デス・ストランディングをクリアして残った物とはなんだったのか?........

令和2年のお勤めを始めたばかりの昨日、早速派手に”生きる”のを辞めた人の話題で持ちきりだったから溜息が出た。理由など分からないし、分かる必要も無いと思うが、本人にとってはそれが唯一の道であったかもしれないし、そうでは無かったかもしれないとも思った。何にせよ、自分の命がどうでも良くなったなら、もっと有効活用して派手に散るくらいの方が、より長い死ぬまでの時間を楽しめるのでは無いか?と考えてしまうくらいには虚しいニュースだった。


年明け初っ端に書くのが死についての話題になるのは不本意でしかないが、2020年最初にクリアしたのがデス・ストランディングだったというのも悪いタイミングだったかもしれない。大きな厄災により荒廃し分断されたアメリカを、一人の配達人が繋ぎ合わせ救って行くというのがデスストの大まかな流れになるが、死んだ人間を48時間放置すれば街一つが消し飛ぶほどの現象が起きてしまうし、街と街を分断する座礁地帯と呼ばれる場所では臍帯を付けた亡霊のような存在が”あの世”へ引き摺り込もうとしてくる。最後にはアメリカどころか人類絶滅に繋がって往くため、このゲームをかつて猛威を振るったノストラダムスの大予言的に受け取る青少年などが居ても不思議では無いだろう。

否が応でも現代に溢れる問題ついて考えさせられた。肌で感じる環境の激変、国家主導ともとれる個人主義の台頭、腐敗臭を放つようになるまで誰にも気づいて貰えない死の増加、そして独りで死ぬのは嫌だと言わんばかりの者達の捨て身の選択等々....正直気分良く遊べるだけのものでは無かったと言える。しかも安全な場所に引き篭もってばかりの連中にひたすら「頼む」と物を運ばされ、生者と死者に邪魔されつつ山や川を積荷の重みに耐えながら踏破しなければならない日々は本当に大変なものだった。プレイした多くの人が現実の配達人に対する態度を改めるようになったのも頷ける。この段階で何が面白いのか分からなくなった人も多いことだろう



あともう一つ難があると言えば、大人が子供に対する気持ちを一方的に表している側面があることかもしれない。ことあるごとに「繋ぐ」ことの大事さを説き、絆の大事さを強調する展開に辟易する現代人も少なく無いはず。ただ、そういった部分に違和感を感じながらもプレイした自分に関しては、この世とあの世を結ぶ存在として登場するBBという赤ちゃんとの旅で、誰かと繋がりを持つことも悪く無いなと素直に泣けてしまった。生まれる場所は選べないと、心底うんざりしている人にこそ、デスストは相応しいゲームなのかもしれない。

独立後1発目にこれを選んだ小島秀夫という男はやはり面白い。ただしゲーム体験としては彼の代表作メタルギアシリーズより劣ることだろう。MGSⅤでも感じたことだが、小島氏のオープンワールドは単調になりがち。どうも小島氏は限られた空間を無限に味わい尽くさせる手腕はあっても、広大な大地を無限に楽しませる手腕はイマイチに思えてならない。ついでに言うとここはムービーではなくサブキャラを動かせる仕様の方が思い入れが湧いたなという場面も少なくなった。それでなくとも語りが長くなりがちなのだから、”おつかい”の多様性だけでも、もう少し欲しかったものである。


とかなんとか言ってみたが、普通に良かった。未完の大器といった仕上がりのせいで贅沢を言いたくなるだけなのだ。圧倒的にMGSⅤより箱庭の質は向上しており、壮大な自然描写も美しく、ここぞというシーンの見せ方も流石で、海外ドラマ好きも納得の伏線やミスリードも効いており大物役者達の無駄遣いと言われないだけの力は間違いなくあった。リアルなキャラ描写とシリアスな展開だけでなく、監督の性癖とも言える悪ふざけやB級映画要素もあり心底欲張りな男が作った物だと感じたし、そんな男が作る物を大好きな自分も大層物好きだなと痛感させられた。


最初の話題に戻るが、自分は決して死にたい人に”生きろ”とは言いたくは無い。でも”生きてみたら?”とは言いたいかもしれない。デスストをプレイして、更にそんな気持ちが強くなった。生きてみたからこそ、こんな途方もない陶酔に付き合うことが出来たのだから。

生きる理由が見つからないなら、きっとそれは”探す”という選択が間違っているのだろう。そもそも生きる理由を探さなければならないのは何故なのか?我々は自分の都合で生まれたわけでもないのだから、最初から生きる理由など存在しないのだ。無駄なことを考えず、肩の力を抜いてみて、それでもやっぱり死にたいのならば死ぬしかないのだろう。それも生きるための行動で間違いはない。



どんな生き様でも良いが、死ぬ為の死ではなく、生きる為の死であって欲しいものだなと新年早々思った....







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