差別がない世界には、人間も必要ないことだろう

久しぶりの連休に気が抜けてダラダラアニメを観ていた日曜の昼、くだらないことでモヤモヤとツィッターをしていた。

きっかけはフォローしている人がリツィートした自称”映画解説者”の一言だった。






多分普段なら正論だなと思って流すところを、何故かそのまま流す気になれずあーだこーだとブチまけてしまった。










他にも長々と呟いてしまったわけだが、何故そんなにスィッチが入ってしまったのかと言うと、理想論だけで全ての状況にそれが当て嵌まるかのような物言いが気に入らなかったのだと思う。彼の言うところの”無駄な諦め”を享受して来た人々のおかげで今の社会はあるわけで、軽はずみに賢い賢くないの分別にそれを利用して良いとは思えなかったのだ。

彼が言うことは場合によっては正しいし、長時間労働やセクハラに関しても是正はしていくべきだとは思う。だが、まだ「No」と言っただけで職を失う社会は無くなっていないし、立場の差というのも埋まる様子は無いわけで、それこそ何千年何万年と続く人間の歴史を一気に飛び越えて”弱肉強食”の絶対ルールが彼のたわ言一つで解決出来るわけでもない。「夢は叶う」と叶えた人が口にするのと同じくらい無責任な一言だと思った。背中は押すが、その先の地獄は自分でどうにかしろと言うのだから。


何かを成せる人は誰に何を言われようが関係なく終わってみれば成しているものである。勿論努力の賜物ではあるが、同じことを全ての人が成そうと夢見てもそうはいかない。大学の定員数は定まっているし、アイドルになろうと思っても全員がアイドルにはなれない。そもそも全員アイドルになってファンという立ち位置の人達が居なくなっては本末転倒だ。



綺麗事を口にするのは気持ちが良い。出来れば綺麗事だけで生きていたいものである。しかしそれだけではだめだ。所詮それも絵に描いた餅に過ぎない。だからと言ってトランプや金正恩のように“諦めない”生き方をしても結果は見えている。

なら、身勝手に社会を批評する程度の彼や僕がすべきことはせいぜい「自分がされたら嫌なことを他人にしない」だろう。それ以上でもそれ以下でも害悪ではなかろうか?




このブログに”無差別八方美人?“などとタイトルを付けているが、最後の「?」こそ僕の真の気持ちである。全ての問いに当てはまる、たったひとつの正解などあってたまるか。