2016年11月08日

真っ先に不要だと言われそうな人類代表の僕です「デボラ、眠っているのか?」森博嗣/講談社


なんの為なのか、自らの意思で選択する暇も与えず、あれもこれもと無用な知識を押し付ける学校や親が大嫌いだった僕は、それ以外の場所から知識や人生を学んでいた気がする。小学生までは玩具や学研のひみつシリーズ。中学になるとゲームにアニメに漫画、そして田中芳樹。高校になると少しは詰め込み教育に付き合うようになったものの、大事なことはやっぱり娯楽というオブラートに包まれた物から学んでいた。ひたいに汗してお金を貰うようになった今も、なんら変わることは無い。三つ子の魂百までとよく言ったものである。

そんな僕にとって、森博嗣さんは自分で選んだ教師の一人。それも格別の師だ。何が凄いって、知識の乏しい僕でも理解したり感じ取れる例え方で物事の根幹を伝えてくれるところだろう。生と死とは?学ぶということは?働く意味とは?人を愛するとは?等々、様々なテーマについて、独創的でありながらも的を射た価値観を自作で展開してくれるので、こちらもついその気なってしまい、森先生のような生き方(先生が書く登場人物の生き方も含む)をしてみたいと思わされ、流され易い自分が怖くなる時もある。森さんがその気になれば、宗教の一つや二つ簡単に運営出来てしまうだろう。なにせ真賀田四季を生み出すような方なのだから...


多くの森作品に足跡を残す超天才科学者"真賀田四季"が予見した未来に連なるエピソードとして、そして、森博嗣初の本格SFとして、ファンならずとも見逃す手はないWシリーズ。気づけばあっという間の4冊目。身体のほとんどを新しくすることが出来るようになり、人がなかなか死ななくなって出生率が激減した時代を舞台に、機械とも生物とも分類し難い存在ウォーカロンを交え、生きているとはどういうことなのか?と展開してゆく様は、森博嗣作品の総決算のようでもある。

テーマがテーマだけに、もう兎に角グサリと刺さる言葉が多い。今回は特にヴォッシュ博士にヤられた。作品の肝となるAIについて「複数の知能が存在すると、相互関係から歪みが生まれ、対立が生じる。それは、ようするに、人間社会とまったく同じ、個人と同じだともいえるだろう。人間だって、ただ一人で生まれて、一人で育つなら、邪悪なものにはならないのではないかな?」と博士が話したり、「私は生きているのではありません。したがって、死ぬこともありません」と人間の感傷など一切計算に入っていないAIの発言に対し 、「存在することを、生きているというのだ、人間はね」と諭すシーンなど最高にグッと来た。

普段、理にかなわないことを是としないように見える真賀田四季でさえ、時に感情で判断したりすることがあるから、森博嗣さんのキャラクター造形は憎らしい。まるでウォーカロンのような女性だったウグイ女史にしても、どんどん愛おしさが増している。

AIが人類を値踏みするような危うい未来観と魅力的な登場人物。ほんと、こんなに美味しいオブラートなら、六法全書でさえ読破出来そうだ。





ふと森博嗣流の官能小説が読んでみたいと思った。それこそ綺麗なだけでなく、ねっちょり粘着質なやつを。





タグ:森博嗣
posted by lain at 07:09 | 北海道 ☔ | 小説 森博嗣 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする