今はまだ足掻く意味を知る君よ「デカダンス」立川譲(監督)/NUT(制作)/感想

※ネタバレも含みます





明日から10月だと云うけれど、ここ半年ほど自分は一体何をやって来ただろう?

元々同じような日々の繰り返しをしている自分ではあるけど、唯一いつもの環境から距離をおける存在になっていたライブイベントが軒並み中止や延期になってしまい、本当にただ家から会社に出かけ帰ってくるばかりの人間になっていた。せいぜい映画館に胸を張って行けるようになったことだけが救いかもしれない。

僕らは昔から枠組みに入れられてきた。学校なら学校の会社なら会社のルールに。さらに言えば国毎の法律は勿論のこと、世界規模での共通ルールも無視することが難しい。コロナ禍であればこそ、ルールの前には個人の意思など関係ないことを再認識させられる。何もかも気に入らないのなら偉い立場になって覆せば良いのかと言えば、そうでもなく、もしも大統領になれたとしても支援者を無視することなど出来はしない。あっという間にクビになる。最後の手段としては北斗の拳のように力にものを言わせる手法もないわけではないが、そんなことをしても直ぐ同じように考えた者に寝首をかかれるのがオチだろう。だから、ほとんどの人間は嫌々ながらもルールを守ることになる。ベストではなくベターがあれば生きて行けるのだから。

こんなことを書いていると、なんだか良いことがまるでないように思われるかもしれないが、何もルール自体が悪と言うわけではない。最低限の自由や平和を維持するには必ずルールが必要となる。レッドカードが存在しないサッカーなど地獄絵図でしかないだろう。要するに運用する者達次第なのだ。再選を目指しているアメリカのトランプ大統領を見ていても分かるように、自分達の利益優先のアホがトップでは組織が乱れる。やるからには自分にも厳しいルールが必要だ。でもそれが一番難しいのも事実。

話は少し変わるが、世の中はヒューマンエラーをAI管理でなんとかしようとする流れにある。「それは違います。駄目です。」と機械が人間に駄目だしすると言うのである。ヒューマンエラーの多くは近道行為や思い込みや心身の不安定さによるもので、たしかにそれを的確に指摘すれば格段に減らせることだろう。しかし、人間相手でも反感を持つのにAI相手で納得出来るだろうか?そしてエラーを起こさない人間に、人間としてのアイデンティティは存在するのだろうか?





今から400年以上経った文明の崩壊した世界で、人類がガドルと云う生き物の脅威に晒されていると云う導入で始まるデカダンスだが、2話で急転直下の真実が知らされ、どうやら主人公ぽい女の子はゲーム内のNPCで、彼女の師となる男はアバターを利用して彼女の住む世界にログインしている存在なのだと云うことが知らされる。しかもその男や同族達は身体を機械化して生き残ってきた人類の生き残りで、ほぼ機械のサイボーグだと云うから何かと話がこんがらがる。人間にしか見えない者達が偽物で、人間には見えない者達が本物だと云う皮肉がたまらない。サイボーグ達が暮らす土地にドームを作ってNPCを暮らさせている設定も、通常の仮想空間物とアプローチが違って面白かった。まだこんなやり方があったかと目から鱗が落ちそうだった。

「世界にバグは不要です」と口にするゲーム世界を監視する存在に目を付けられる2人は、それぞれに出来る精一杯で世界に抗い運命を変えていくのだが、これ以上のことは書かないでおこうと思う。放送中にスルーした人達が、このブログを読んでうっかり興味を持ったりしたら可哀想だ(まずない)。兎にも角にも夏アニメにデカダンスがあって良かったと本心から思えた作品なので、見て損はしないと思われる。SF好きにもキャラ萌え好きにも刺さる汎用性は伊達ではないだろう。是非パイプの愛くるしさにも夢中になって欲しい(真顔)









それにしても普通にディストピア化が進行しているのを肌に感じるニュースばかりで世の中薄気味悪い。もしもこの先AI管理が進行して、人間を洗脳レベルで教育、もしくは物理的に機械化してエラーを消し去ってしまったとしたら、デカダンスのような泥臭いドラマは全く存在意義を失ってしまうことだろう。これからはどんどん管理したい者、されたくない者の溝が深まるはずだ。

本当にどうなってしまうのか?世界は、日本は、個人は.........






公式サイト http://decadence-anime.com/