京アニは萌える処だ、燃やすべき処ではない.....

アニメは作り物である。

現実には美人で世話好きの幼馴染も居なければ異世界も存在しない。人型ロボットに人間が乗って戦う未来だってまず無いだろう。人間が乗るよりAIに任せた方が効率よく人を殺せる兵器に仕上がるのだから。そう、アニメは存在しないからこそ行ってみたい世界を構築する場なのである。

存在しないのだから、そこで描かれる喜怒哀楽だって当然嘘っぱちなのだが、僕らは当たり前のように感情を引き摺られ、体温すら無い者たちに一喜一憂させられてしまう。嘘の中に隠れた本当を感じ取っているのか?それともただ自分を重ね合わせて第三者を介し己を哀れんでいるのか?何にせよ絵と音と本の表現が豊かな作品になればなるほど爪痕を深く残して去っていく。”京都アニメーション”も、そんな爪痕を観客に残せる会社で間違いなかった。



京アニは量産と質を兼ね揃えたバランスの良いアニメ制作会社だった。分かり易くキャラが可愛いものから、骨太に心象風景を描くものまで、作画の安定だけでなく演出力も美術も卓越しているのに生産性が落ちないのが素晴らしかった。ひとえに制作スタッフ達が長年蓄積してきたノウハウとスキルの賜物だったろう。

それがたった一人の凶行あっという間に失われた。30人以上の貴重な命が奪われ、歴代スタッフが残してきた得難い財産も燃え尽きのである。あまりの出来事に311の時のような感覚が収まらない。被害に遭った建物が制作の中枢であったが故に、監督などの中心スタッフの安否も危ぶまれ、何重にも不安や哀しみが増幅されてしまい、報道を目にするたび居た堪れず涙が溢れている。





犯人にどんな理由があろうと、文化を燃やす事を俺は許せない。アニメは最早“子供向け”オンリーでも落書きでもない。世界中の人を動かす文化なのだ。それをテロ同然に奪うな言語道断。過剰に正義感をむき出しにすると、潜在犯を刺激して第2第3のこういった事件が起きると口にする人もいるが、そんなことは知ったことじゃない。人間は感情で動くものだ。その感情を殺して一体どうやって生きて行けると言うのだ?犯人は火をつけたかった。なら俺は火を消したかった。それ以上でもそれ以下でもない......






俺は物作りが好きだ。少しずつ出来上がっていく過程が堪らない。

京アニのスタッフ達が、もう一度物作りに集中出来る日々を取り戻せるよう祈るばかりだ....

posted by lain at 07:18北海道 ☔雑記

久々に病院へ行った話

五年ほど振りに病院へ行った。春先の出張後体調を崩し、屈んだり座ったりしていると右側の背中の真ん中辺りが内側から圧迫されるような症状が続いていたからだ。

理由はなんとなく察するに、睡眠の不安定さ、自制出来ないゲームと食事の偏り、そこへ出張数の激増も相俟って、安定した環境を得られなかった体細胞が正常なサイクルで活動出来なくなってしまったのだろう....と、思うものの、そんなことが分かっても終わらない症状はどんどん精神を蝕んでいくもので、ここ2ヶ月ほどは本当に笑えないし仕事にも熱は入らないし、他人を思い遣る余裕すらまるで皆無でTwitterを眺めることすら全然していなかった。



流石にこれはマズイと思い、重い心身を引き摺って地元の大学病院へ行ったわけだが、病院と言うのは本当に予約無しの数年ぶり患者に優しく無いもので、初診料を5千円以上とるくせに実際の診察まで2時間待たせるうえ、CTと血液と心電図込みで1万6千円も取られてしまう。まあ、冷静になって考えれば適正なものなのだろうと思わなくも無いが、どうせ待ち時間が長いなら、せめて待合室の椅子の座り心地くらい改善してくれたら助かる。お年寄りが多いのにあんな硬い椅子では身体が休まらないことだろう。で、結局診察結果はどうだったのか?といえば、いくつかの気になる数値はあるが、CT結果が良好なため症状の原因を特定するには材料が足りず、様子見ということで収まった。何に注意しろとも言われず、薬剤も出ず帰宅するしかなかったのである。






相変わらず症状は治っていない。生活習慣を変えるだけで治る病気だったとしても、そう簡単に身体が整うはずも無いのだから当然だ。でも、CT結果が良好だったのは正直ホッとしている。また入院するなんて真っ平御免だ。五年前もこれからは生活に気を付けようと思ったはずだが、40歳を超えていよいよ身体に優しいことをしないと生き死にに関わりそうだと痛感させられた。お金がどうの、待ち時間がどうの、椅子がどうのと文句を言えるのも命あってのことなのだ。なかなか死なない今の時代、病気をすると無駄に苦しむだけでもあるし、どうせなら楽しく生きて死んで逝きたい.....



最後に、担当してくれた看護師や医師の方々は、とても丁寧に対応してくれていたことには感謝を言っておきたい。ありがとう。病院の集めた金が偉そうでしかない人たちではなく、懸命に人命と向き合う現場の人たちに還元されることを祈っている。






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posted by lain at 09:56北海道 ☔雑記

”統一“という暴力は要らない

先週、仕事の関係で大勢を前にしてデモンストレーションをしなければならなくなり、親会社の社員や同僚、関係各社の人間が一緒になって呑気な連中の見世物になっていた。人前で何かしなければならないだけでも嫌なのに、いつもの200%増しくらいオーバーアクションで仕事をしなければならないのが本当に嫌で嫌で仕方なかった。


何よりウンザリしたのは、服装の統一や移動の練習だった。観客から分からなそう、もしくは誰も気にしなさそうな点まで指示され、元から存在しない協調性をアピールすべく何度もやらされた駆け足は近年稀にみる不快さだった。そんなに見た目の協調性とやらに価値があるというのなら、北朝鮮を超える国は無いのではなかろうか?同じ服、同じ歩き方、同じ笑顔、同じ忠誠心を持ち合わせていないとあっという間に墓の中ではあるけれど。







他人に指図されるのは真っ平御免である。国が定めた法律も存在しない土地で暮らしたいくらいだ。ただ、それもそう簡単に実現出来るものでは無いし、最低限自分に出来ることと言えば、自分が他人に生き方を強要しないようにすることなのだろう。求めるならまず与えよという精神は間違っていないはずだ。



いやほんとね、もう暫くあんな目には逢いたくないな.......集団競技の選手やバンドをやっているミュージシャン達は、美しいシンクロの為に相当なストレスと戦っているんでしょうな.......

posted by lain at 05:34北海道 ☔雑記