2017年03月14日

辛い時こそ生きている僕「私たちは生きているのか?」森博嗣/講談社/感想

季節の変わり目だからか、寝込むような風邪をひいた。

病院に行く金をケチっているからインフルエンザかどうかは分からない。37℃ちょっとまでしか熱は上がらなかったから、おそらくただの風邪だろう。

今回の風邪は、鼻と喉とお腹に来た。昨日1日寝込んでも鼻水は治らず、寝過ぎと腹痛で背中が痛いのを我慢して寝続けるより、荒療治のつもりで体を動かした方が治りが早いかもしれないと今日は仕事に行ったものの、作業中数分と持たずに鼻水が垂れ、やっぱり今日もティッシュの山が出来てしまった。終いには脱水症状になりそうだ....


風邪は本当に鬱陶しい。頭はくらくら、お腹はきゅるきゅる、味覚も狂えば、鼻詰まりで呼吸も辛く嫌で嫌でしようがない。

でも、こんな苦しい時だからこそ、生きていることを実感している自分もいて、まるで健康なままより、時々病気になるくらいが丁度良いような気もしなくもない。滝のようにながれる鼻水だって、身体が生きようとしなければ流れやしないのだから。苦しい思いをしないと生きていることを実感出来ないなんて莫迦莫迦しい限りではあるけれど....


僕の風邪なんぞと、森博嗣先生お得意の生きているとはなんぞや?という定義を一緒にしてはなんだが、僕にとって生きているとは、苦しいと感じるかどうかだと思った。




富の谷。「行ったが最後、誰も戻ってこない」と言われ、警察も立ち入らない閉ざされた場所。そこにフランスの博覧会から脱走したウォーカロンたちが潜んでいるという情報を得たハギリは、ウグイ、アネバネと共にアフリカ南端にあるその地を訪問した。富の谷にある巨大な岩を穿って造られた地下都市で、ハギリらは新しい生のあり方を体験する。知性が提示する実存の物語。

by 「BOOK」データベース



今回の「私たちは生きているのか?」では、人間より合理的に生きているウォーカロン達が、脳だけになって仮想空間で生活している村が登場するが、そこではあらゆる物事がプログラミングでしかなく、不都合な天候も病気も存在せず、自分の容姿からパラメータまで好きに変更出来てしまう。確かに合理主義でガッチガチな人ならば、まさに天国のような環境だが、苦痛で生を実感するような僕では、まるで手応えの無い空虚さだけが積もり積もって、仮想空間の中で何度となく自殺を謀るかもしれない。

なんでもプログラミング出来るのだから、苦痛だってプログラミングすれば良いのかもしれない。でも、生身を知る者にとって、そもそも身体を捨ててまで仮想空間で生きることが難しい話だ。この先なんらかの天変地異で仮想空間が保存された電子機器がダメージを受ける可能性だってあるし、自分では身動き一つ出来ない脳の管理を他人に任せるだなんて想像するだけで悍ましい...





脳すら失って自分そっくりのAIが生き続ける未来なんて、僕は欲しく無い。ボケて寝たきりで親族や看護師に迷惑をかけてでも生身で生きていきたい。

ほぼ半分人生を生きてしまった。あと半分、どれだけ苦しい思いをしながら生きて行くのか?

考えるだけでため息が出てしまうけれど、それだって生きていればこそだから、辛いことも込みで笑えば良いのかもしれない。


まあ、なかなかそんな都合よく解釈は出来ないけどね
posted by lain at 20:16 | 北海道 ☔ | 小説 森博嗣 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする