クロスオーバー作品の豊富さより、VR社会の怖さが身にしみた....「レディ・プレイヤー1」スティーヴン・スピルバーグ(監督)/感想

僕はここ10年の間に、ゲームに対するアプローチがガラリと変わった。

それまではストーリーを味わえる作品以外、あまり長時間遊ぶことが無かったのが、時流に乗ってマルチ対戦専用のゲームを遊ぶようになると、時間の無駄と切り捨ててきた基本無料ゲームにまで手を出すようになり、今ではすっかり日常生活を圧迫するようになっている。


そうした現状に甘んじている理由としては、普通に”飽きた”が挙げられるかもしれない。キャラクターに依存し、何処かで味わったような展開に終始するJRPG。独自のゲーム性を追求する気も無ければ、ハードの性能を引き出す気も無い版権頼みなタイトル。どれほどリアルに作り込まれた映像美の世界とレベルデザインであっても、結局は”おつかい”でしかない箱庭ゲー。どれもこれもすっかり遊び過ぎて疲れ果ててしまった。

マルチ対戦だって疲れはするが(主に人間関係)、相手がCPUでない分眠気とは無縁で、仕事疲れの社畜を活性化させるのには一役買ってくれるし、無料ゲームも過剰な課金さえしなければ、フルプライスゲームを当たり前に買うよりお得に遊べ、キャラの育成とストーリーを長期に渡って楽しめる。もしかすると心身とお金の自由がきかなくなってきた人間らしい方向転換なのかもしれない。



そんな飽きが進行したおじさんにとって、VRは新たな体験の場として唯一に近い希望なわけだけれど、確かにVRが普及した場合本作のように廃人だらけの社会を作り出す可能性は否定出来ない。というか、今現在既に、僕らはゲーム会社の奴隷も同然ではあるが......






トレーラーハウスにもほどがあるような、多層構造を織りなすスラム街で暮らす主人公ウェイドが、オアシスという仮想世界を作った創始者の遺したイースターエッグを仲間と共に次々と見つけ、遺産とオアシスを独占してプレイヤーから甘い汁を吸い尽くそうとする運営を打ち負かすという内容だったわけだが、兎に角企業のやり口がえげつなく、オアシスにどっぷり浸かっている(貧乏だからゲームの世界だけでもと夢中になるのか、ゲームに夢中だから貧乏なのか分からなくなるほど)人々の実生活の見窄らしさが心に残った。いくらイースターエッグの謎を解いたら創始者の遺産が全て手に入るとはいえ、誰も彼も現実の自分を置き去りでゲームをしているのは流石になと思った。自分もVRを遊んでいるとき、相当滑稽なんだろうと考え出したら虚しくなった。

VRでの体験がリアルになればなるほど、現実が疎かになるのは自明かもしれない。本作のようなセンサーの塊であるスーツ等を装着し、仮想空間からのフィードバックを直に肌で感じられるだけでなく、もしも脳へダイレクトに干渉出来るVR装置が一般化されるようになったとしたら、レディ・プレイヤー1なんて目じゃ無いほどディストピアへ真っしぐらな気がしてならない。五感すべてが現実に感じられるようになったら、空腹も感情も何もかもコントロール出来てしまうから、死ぬまでゲームをやり続けることだろう......





本作は最後に現実世界での体験は大事だと説いて終わるが、いつの日か生身など重荷でしかないという時代が来てもおかしくはない。ただし、SNSやマルチ対戦ゲームを利用する人なら解るだろう。どんな場所に逃げ込んでも人間相手に何かをする以上、嫌な目からは逃れられないのも事実。仮想空間が現実にとって変わる日が来ても、人が人を辞めない限り同じことの繰り返しだ。

これからは本当にVR一色になりそうな予感がする。それを堕落と処断する人々も増えるだろう。僕らは上手くVRと付き合っていけるのだろうか?

その答えはスピルバーグにも分からない。






せっかく日本人にも馴染み深いキャラや乗り物が山ほど登場し盛り上げてくれたというのに、しょーもないことばかり気にしている男である。版権料にいくら使ったのかも知りたくてたまらない。

僕はウェイドではなく、彼を排除したがっている運営の男にしかなれないだろう。歳はとりたくないものだ.......