2016年10月19日

不幸に泥酔した僕らには雨曝し位が丁度良い「虚無病」amazarashi

今年の秋はなんだか切ない。多くの命が眠りにつく季節なのだから、いつも通りと言えばいつも通りではあるけれど、個人的に色んなことが重なりセンチな気分が割り増しになっている気がする。

こんな時は、amazaeashi、もとい秋田ひろむに会いたいけれど、amazarashi LIVE 360°「虚無病」は札幌でのライブ・ビューイング(しかも土曜日)のみだと知り、更に寂しさは積もってしまった.....





先週土曜日に開催されたのamazarashi LIVE 360°「虚無病」はかなり良かったようで、「虚無病」収録以外の楽曲も上手くストーリーに落とし込んで映像とリンクしていたと聞いて見に行った人が妬ましかった。いっそ仕事を放っぽり出して行けば良かったとも思った。

しかし、そもそもがライブ・ビューイングというものへの印象が僕の中でよく無い。いくら今演っているものを生中継して流しているとはいえ所詮映像に過ぎないし、アーティストと同じ箱の中の空気を吸っている感覚が弱いのでは?と考えてしまう。いくら映像演出が売りのamazarashiであっても、映像だけがamazarashiでは無いのだ。スクリーン越しでも僕は常に秋田ひろむを意識してライブを味わっている。優雅なお澄まし顔と水面下で足をバタつかせているのを込みで白鳥は愛でたい。秋田ひろむは白鳥じゃなくカラスだろうけど........





新譜「虚無病」には、今までライブでしか聴けなかった「僕が死のうと思ったのは」が収録されていたのが嬉しかったのと同時に、ライブでしか聴けない特別な曲のままであって欲しかった気持ちもあって複雑だった。

若干曲数の少なさも気になった。あと1、2曲あるだけでだいぶ印象が変わったことだろう。全体としては、らしさが様式美になりつつあって、少し型にハマって来たような所が鼻につき、初回は表題作”虚無病”と”メーデーメーデー”くらいしかピンと来なかったけれど、繰り返し聴き、封入された小説を読んで更に聴いてみると、かなり見えて来る風景が変わって格段に1曲1曲が愛おしくなった。これを更に1つの物語としてまとめ上げたLIVE 360°、ほんとに見たかった....(まだ言う)



文藝春秋の編集者が、秋田ひろむによる文学が見たいとの発言をしていたのも実に分かる話だ。酷く断片的な言葉の羅列でありながら、何故か一つの曲として成り立つバランス感覚がamazarashiはすこぶる良いから。きっと文章は文章の難しさがあるだろうし、そう簡単な話ではないのは本人が一番分かっているのだろうけど、こうして歌う詩人としてのキャリアを積んで来た今なら、大好きな物書きに本腰あげて挑戦するのも良いように思える。もしも彼が長編を書くようになったら、きっと音楽活動は減るだろうけど、その分心に染み入る本を届けてくれたら十分だ。



まあ、これは全部想像だ 今日も、詩を歌い続ける男についての.......



タグ:amazarashi
posted by lain at 07:21 | 北海道 ☔ | 音楽 国内 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする