元号ひとつで大はしゃぎ日本

まさかの生前退位で幕を閉じることになる平成。それに代わる元号が”令和”と昨日発表されたわけだが、個人的にはあまり第一印象が良くなかった。一見して意味が伝わりにくいこと、昭和が近くにあるにも関わらず”和”に頼ったこと、そして陳腐な陶酔が隠しきれない選考理由がいかにも安倍晋三らしく感じられ愉快な気分になれなかったのだ。

勿論安倍晋三一人で決めたわけではないのだから、それこそ彼がしゃしゃり出て来なければ印象が変わっていたかもしれないし、数年経てばなんの違和感もなく受け入れられるかもしれない。安倍から取って”安”の字を使ったりしなかったことも密かに評価している。あーだこーだ言う暇があったら、決まったものは決まったもので、受け入れ有効に活用すべきなんだろう。それでも「これしか無かったの?」という気持ちは、まだ拭い去れそうにない。母上など「辞書を引いて真っ先に出て来る意味が命令じゃないか!」と、こちらがドン引きするレベルで拒否っていたりもした。同じ文字であっても全く違う意味合いがあったりする日本語らしいエピソードではないだろうか?





多くの人は悪くない印象を受けたようだ。クールで格好良いと言っている人もいる。結局は多数派が決める社会、少数派であることは寂しいが、感じ方は千差万別あって然るべきである。個人の納得云々以上に、良い運気をもたらす元号であってくれることが全て。事務仕事での混乱の方が気になってしまう。令和が終わる時、令和の時代は良かったなぁ〜と呑気に言えたら万事OKなのだ。まあ、次の元号になるまで自分が生きているかどうかは分からないけれど............

新元号の号外に群がる馬鹿ども。いつもとは違う緊張と喜びを隠せない菅官房長官に萌える人々。れいわの響に擬人化を擽られたオタク達。普段はベクトルが違う人々がわいわいと一つのことに夢中になるのは久々な気がする。仕事で使うのは西暦の方が断然良いが、元号という風習もこういう瞬間だけは悪く無いなと思った。