日がな1日見ていたい動画達

子供の頃、要らなくなった機械をバラすのが好きだった。

普段見ることの無い装置の中身がどうなっているのか気になっていたのもあるが、単純に物をバラバラにするのが好きだったのかもしれない。


なんかちょっとそう書くと、自分が非常にサイコパスに思えてきたが、男の子なら機械に興味を持つくらいのことはよくある話だろう。問題はバラしたあと元に戻せるか否かの差しかない。残念ながら僕はメカニズムをちゃんと理解するまでの根気や執着が無かったため、仕事もそうした方面には就かなかった。

だから、小難しい構造の機械を手際良くバラし、元に戻せる人の仕事っぷりに憧れる。






今の時代は本当に面白い。ぼんやり生きていたら知り得ないことがキーを叩きクリックするだけで身近にやってくる。「分解 ASMR」だなんて検索しなければ、一生目にすることがないかもしれないものが見れてしまうのだ。

この手の動画は手際と純粋な作業音だけで成り立つのが良い。無駄に喋る人、作業で手が止まる人は正直お引き取り願いたい。ASMRだから無闇に音を立てる人も個人的には好きでは無い。たまたま気まぐれで検索しただけなのだが、この条件に合う動画はなかなかヒットせず残念だった。

数少ないなかでも”46works”さんの作業は心地よかった。自分が求める条件がここまで揃っている動画が真っ先にあったと云うことは、需要がある証拠なのだろう。同様の動画を探すと海外の人のものが多い。日本の職人はもっと自分の仕事をアピールすべきだなと思った。喋る必要はない。いつもの仕事をするだけで充分なのだ。








結局日曜は、ひたすら機械をバラしたり直したりする動画を見て過ごしてしまった。他にやりたいこともやらなきゃいけないこともあったにも関わらずだ。でも、心なし満足感が優っているから、良い時間の過ごし方だったのかもしれない。

壊すのも良いが、直すのはもっと良いなと思った。






元々、”いいちこ”の分解CMでこうした動画に興味を持ったわけだが、そのいいちこの動画人気なんて哀しい....バラすだけだけど、本当に良い動画なので見て欲しいものだ......


posted by lain at 07:01北海道 ☔雑記

飛べない豚から飛んだ豚へ

”飛ばない豚は、ただの豚だ”

紅の豚でポルコがジーナに格好付けるシーンの名台詞だが、初めて聴いた時には「飛んだって豚は豚だろ?」と、ちょっぴり思ったものだった。ただ、なにぶん森山周一郎さんの渋い声でそれを言われるものだから、野暮なことを思いつつも、自分もそんな台詞を臆面もなく口に出来る男になりたいものだなと、豚で有り続けようとする男に憧れてしまったのも嘘じゃない。

しかしながら自分が同じことをやっても、ひたすら馬鹿にされるだけなので、ひたすら残念だ...



彼の私生活がどのようなものだったかなんて、知るよしもないし、知る必要もない。実写でその姿を目にしたことが(ドラマTRICKで一瞬見た)個人的には殆ど無かったこともあって、その渋い声だけが自分にとっての森山さんの全てだった。

残しておくなら今のうちだとヌードを撮る人がたまにいるけれど、まさしく美しい部分だけを記憶に残して死んでいけたら最高の人生だと思うのだ。

そんな意味においても信用に足るプロだった森山周一郎さんには、ありがとうと一言お疲れ様と言いたい。

本当にお疲れ様でした.....
posted by lain at 07:10北海道 ☔雑記

死に近づく日に感謝の言葉を

先週末の土曜日の肉の日、42度目の誕生日を迎えた。

その日も普通に働き、普通に草臥れて帰宅したわけだが、普通に日付を記入するような事務仕事もこなした割に、自分の誕生日であることに気づきもせず、帰宅後家族に言われてようやく思い出した。日頃から自分の誕生日なんてどうでも良いと言い続けて来たが、とうとう気づかない程どうでも良くなって来たようである。


「誕生日を迎えると云うことは、死に一歩近づいた証拠でしかないのに何がめでたいのか?」



これまでそう嘯いて来た。それは本心でもあるし、逃れられない真実でもある。でも生まれてきたことを肯定する意味での「おめでとう」があることも分かっている。そしてその手の言葉に最近弱い。独り強がっていられる季節は、とうに過ぎ去ってしまった。42歳とはそういうものなのだ。

Twitterで誕生日を失念していたと素直に呟いた土曜の夜、正直”いいね”すら期待していなかった。何せ土曜の夜だ。ほとんどの人は休日である。呟きを逐一見ている暇などないだろう。にも関わらず数人の方が返信までくれた。「おめでとう」と。年下のフォロワーはいつもより堅く、同年代に近い人はざっくばらんに言葉をくれた。普通に嬉しい誤算だった。

Twitterを始めて10年経ち、親しくしていた人のほとんどは呟かなくなったり、方向性がズレて絡んでくれなくなった。こちらからの一方的な”いいね”しか存在しない相手もいる。こちらの呟きに興味がない、もしくは不快だと云うなら解除なりブロックなりして欲しい無反応の相互フォローの方も増えたが、そう言っている自分も、そうしないのだから不思議な距離感である。



どんな形であれ、繋がっていることに安心を得ているのだろう。どんなにスタンドアローンでありたい、自分はそれで大丈夫と思っていても、心の深いところでは誰かや何かを頼ってしまう自分がいる。身体以上に心を蝕むコロナ渦であればこそ、強くそう感じる出来事だった。




おめでとうを云える全ての人に、おめでとうが届く世界でありますように。

そう祈るくらいは許されそうな気がした。
posted by lain at 02:20北海道 ☔雑記