実は新手のハーレム物だったのでは!?「人間のように泣いたのか? Did She Cry Humanly?」森博嗣/講談社/感想

10連休とはいかなかったが、6日間連続で休めば十分身体は鈍るもので、休み明け初日は全く言うことを聞かなかった。そもそも言うことを聞かせる気に心はなっていなかったわけだが.....



心と身体は切っても切れない、なんて偉そうに並べ立てるのも気がひけるけれど、確かに心と身体の境目なんて本人には分からないし、自分が動かしているという証拠を示せと言われても、体が勝手に僕が動かしていると誤認するよう”フリ”をしているだけかもしれないからなんともいえない。何かしらの機器を身体に取り付け電気信号を測定する以外に自らの意思で身体を動かしているのだと説明すら出来ず、しかも”そんなもの”があっても本人が実感できなければなんの意味もない。

要するに何が言いたいのかというと、心だけでも身体だけでも僕らが人間である証拠にはならないということ。そしてその両方が揃っていても人間かどうかは分からないという世界がこの先待っているかもしれない。





森博嗣さんの「すべてがFになる」から連なる一連のサーガにおける、もっとも未来を描いてきた”百年シリーズ”との親和性があったWシリーズ。これまでのどの作品よりもSFをやっているものだから、こんな新規開拓が出来るうちは作家引退など先のことになりそうだと胸を撫で下ろしたのが正直なところだった。最終巻である本書では主人公であるハギリが本人の望むと望まざるとに関わらず、AIの一勢力(本作内では複数のAIが勢力争いをしており、属する国家を越えて共闘したり反目したり中立を選んだりしている)から脅威判定を受け排除されそうになるというもので、区切りを付ける一冊としてはかなり派手な展開が待ち受けていた。ストーリー全体を見れば酷く古典的なものなのかもしれないが、別人が同じ内容を書いても、この味わいには絶対にならないだろう。なんというか、良い意味で呑気な印象を受ける主人公像が森博嗣ワールドの魅力をいつも支えているような気がしてならない。




真賀田四季という天才がシリーズ同士を繋ぐことが多い森博嗣作品なので「じゃあ過去作品に明るくないと楽しめない のか?」という点に関してもWシリーズはNoと言える作品だったと思う。AIと人そして人口細胞から作られた存在の中で、生き残っていくのが人間である必要性への純然たる疑問こそが見所である限り、それらは予備知識など一切関係なく単独で堪能出来る。無論今まで様々な形で投げかけられてきたものを知っていると、違う何かがこみ上げてくるのはあるだろう。

いっそのことシリーズを何処から読んでも楽しめそうな気すらするが、ついでに言ってしまうとラノベのハーレム物のように楽しむことすら可能である。実際僕は最後も頬が緩みっ放しで読んでいた。機械的でありながら空気を読むことすら出来るトランスファーや、人間と見紛うレベルのロボットの姿を借りて現れるAI等に人間性を感じて心を奪われたり、人造人間同然のウォーカロンの不遇に胸を揺さぶられつつも、ウォーカロンの如く笑わない正真正銘の人間の女性に惹かれていく主人公など羨ましいとしか思えない。時折ご褒美のように真賀田四季が彼の前に現れるのも含め、こんな贅沢で品の良いハーレム物など滅多にお目にかかれないはずだ。

童貞で大した恋愛経験もない40男が本作を愛の観点から語るなど烏滸がましいにも程があるが、自分が誰かを愛する前提が何処にあるのかを考えさせられるような側面もあったのは確かなことだった。恋愛脳で読めば読むほど、未来の愛の形を真っ先に受け入れる土壌を持つのは2次元を愛するオタク達だろうという確信も深まる。


本シリーズはWがWWとなって新シーズンが始まる様子。技術の進歩と共に衰退する人類とハギリ先生の愛の行方はどうなっていくのか実に楽しみでしかない。