日本におけるロボットアニメは鉄腕アトムで産声を上げ、無線操作の鉄人28号、人が搭乗するマジンガーZ、変形・合体のゲッターロボ、そして所謂リアル系の機動戦士ガンダムへと移り変わり、新世紀エヴァンゲリオン以降のロボット物になると、現実世界と内面世界の境界を抉り出すツールへと生まれ変わっていた。
昔ながらのロボット物の良さを知っている身としては、その変化が良いことなのか悪いことなのか難しい所だが、どんな作品であろうと面白いことは大歓迎。たとえイキナリ『貴様、銀河美少年かぁぁぁぁあ?!』などと宣う作品であったとしてもだ.....
只今絶賛積み劇場アニメ消化中のなか、TVシリーズを途中で積んでいたスタドラの劇場版に手を出すのは案外勇気が必要だった。それでなくとも意味不明で抽象的な部分も色濃い作品であったし、たったの2時間半に再編集された物で何処まで本作の面白さを感じられるか不安だったのだ。
しかし、観終わってみれば実に要所を抑えた再編っぷりで、限られた空間でしか巨大メカを呼び出せない少年少女達の葛藤もちゃんと伝わり愉しめた。世界の何処へ行こうと大人に通せんぼされ、何も始まらないうちから終了を宣告される現代社会を反映させたような場所から飛び出して行く主人公達に、思わず羨望の眼差しを送っている自分が居て笑える。
監督に”五十嵐 卓哉”、シリーズ構成に”榎戸洋司”と言うこともあって、ロボット物版「少女革命ウテナ」といった面持ちだったのも楽しめた原因だったろう。逆にウテナが苦手なロボット好きにはキツイかもしれないが、サイバディと呼ばれるスタドラのロボットデザインからは”永野護”臭がするし、ボンズの手で動くサイバディは本当に格好良いので、そこから本作を好きになることも可能な気がする。
二の腕や太腿の太さと反比例して細いウェストや、放熱フィンのような背中のスリットも永野メカを彷彿とさせる
一通り見終えて2周目を見出すと、劇場版で追加された冒頭が一味違う物に感じたし、気になっている女の子が自分と真剣に話ている時に、いきなり違う男の気配に気付いて走り出し、なんの躊躇も無く自分の目の前で人工呼吸を行ったヒロインの無神経っぷりは半端じゃねぇーなとしみじみ思った。
これからもロボット物の立ち位置は変化し続けるに違いないが、スタドラのように挑戦する気持ちだけは失わないで欲しいものである。