セコマの伝説がまた1ページ.....

ふと「最近泣いたのいつかな?」などと、ベタなことを考えてしまったが、哀しかったり辛かったりで泣くのは意外としょっ中だから普通に泣いているなと思った。直近では暴走車両のせいで命を落とした子供達の親のコメントに涙腺が耐えきれなかったものである。

でも流石にラーメンに泣かされたのは初めてだ.....

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随分とツイッターが「刺激が強い」「セコマの悪ふざけが酷い」「美味しい!」と騒がしかったものだから、ついうっかり出来心で買ってみたわけだけど、まさか本当にここまでとは考えていなかった。珍しくカップ麺相手にわくわくしながら湯を注ぎ込み、待ちきれない想いそのままに3分後蓋を剥ぐって、まずは臭いを嗅いでみようとしたら鼻がやられる前に湯気で目がヤられるラーメンなど人生で初めてだった。なるべく容器の上に顔をもって行かず、鼻で呼吸しないようにして食べないと即むせて吐き出してしまいそうになるレベルのわさび味など、テロと言われても仕方のない話かもしれないw

味は普通に美味しい塩ラーメンで、唐辛子系の辛味と違い口に辛さが残らない食べ心地も良い。ただ、スープを飲みきった後の胃袋はズーンと重くなる。身体が刺激に耐えかねているかのようだった。身体を巡りきったあとの”おトイレ”が若干怖い.....あれ?わさびは影響無かったっけな?......お尻に...........🚻






この山わさび塩ラーメン。以前発売された同商品のパワーアップ版というから良い意味で『正気か?』と皆楽しんでいるようだ。セコマが生活圏になくて送料や複数量固定の販売形式が気にならないという人は、出来心で買ってみてはどうだろうか?話のタネには必ず役立つことでしょう。

わさびと同じでスッと消えてしまう話題かもしれないけれど......
posted by lain at 07:15北海道 ☔雑記

無神論者は孔雀と九字を切る

「孔雀王」の作者として有名だった漫画家”荻野真”さんがつい先日亡くなられたが、孔雀王と言えばエログロな内容だけでなく、宗教色を強く感じる呪文が魅力的な作品として記憶に残っている。「臨兵闘者皆陣烈在前」「オンマユキラテイソバカ」などなど、作中主人公が化け物を退治するため唱える呪文を自分も成り切って暗唱をしていたりしたものである.....

こういうのは誰でも通るものなのではないかと思っている。古くは悪魔くんのエロイムエッサイムなんてのもあれば、みんな大好きジブリの「天空の城ラピュタ」にも有名な呪文はある。孔雀王より先に九字を取り入れ宗教をライトなユーザーに向け発信した「宇宙皇子」も大いに沢山の人を中二病へと誘った。そういう意味でいうと、実に罪深い人たちなのかもしれないw



孔雀王は何度となくシリーズを休めては名を変えて続いて来た作品のため、正直自分は”退魔聖伝”までしかちゃんと読んだことがない。亡くなられたのをきっかけに新し目な孔雀王を読んでみたが、馴染みのキャラが軒並み若返っているうえ、絵のタッチは当然のように変わっていた。しかし荻野さんらしいプロットや作画の味は残っていたから、10数年振りでも普通に孔雀王として楽しめてしまった。これはちょっと退魔聖伝後を順に追ってみたくなる。



もう続きが読めないのは寂しいことかもしれないが、ごめんなさい、もうこれ以上新刊が増えないからこそ、これから読むのが楽という気持ちも少しあります。先が見えない山への登頂は結構しんどいものなので......ファイブスター物........


まだお若いうちに亡くなられたことは、本人が一番残念に思っていることでしょう。

お疲れ様でした....

posted by lain at 07:21北海道 ☔雑記

明日からも普通の自分は続く。

”平成最後の”な波に乗りたいわけでも無いけれど、なんとなしに自分にとっての平成とはなんだったろうか?と柄にもなく考えてみたものの、直ぐには答えが出なかった。

昭和天皇が亡くなった時や、平成という元号が発表された時のことはよく覚えている。流石にTVで鬱陶しいほど流れていた。正直子供には天皇が誰でも関係なくて、いつもの番組が天皇崩御の特集番組で潰れていくのがただただつまらなかったものである。親も連日の報道に飽き飽きしたのか、僕らを連れてビデオレンタル店(当時レンタル屋がようやくメジャーになって来た頃でもあった)へ行き大量のビデオを借りて観たのも割と良い思い出だ。その時一緒に借りてもらったドラクエⅢのサントラもカセットテープに入れて擦り切れるまで聴き続けたなぁ....

結局、思い出されるのは小学6年〜中学生の時のことばかりで、色んな人に迷惑をかけ傷つけ傷つけられたことが真っ先に脳裏へと浮かび、あの人はまだ生きているだろうか?あいつはだいぶ禿げたかな?あの子には幸せになってて欲しいなどと、感傷ばかりが通り過ぎる。自分もいつの間にか、こんなに歩いていたのだと思い返すのには良い機会なのかもしれない。



ただ、別段”平成”だからという生き方をしたわけではないなとは思う。令和に変わってもそれは同じだろう。昭和だろうが平成だろうが令和だろうが関係なく、喰うために働き、草臥れて飯を食べ、僅かな時間を娯楽に縋ることですり減らし、いつ寝たのか分からないまま次の日も働く日々が死ぬまで続く。生きている限り、これからも沢山迷惑をかけ、傷を与え合うのだろう。ごく稀に訪れる小さな喜びに支えられ忍耐を続けるのだろう。そこに元号の入る余地など存在しない。

天皇や元号は不要。そう言い続けてきた自分だからそう感じるのかどうかは分からない。今が何年なのかどうでも良くなるくらい歳をとってしまったせいもあるだろう。この程度の節目で人生が変わるなどと信じられる人を可愛らしくさえ思う。新たな船出の刻が来たという実感より、これまで多大な苦労を背負ってきた老夫婦を労う日が訪れたことの方が僕には重い。そこいらのサラリーマン以上に引退後に何をして良いのか分からないなんてことになりやしないか心配である。



男は仕事を辞めると直ぐに逝く。平成天皇と皇后にどれだけ残された時間があるのかは計り知れないが、少しでも充実した余生を送って頂けたら幸いだ。本当にお疲れ様でした......


posted by lain at 07:03北海道 ☔雑記