人は考えることで人に成る「ハンナ・アーレント」マルガレーテ・フォン・トロッタ(監督・脚本)/感想

 ブログを書くようになってから、終戦記念日であるこの時期は戦争を扱った作品に触れるようになった。銃で飢えで迫害で、数え切れない人が創作の中でも死んでゆくわけだが、1年、また1年と戦争から遠のく度、”陶酔”を含んだ内容の作品が増えて来ているようで少々残念だったりする。派手に銃弾が飛び交い、兵士の悲哀がドラマチックに描かれているのは確かに甘美なのかもしれない。でも、根本的な問題に踏み込んだ作品がもう少しあっても良いのでは無いかと思うだ。

 去年はそういう意味で実に良い作品に出会えた。塚本晋也監督の「野火」である。極限状態の人間が”思考”することの困難さ、そして、人間がいかに葛藤しようとも、世界(自然)は常に在るが儘であるということを生々しく描いた作品で、見終わった後は心底戦争は嫌だと思ったものである。今回観た「ハンナ・アーレント」からも、野火と同じく”思考”することの大事さを感じた気がした。




 相も変わらず不勉強さを露呈するだけの話だが、ハンナ・アーレントなる人物を初めて知った。ナチス統治のドイツからフランスへと亡命し、フランスがドイツに屈したせいで一時収容所暮らしになるも、夫と共にアメリカへと逃げ延びた著名な女性思想家だそうな。伝記的な本作でハンナは、他国へ亡命していたところを捕らえられたアドルフ・アイヒマンの断罪裁判を傍聴し、彼の罪を独自の解釈で記事として発表したことで窮地に立たされることになるが、彼女の主張は学の無い僕でもヒステリックな連中とは違う客観視に溢れた物だと分かる内容で、終盤大勢の前で持論を展開するシーンには釘付けになった(バルバラ・スコヴァの熱演が光る)。弾圧によって生まれた歪みを弾圧によって埋めようとする人々に悪の本質を問う勇気が素晴らしい。

 しかし、一方では理性で解決出来ない憤りを抱えた人たちの気持ちも良く分かる。いくら国を追われ、一時でも収容所に入ったことがあるとは言え、ハンナはのうのうとアメリカ暮らしの女性だ。目の前で家族をガス室に送られた人達と境遇が一緒だとは言えないだろう。客観的に思考出来たのも環境の賜物であると言われても仕方ない。思想の為に友人を失ってゆくハンナの物悲しさが、正論は人を傷つける物でしか無いのだと雄弁に語っていて、戦争はこんなところにまで葛藤を生み出すのだと、しみじみ思ってしまった。




世界最大の悪は、ごく平凡な人間が行う悪です
そんな人には動機もなく、信念も邪心も悪魔的な意図もない
人間であることを拒絶した者なのです
そして、この現象を、私は”悪の凡庸さ”と名付けました

 『悪の凡庸さ』と名付けてしまえばお洒落にまで感じる言葉だが、現代に蔓延る凡庸な悪の数々を思うと、他人事で済ませられない怖さがある。

 ルールだから

 言われたから

 いつもしているから

 そうやって思考を停止させている瞬間が誰にだってあるのでは無いだろうか?

 子供は将来の為と言われ、何に使う公式なのかも知らず解き方を学び。大人はマニュアルに無いからと手を止めて面倒な事はたらい廻し。好きでも無い、どうしてやるのかさえ分からない。ただ長年組み上げられた社会のシステムの中で生きようとして心が死んでゆく僕達は、まさにハンナの言うところの現象に囚われているのだと断言しても差し支え無さそうだ。一歩ルール作りを間違えた途端、取り返しの付か無い事態に繋がりそうで恐ろしい。こう言ってはなんだが、実に切り口の面白い戦争映画でしたね...



 あれから何十年もの時が流れた。あと30年もすれば戦後100年になる。それだけの年月が過ぎても、人間の本質はなんら変わっていないようだ。あと30年。無事大きな戦争も無く過ごせれば良いなと、小市民な僕は心底思った。

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