文字で紡がれる遺伝子「伊藤計劃トリビュート2」 ハヤカワ文庫JA/感想

故”伊藤計劃”氏が作家デビューしたのは10年前。作家として活動したのはたった2年。


にも関わらず、代表作が劇場アニメとなり、大勢の作家にトリビュートされているのは何故なのだろう?





正直僕には小難しいことは分からない。でも分からないなりに彼の作品が人を惹きつける理由を考えてみると、儘ならない自身の身体に対するもどかしさや、生きることを赦されているのに命の使い道を知らぬ人々への静かなる怒りこそが全てだったんじゃないかと思わずにいられなかった。

正直、映像化された伊藤計劃作品は微妙だった。同じ境遇に無い者が束になってもかかっても、彼の抱えた闇に及ばなかったのだろう。




そんな彼に感化された若者六人のトリビュート第二弾をようやく読み終えたのだけど、六人それぞれが個性的で守る物など何処にも無いと言わんばかりに攻めていて凄く面白かった。冒頭を飾る”草野原々”の「最後にして最初のアイドル」からしてとんでも無い飛躍(アイドルとして成功することを夢見て挫折した少女と、その第一の理解者である少女の想いがガン細胞のように増殖して地球を飛び出してゆく展開は唖然呆然涙腺崩壊である(?))であったし、10代のラッパーでありながら本書に参加している”ぼくのりりっくのぼうよみ”の「guilty」も若さが眩しくも気恥ずかしい作品で良いアクセントになっていた。

他にも”柴田勝家”さんによる生まれた途端にヘッドマウントディスプレイを装着させられ、VRの中にしか現実が存在しない村の話や、砂漠で死体が歩くというディストピアネタを振るった”伏見完”、異なる言語を母国語とする者同士の普遍的な意思疎通を可能にする技術の落とし穴を書いた”黒石迩守”、そしてラストを飾った”小川哲”の「ゲームの王国」と、本当にそれぞれ違う毛色で楽しめた。


特にどこがSFなのかよく分からない「ゲームの王国」は読み応え十分で、普通に政情が不安定だった内戦下のカンボジアにおける人々のドラマとして読みふけってしまった、カンボジアならではの文化や、それらを表現する時のニュアンスがとても好みで、相性が良い作家さんだからしばらく追いかけてみたくなった。







一人の作家が死んで。一人以上の作家が生まれる。この世界は哀しみだけが連鎖するように出来ているわけでは無いなと思った。

伊藤計劃が愛したSFを、これからも僕らは愛してゆくだろう。






伊藤計劃トリビュート2 (ハヤカワ文庫JA) -
伊藤計劃トリビュート2 (ハヤカワ文庫JA) -





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