後ろ髪引かれる点は、見事に表現出来ている気はする....「虐殺器官」伊藤計劃(著)/村瀬修功(監督)/ジェノスタジオ(制作)/感想

ここ数日、ニュースはアメリカの中間選挙一色だった。

中間選挙とは、4年の任期のうち2年経ったけど自分たちの選んだ大統領は実際どうよ?と問う選挙なわけだが、結果は予想通りトランプへの反発が根強いことを示すものになっており、下院を落とした苛立ちを隠せないトランプが、そのイライラを敵対するマスコミへぶつけている様子は不愉快極まりなかった。仮にも一国の主人である。敬意を払わない人間が相手であっても、言葉や表情を選んで相対するべきであるのに、トランプはそこいらのチンピラ同様のリアクションだ。そもそもそんな品のない大統領に、誰が敬意をもって接してくれるというのだろう?敬意や忠誠は強要するが、自らがそれに相応しい人間であろうとしない彼のことは一生好きになれそうにない。今のアメリカを見ていると、つくづくオバマという男の偉大さとアメリカ人の利己的な感覚の残念さを痛感してしまう。




アメリカを変えたのは911だ、と大勢が言う。僕のような素養のない男でもそうかもしれないと思わなくもない。だがしかし、他者への恐れを先制攻撃という形で表現し続けているのは今に始まったことではないだろう。”正義”という不埒な言葉で己の不徳を覆い隠す彼等は、建国以来根本的に変わってはいない。伊藤計劃が「虐殺器官」で描いたアメリカ像もまさしくそれで、自国民は余計なことを知らなくて良いのだと隠蔽を謀ったり、兵士から痛みや恐れを奪ったりしているのには、フィクションを超えたリアルがあるように思えてならない。






先進国が徹底した監視・管理社会へ舵を取ったことによりテロは激減するも、後進国での内紛や虐殺が横行するようになった今より少しだけ未来の時代。アメリカで特殊部隊に在籍する主人公”クラヴィス・シェパード”は、多発する武力衝突や虐殺が一人の男によって引き起こされたものであることを知らされ、その男を拘束するための作戦に参加させられるのだが、その男”ジョン・ポール”の真意に触れて苦悩していくというのが大筋なのだけど、兎に角主要人物がよく語る。原作を読んだ時は、それほど気にならなかったのに、映像になって声優が声をあてた途端、言葉が質量でも得たかのようにずっしりのし掛かってきた。少々自己陶酔という香辛料をかけ過ぎているところなど、なんだかんだ言って一冊目の作品だなと思ってしまう。

物書きとしての欲と、好きなものへの想いと、ままならない自身の身体への怒りが入り混じった本作はすこぶる歪で、映像にするとそれがまた違う表情を見せるものだから、観終わるとなんとも言えない気持ちになった。アニメ版の監督である村瀬修功さんは元々大好きな人で、その仕事には何も不満はない。当初制作を引き受けていたマングローブが倒れても、どうにかしてくれた村瀬さん達には感謝の気持ちしかない(戦闘シーンのBGMは微妙だったけど....w)。おそらく他の誰かが作っても、これ以上のものにはならないだろう。それは分かっている。でも、つい考えてしまったのだ。全盛期の押井守がこれを撮ったらどうだったか?と。原作に足りないもの、余計なもの、それらを監督が独断と偏見で補完する割合が、もっと大きくても良かったんじゃないかと愚考したからに他ならない。押井守に思春期を真っ黒に染め上げられた中年の、まさしく戯言なので悪しからず。






伊藤計劃さんを惜しいと感じる本当の理由は、僅かばかり遺された作品たちが素晴らしかったこと以上に、もっと凄い傑作を待望せざるえない『余地』を感じさせる人間だったからだと思っている。少なくとも彼は完全無欠の作品など遺さずに死んだ。僕らはまだ彼の最高傑作を目にしていないのである。

いつの日にか、AIが既存の作品を分析することにより著者のニュアンスを再現し、故人の完全新作本を作り上げる日が訪れ、伊藤計劃の新作が読めたりしたら最高だろう。

機械がSFを書く未来だなんて素敵でしょう?












関連過去記事