明日からも普通の自分は続く。

”平成最後の”な波に乗りたいわけでも無いけれど、なんとなしに自分にとっての平成とはなんだったろうか?と柄にもなく考えてみたものの、直ぐには答えが出なかった。

昭和天皇が亡くなった時や、平成という元号が発表された時のことはよく覚えている。流石にTVで鬱陶しいほど流れていた。正直子供には天皇が誰でも関係なくて、いつもの番組が天皇崩御の特集番組で潰れていくのがただただつまらなかったものである。親も連日の報道に飽き飽きしたのか、僕らを連れてビデオレンタル店(当時レンタル屋がようやくメジャーになって来た頃でもあった)へ行き大量のビデオを借りて観たのも割と良い思い出だ。その時一緒に借りてもらったドラクエⅢのサントラもカセットテープに入れて擦り切れるまで聴き続けたなぁ....

結局、思い出されるのは小学6年〜中学生の時のことばかりで、色んな人に迷惑をかけ傷つけ傷つけられたことが真っ先に脳裏へと浮かび、あの人はまだ生きているだろうか?あいつはだいぶ禿げたかな?あの子には幸せになってて欲しいなどと、感傷ばかりが通り過ぎる。自分もいつの間にか、こんなに歩いていたのだと思い返すのには良い機会なのかもしれない。



ただ、別段”平成”だからという生き方をしたわけではないなとは思う。令和に変わってもそれは同じだろう。昭和だろうが平成だろうが令和だろうが関係なく、喰うために働き、草臥れて飯を食べ、僅かな時間を娯楽に縋ることですり減らし、いつ寝たのか分からないまま次の日も働く日々が死ぬまで続く。生きている限り、これからも沢山迷惑をかけ、傷を与え合うのだろう。ごく稀に訪れる小さな喜びに支えられ忍耐を続けるのだろう。そこに元号の入る余地など存在しない。

天皇や元号は不要。そう言い続けてきた自分だからそう感じるのかどうかは分からない。今が何年なのかどうでも良くなるくらい歳をとってしまったせいもあるだろう。この程度の節目で人生が変わるなどと信じられる人を可愛らしくさえ思う。新たな船出の刻が来たという実感より、これまで多大な苦労を背負ってきた老夫婦を労う日が訪れたことの方が僕には重い。そこいらのサラリーマン以上に引退後に何をして良いのか分からないなんてことになりやしないか心配である。



男は仕事を辞めると直ぐに逝く。平成天皇と皇后にどれだけ残された時間があるのかは計り知れないが、少しでも充実した余生を送って頂けたら幸いだ。本当にお疲れ様でした......