俺の◯◯の日はいつですか?

ゴールデンウィークと云う物が当たり前になったのはいつのことだったか思い出せないが、それと同じくらい子供の日以外なんの祝日なのかが思い出せない。

Wikipedia先生に書かれている内容では、4月29日の昭和の日から子供の日プラス振替休日までの日が一般的なGWらしい。自分は29日を2日に振替てようやくの5連休だが、大手の会社や呑気な人達は有休まで使って1週間以上休んだりしているから羨ましい限りだ。まあ、この間も全く休みなく働いている人よりも確実にマシではあるだろう。


正直そんなことよりも、中年独身男にとって卑屈にならざる得ないのは◯◯の日と云う恩恵をまるで感じないと云う話だ。子供の頃は子供の日があり、鯉のぼりを上げたりなんだかんだで盛り上がる。子を持つようになれば父の日、母の日と死ぬまで祝って貰える。じゃあ独身を選んだ人間の日は無いのか?とは世の中ならないのである。日頃いくら休日出勤しようが、勤労感謝の日ですら休めず、誰かを祝い続けるだけの人生。そりゃ一体どういう嫌がらせなのか?独り身が寂しいのは自分の問題だが、独りでもちゃんとした納税者だ。ならそういった人間を大事にする日が1日だけでもあって良いでは無いか。何処かを探せば独身に優しいマイナーな◯◯の日があるかもしれないけれど....




独身者は非常にコスパが良い。国の手当という手当の厄介になることがほとんどないのだ。だからと云うわけでもあるが、将来どんな大人に育つか分からない子供だけでなく、今を支える人間にも優しい社会が望ましいと思ってしまう。

こんなくだらないことを子供の日に考えた自分に苦笑いする他ないが、それでも俺は父でもなく母でもない大人の日が欲しい。年老いたら我慢するものだなんて知ったことではない。誰も好き好んで大人になったのではないのだ。

最低限先に生まれた責任は持つつもりだが、ただそれだけである。一方的な忍耐など真っ平御免。抑圧された子供がいつか暴発するように、大人だって我慢すればいつか爆発するだけなのだと皆が肝に命じておいた方が良いだろう。





キレるのは子供だけの専売特許ではないのだから。


posted by lain at 08:46北海道 ☔雑記

声優を抱える事務所は酒と煙草に代わる発散方法を推奨して欲しい....後生ですから....

数年前、病気療養で一時仕事を休んだ後、現場に復帰していた藤原啓治さんが亡くなった。僕らは当然身内でもなんでもないから、なんの病だったのか?完治したのか?等は分かっていなかった。こうした結果に繋がったと云うことは、つまりそういうことだったのだろう。

近年はまるでクレヨンしんちゃんなど見ていなかったし、アイアンマンもさほど興味が無かったため、個人的に藤原啓治さんの声で印象に残っているのはエウレカのホランドやハガレンのヒューズのような重要なポジションを占める脇役達、そして様々な作品でのナレーションのお仕事だったかもしれない。器用に声を使い分けるようなことは出来ない方だったからこそ、一声聴けば誰なのか分かってしまう方だったなぁと思う。優しい中にも厳とした意志があって、飄々としていてもそれだけではないものを匂わせる、主役以上に作品に貢献出来る存在でした。本当に惜しい人を亡くしたとしか言えません.......







こうした時期に、またも辛いニュースが重なるのはしんどいばかり。

そろそろ声優の短命を嘆くのもいい加減嫌になる......


あぁ....どうせならコロナが居なくなれば良いのに.........

posted by lain at 07:23北海道 ☔雑記

笑いの便秘に効く男だった

子供の頃の娯楽の頂点と云えばTVだった。学校から帰って来てからの夕方アニメや、夕食時のバラエティ、親が良いと云う時だけ観れた21時からの2時間物の映画やドラマ等々、暇さえあればTVを観ていたような気がする。

とは云え、あの当時は今のように各部屋、家族それぞれが好き勝手に観れる環境に無かった。貧乏で何台も買えなかったと云うのもあるが、妙に家族一緒に観たがる癖が昭和の家にはあった。一家団欒どころか日本全国が一緒になって特定の何かを観たり聴いたりしたがる時代だったのだ。だから当然チャンネル争いも熾烈で、好きな番組を毎週欠かさず見るのはまず不可能。ビデオデッキが増えてもそれは変わらなかった。結局”それ”も取り合いになるからである。1人っ子の同級生がどれほど羨ましかったかしれない......お年玉的にも........




そんな子供時代に、本当に沢山笑わせてくれたのが”ドリフターズ”であり”志村けん”さんだった。今更説明の必要すらない(若い子はググってくれ)”8時だョ!全員集合”の編集での誤魔化しが効かない生放送(生でない場合もあった)のテンポ感を維持したままセットとネタを入れ替え続け、お茶の間に笑いを届けると云う挑戦的な試みは未だに超える物がないくらい凄いものだった。懐古趣味だの老害だの言われても良い。こればっかりは信じて疑わない。トラブルが起きてもそれを即興で笑いに変える機転が本当に素晴らしかったのだ。特に志村けんは調子に乗り過ぎてミラクルを起こす天才だったように思う。人間関係や番組作りの行き詰まりもあって週単位の全員集合は終わってしまったが、その後もSP枠で放送されていたし、”加トちゃんケンちゃんごきげんテレビ”や”志村けんのだいじょうぶだぁ”でも沢山お世話になった。あの頃の俺の笑顔のほとんどは彼が生産していたと言っても過言じゃない。

現在ならきっと深夜アニメを親の方々は見せたくない番組と名指ししそうだが、僕らの時は志村けんの番組全般が親が子に見せたくない番組だった。何度も親に「そんなくだらない番組見るのやめなさい」と言われてもお構いなし。TVを消されたりもしたけれど、それでも次週の同じ時間になればチャンネルを合わせた。そんなの観てたら馬鹿になると言いつつも、自分だって笑っていたのを俺は知っていた。

様々な事柄が多様化して、大勢が一つのことに夢中になる機会は減った。去年のラグビーのようなことは本当に稀なことである。皆が自分に合ったコンテンツを手にし易くなったと云えば聞こえが良いが、個人行動が好きな割りに寂しがり屋なところはまるで変わっていないのが人間だ。たまには誰もが同じ話題で盛り上がるのも悪いことでは無いように思う。ただ、それが訃報と云う形で無ければだ......




志村けんは死んだ。普通にあっさりと流行病が原因で。

貪欲でお調子者できっと憎まれたことも沢山あったろう。歳をとってからは動物の番組で良いオジさんをやっていたけれど、それだけの人生ではなかったはずだ。でもこんな死に方をするだなんて露程も思わなかった。なんだかんだで志村けんだから仕方ないと許されてしまうような愛されキャラだったから、ウイルスもしゃーないなぁと居なくなってくれるような気がしていた。

イギリスの首相が感染しようが、もしも安倍晋三が倒れたとしても、もしかすると『自分は大丈夫』と思っていたかもしれない人々の心が今日まさに動いたに違いない。一刻も早くこの事態が収束して欲しい。自分が感染するのも嫌だが、まだ死ななくて良い人達が死んでゆくような様を見せられるのはもっと嫌だ。




いつからかまるで笑えない。笑っても愛想笑いばかりだ。眼が笑っていないと言われるのは前々からだが、心底身体の力が抜けるくらい笑っていた時期だってあった。無理に笑う必要などないが、笑って過ごせるならそれにこしたことはない。

こんな俺のような人間を笑わせるために自分の笑顔を殺すのが、芸人という職業なのかもしれないなと思った。
posted by lain at 21:44北海道 ☔雑記