2016年07月28日

心地良い風が溜息に掻き消された日「風は青海を渡るのか?」森博嗣/感想

ほんの二日前、障害者施設にて凄惨な事件が起きた。深夜に男が施設へ入り込み、何十人もの人々を殺傷したのだ。

犯人はその施設の元職員。日頃から不穏当な発言が目に付き、”マリファナは危険では無い” ”障害者が居なくなれば平和になる” といった趣旨の話をしていたそうだ。以前は明るく優しい、所謂”良い子”だったそうだが、施設で問題を起こし実質解雇の退職にさせられ、スイッチが入ったかのように荒れていったようである。

数年でも障害者とその家族に付き合い汚い物を見てしまったとか、自分の切実な気持ちを誰も理解してくれなかったからとか、理由はいくらでも想像出来るが、犯人の動機などどれだけ詮索したところで、なんの解決にもならないから居た堪れない。起きてしまえば結果しか残らないのだ。死者19人、それが全て....

森博嗣先生などは自作の中で、加害者の動機を説明することになんの意味があるのか?人を殺してはいけないのは何故?といった疑問をよく投げ掛ける。物語の世界観を作る上で必要だから書いているのもあるだろうが、普通に森博嗣さんの中で”?”が付く話なのだろう。確かにマスコミがあれこれ詮索して、真偽も怪しい物語を作り上げているのは見ていて不愉快ではある。動機がどうであれ、一度生まれたモヤモヤを消せはしないのだから、事実だけを神妙に伝えれば良いとさえ思う。人殺しの良い悪いはそれぞれが何を大事にしたいかを考えれば自然に答えは出るのだから、TVやネットにとやかく言われるまでも無いのだし。






本当は昨日読み終えた「風は青海を渡るのか?」の話をしたかった。人が作った物が、人に成るかもしれないということへの歓びと恐怖が見え隠れする展開が実に面白いWシリーズの第三弾である。

本作は森先生の過去作品との繋がりや、人成らざる者に心が生まれるのか?という点が肝になっているのだが、今回の事件が起きた施設に収容されていた知的障害者達にも同じことが言える気がしてならない。僕らと同じ事が出来ない、意思疎通が円滑に進まない、だからと言って彼らは人では無いのか?生きる権利は無いのか?そもそも僕らより彼らが劣ると誰が決めたのか?

風は青海を〜には、企業に産廃扱いされた人間同然の人造人間”ウォーカロン”達を救った男が登場するが、障害者施設に現れたのは小説の中の救世主とは真逆の死神だった。同じく手前勝手な行為ではあるものの、どちらが真に自分以外の存在へ目を向けた行いなのかは明白だと思う。

夏休みになると、叔父さんの知的障害を持った子供(子供と言っても自分よ年上)の相手をしていた身としては、思うようにならない苛立ちや、彼らに対し恐れを抱くのも良く分かる。でも、そんな自らの弱さから湧き出した感情に身を委ねて何になるというのか?






犯人や被害者、その家族達が今回のことで何を得て何を失ったかは知る由も無いが、消えない何かが残ったことだけは確かなんだろう。

弱者が殺し殺されテロも止まないこの時代、目にすることも、口にすることも、聞くこともせず、ただひたすら石のようになりたくなる今日この頃だ....


タグ:森博嗣
posted by lain at 07:16 | 北海道 ☔ | Comment(0) | 小説 森博嗣 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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