私情がフィクションを越える瞬間を見た「屍者の帝国」伊藤計劃・円城塔(原作)/WIT STUDIO(制作)/感想

伊藤計劃氏の残した代表的な3作品を映像化するプロジェクトが幕を閉じてから早くも1年半以上が経ち、今月からNetflixでも配信されるようになったのをきっかけに最後まで観るのを躊躇っていた「屍者の帝国」を見てみることにした。







舞台となるのはヴィクター・フランケンシュタインによる死体を蘇生させる技術が成功し世界中に普及しているという19世紀で、ロンドンの医学生である主人公ワトソンが、違法な屍者研究を友人の死体で試した罪を諜報機関に付け込まれ、ヴィクターが遺した最初の”屍者“であるザ・ワンと手記を相棒であるフライデーや、その他御一行と共に捜索することになるというお話。

死者を蘇らせ奴隷のように使うのが当たり前の世界の中で、屍者として蘇った後も魂は其処にあるはずだと問い続ける主人公を中心に、人や組織が入り混じって屍者と生者の有り様をめぐり相対する模様はなかなか面白かった。各々の渇望をドラマチックに描くのには、とても良い舞台だったように思う。

ただ、それなりに伊藤計劃という故人のことを知っている(と思っている)身としては、あらゆる要素から病魔を呪い生者を羨んだ伊藤計劃さんの葛藤と、屍者の帝国を完成へと導いた円城塔さんの伊藤計劃さんに対する哀惜の念を感じ、単なる娯楽として楽しむことは出来ず、なんとも複雑な気分になった。エピローグでの細谷佳正の演技や、フライデーを介した(声にならない想いを呻き声で表現しようと頑張った村瀬歩も素晴らしい演技だった)円城塔氏の熱い想いの吐露には思わず涙が溢れそうになった。全く伊藤計劃を知らない人が観ても、ワトソンとフライデーの絆に何かを感じるに違いないが、やはり伊藤計劃や円城塔さんの想いを少なからず知っている人の方が重くのし掛かってくる作品になっているだろう。




溜息が出そうなほど素晴らしかった伊藤計劃さんによる序章のあと、個人的には馴染みがなかった円城塔さんの言葉使いに掻き乱され、細部まで読むことなく端折ってしまった屍者の帝国を、映像という形であってもちゃんと味わえたのが嬉しかった。原作だと合わない作品でも、第三者の解釈を経ることで、こんなにも食べ易くなるものだなと思う。

不幸な出会い方をした円城塔さんの別作品は結構楽しめたので、決して円城塔さん自身が合わない身体だったわけではないだろう。

自分が思う以上に伊藤計劃という存在が大きなものだった、そういうことなのだろうか?




死んだ人は蘇らない。蘇らせてはならない。宗教的な理由を抜きにしても、それは禁忌に思える。でも、もし魂を失わないまま蘇らせる技術があったとしたら、蘇らせたい人の一人や二人誰にでもいるはずだ。僕は伊藤計劃さんを蘇らせることが出来たなら、円城塔さんには申し訳ないが伊藤計劃100%の『屍者の帝国』を書いて貰いたい。

きっと円城塔さんも、それを読みたかったはずだから....