろうか?....



またあの美しい流線型フォルムの飛行機に乗りたいものである。
posted by lain at 06:52北海道 ☔ゲーム