笑えない時に笑わなきゃいけないのが人生過ぎて笑えない.....「ジョーカー」トッド・フィリップス(監督)/ホアキン・フェニックス(主演)/感想

人間と云うのは、忙しくしていると余計なことを考えずに済む生き物で、生き甲斐らしい生き甲斐が無くとも突っ走っている間は普通に生きていける。しかし根本的なことは解決していないから、一旦脚を休めてしまうと現実に押し潰されそうになり、それを払拭するのは容易ではない。そういう意味では、生きることに必死で自分の存在がどうのと云うことが二の次だったひと昔前の方が、よほど幸せな社会だったのではなかろうか?






主人公のアーサーは、コメディアン志望の道化師。道端で閉店セールの看板を持っていれば地元のガキ共に襲われたり、病気のせいで極度のストレスに晒されると突然笑い出してしまうからトラブル続きの毎日。憧れの人や、実の父親らしき人からもコケにされ、現実が彼を追い込んで行き最後には......と、いかにしてバットマンの”ジョーカー”が誕生したのか?が描かれる作品だったわけだが、聞いていた通りバットマンの系譜として見るより、独りの男がいかにして社会の闇を代表するような存在になって行くのかを目撃する作品として見るべき映画だなと思った。

それでなくとも承認欲求溢れる現代社会。何をやっても裏目に出たり、誰かの価値観を押し付けられたり、レッテル対レッテルの不毛さに辟易させられるなんてこともざらだ。正直社会に責任転嫁して暴発する人間など迷惑なだけだと思っているが、それと同じくらいジョーカーのしでかした事を他人事には感じなかった。いつの間にやら来る日も来る日も、本音を隠して笑う毎日を過ごしている自分にとって、病気ではあっても笑えない時に笑うアーサーのしんどさは身に染みている。だから明日は我が身それくらいに思わされる切実さがあったのだ。文字通り身を削り役作りをしたホアキン・フェニックスと、彼を見事に活かしたトッド・フィリップスには最大級の賛辞を送りたい。これくらいの本気を日本の若い役者にも見せてほしいものだ.......





自分は運が良い方だろう。せいぜい安月給に見合わない責任を押し付けられたり、この先の親の面倒をどうみたら良いかと云う不安や、家族以外に親しい人をほとんど持ち合わせていないことくらいしか、悩みらしい悩みはない。日に日に衰えは感じるが身体もなんとか保っている。しかしそれだけで満足出来るほど、無欲では無いことを、この作品は思い知らせてくる。僕は確実にアーサー側の人間で間違いない。にしても、うっかりこの映画をカップルで観に行ったリア充共は、どんな顔で劇場を後にしたのだろうか?憐みの目でアーサーを見守ったのだろうか?


僕は彼を憐みで見たくなかった。彼を憐れんだら、自分を憐れに感じるのと同じだと思うから....