この人が居る限り俺たちのガンダムは終わらない「Gのレコンギスタ II ベルリ 撃進」富野由悠季(総監督)/感想

正直云って、TV版を観た時ベルリの事がよく分からなかった。

アイーダさんにとって大事な人(カーヒル)だった男を殺してしまったり、自分の恩師を実力で上回り殺めてしまったりして、泣いたり落ち込んだりするわりに立ち直り方が驚異的で”こいつ本当はサイコパスなんじゃ?”とか思ったりしたものだった。

しかしこうして映画になった物を改めて眺めていると、カーヒルの一件がアイーダの中で変化しベルリとの仲が深まっていく流れがちゃんと描かれているし、恩師を殺めたことを責め立てるケルベス・ヨーを登場させベルリが覚悟を手にして行くまでを実はちゃんと埋めていたのだなと思い知らさせた。





Gレコが判り難いと言われる理由は、「こいつ誰だっけ?」と思うほどにモブにまでしっかり演技を求める群像劇になっているからではないかと思う。それでなくとも複数の組織がそれぞれ好き勝手やってるなか、更に細かい所で好きにキャラクターが動くのである、そりゃあ誰がなんの目的でここまで執念燃やしてるのか把握し難いと感じる人がいても不思議ではない。そもそもその混沌とした人間模様が好きであるとか、キャラクターやメカ、はたまた富野さんの細かな演出部分に絞って観ているという人ならば、そんなことお構い無しにTV版を楽しめていたに違いないが、自分も含め現代人の多くは最近の焦点を絞った主観的なアニメに慣れ過ぎているため、こうした作りに対する準備が出来ていなかったりする。特にGレコは26話に収まるような物量では無かったため、早いテンポに尚のこと追いついて行けなかったかもしれない。





だがようやくその距離が埋まる時が来た。自分が変わったのかGレコが生まれ変わったのか、熱心に分析しているわけではないからなんとも云えないが、TV版を観ていた時には素通りしていた部分に気付ける余裕が生まれるほどに群像劇が分かり易くなっているのは確かである。全5部作3ヶ月ペースで今のところ進んでいるため、前回の内容を忘れないうちに次がもう来たという感じなのも良い。「俺には無理だー!」と云っていた人も、懲りずにもう一度観てみて欲しい。一度でも富野作品にハマった経験のある人ならば、必ず何処か惹かれる物があるはず。過去の富野ガンダムを呼び起こさせるアイテムにもニヤリとさせられるだろう。


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改めてちゃんと見ると本当に拘りを感じる描写が多くて困る






物作りの世界だけじゃなく、生きるからには”たられば”はご法度で、言っても詮無いことなのだが、もしも富野さんに宮崎駿のような絵の細かな部分を自分で修正することが出来たなら、イメージと仕上がりが直結するガンダムになったのではないか?という気持ちだけは拭い去ることが出来ない。コンテの段階で細やかな演技付けがなされているのは知っているが、それを実際に動かす作業は宮崎ほどには出来ないわけで、そこがジレンマの正体のような気がしてならない(自分で全てやる人間ですらイメージを形にするのに苦しむのに此処までやれたら十分凄いのと、”吉田健一”さん達の仕事が云々という話ではないことだけは云っておきたい)

まあそうは云っても、宮崎駿でも高畑勲でも無い劣等感こそ富野由悠季監督を支えているのも事実で、生まれ変わって欠点が無くなった富野さんなど富野さんとは云えないことだろう。ガンダムだって生まれなかったはずだ。人生なかなか上手くいかないものである。いずれにせよ、もう御大には何度もやり直せるだけの時間がそれほど残っていない。アニメの業界が宮崎駿と新海誠のようなテイストの物ばかりでなく、富野さんのセンスに続く人が出て来て欲しいところだ。



兎にも角にも残り3作、無事に仕上がることを祈るばかりであります。

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