”終わらない人”というより、”終われない人”が宮崎駿

「引退」とは、”役職や地位から身を退くこと。スポーツなどで現役から退くこと”だが、時に人は”それ”を撤回する。

もう無理かと思って辞めてみたけど、まだ身体は動くな。若い子であのレベルなら、私が本気を出せばもっと凄い。と、忘れ物でも取りに帰るみたいに復帰する。



宮崎駿という人も、何度となく辞めると口にして来た人物だ。一つ映画が終わる度、もう出来ない、やらないと口にして来た。体力的な話以上に、妥協出来無い性分が元で人間関係を壊してしまうのが本人には一番堪えるらしい。そんな話を見聞きしていたから、「風立ちぬ」のあと、今までの引退宣言とはまるで比べ物にならない本気さで引退を口にした時は、残念な気持ち以上に、安堵するようの気持ちが僕の中を駆け巡ったものだけど、"終わらない人"と銘打った引退後も作ることをやめない宮崎さんに密着したドキュメンタリーの終盤、長編の企画書を鈴木さんに見せに行く宮崎駿おじさんを目にすると、この人にはのんべんだらりとした余生より、イライラカリカリな物作りの時間が相応しいなと微笑ってしまった。

仕事に欠かせない人材が次々と亡くなっていく寂しさや、若い世代と一緒に新たな世界(CG)を覗く楽しさともどかしさ、そして”人間が描くのと同じように絵を描く機械”を生み出そうとする人々との温度差に忸怩たる想いを吐露する宮崎さんの姿が実に印象的な良いドキュメンタリーだった。




「何もやってないで死ぬより、やっている最中に死んだほうがまだましだね」

そう口にする宮崎さんに、一度でも関わった人は「負けてられるか!」「付き合ってられるか!」「最後までお伴します!」と思わずにいられない。結局ジブリは後継者らしい後継者を育てられないまま、おじさん三人の思い出の場所に終わってしまいそうだが、本当の意味で教わる・覚えるというのは、本人の意志が介在しないと実現しないわけで、こうして背中を何らかの形で残してくれるだけでも、充分次代の作り手が生まれる土壌作りになっていると思った。

いつか人の手を離れ機械が勝手にアニメを描くようになったとしても、感情の無いAIに情緒までは演出出来はしない。感情まで再現出来るようになるまでは、人間の出番はまだまだある。

そもそもあらゆる面で人を凌駕する存在を作って、僕らになんの益があるのだろうか?劣る自分達は老害なのだろうか?機械の許可なく地球上での生存が赦されないような時代だけは来て欲しくないな....