前置きが長くて全然作品の話してません(真顔)「GREAT PRETENDER」鏑木ひろ(監督)/WIT STUDIO(制作)/感想

日頃我々が目にするニュースの数々は大抵結末を伝えないままフェードアウトしていく。だから最初に伝えた内容が、どれだけ誤ったものであっても、そのほとんどは修正されることなく終わる。無罪のニュースが冤罪ニュースより多く報道された例は稀だ。

「どちらでもよい」

結局自分が当事者になるまでは大勢がそれくらいに考えているだろうし、それくらいに考えていなければ頭がおかしくなりそうなほど哀しい事件が日々起きている。捕まった犯罪者にも何か理由があったのではないか?などと感傷に浸る暇さえ与えてもらえない。でも、それで良いのだろう。殺すだけの理由を知ってしまったら”仕方ない”が暴走するだけの話なのだ。それこそ歯止めが効かなくなる。

同様にやられたからやり返すと云う発想も危険だ。殴られたから殴り返す。金を取られたから取り返す。そうした短絡的な発想の極致が戦争であることからしても愚行でしかないことは明らかである。あぁそれなのにそれなのに、人間は兎に角反撃が大好きだ。大好物だ。スター・ウォーズ然り、半沢直樹然り、劣勢な側に肩入れするのが堪らなく好きなようである。


だが冷静になって考えて見て欲しい。映画やドラマで登場人物の行動原理が描かれていない状況でも、同じように肩入れするかどうかと云うことを。例えば(貞本義行さんがキャラデザだからじゃないが)エヴァが碇ゲンドウの過去話を一切やらなかったとしたら、彼を擁護する人は激減するであろうし、半沢直樹にしても金が絡む以上綺麗事がまかり通るわけがないのに、彼の両親の設定一つで彼のやることが正しいとされてしまう。やっていることは金融業界の政争でしかないのにだ。

多分GREAT PRETENDERにも同じことが言えるだろう。騙されても仕方ない連中だから騙して良いと云うお話なのだから。








弱い者が強い者に知恵で勝つ。一見すればそういうストーリー構図だが、実際に彼らが弱い存在であるかと言えば否である。マフィアのボスから金を巻き上げたり、石油王を裏カジノで嵌めたりすることが、弱い者に可能なわけがない。詐欺集団の連中が脛に傷持つ者達であると描いているからこそ、見る側はウッカリ彼らを応援したくなってしまうが、基本的には強者に過ぎない。元々本物の弱者とは反撃などしない生き物なのだ。我の強い者同士の争いなど迷惑なだけ。

もしかすると、詐欺師に向いていない主人公の存在が無かったら、最後まで見ていなかったかもしれない。逆にそこをしっかり抑えてくれたからこそ、ご都合な茶番を堪能出来たのだろう。主要人物がほぼ死なない騙された側も陽気にさせるような優しい世界を、なんだかんだ言いつつ楽しんだ自分は救い難い人間だなと苦笑いしながらこれを書いている。最後にもう一度あの子の笑顔を見れた瞬間の表情など、誰にも見せられやしない.....




やり返せるだけの力があれば、そりゃあ誰でもやり返すのかもしれない。所詮何を言っても弱肉強食の世界なのだから。でも本当にそれで良いのだろうか?

この作品がフィクションで良かった。心底そう思う。