人生やり直せるなら、ゲームに頼らない人生を歩もうかしら?....「Quantum Break」Remedy Entertainment/Microsoft Studios/Xbox One/感想

TVゲームやPCゲームと呼ばれる物を遊ぶようになって、かれこれ30年近くになる。友達の家でファミコンを知り、両親が奮発して買ったPC98でテトリスをしこたま遊んだ日々も遥か昔の事だ。

あれから色んなゲームを、色んなゲーム機で遊んだ。それこそ限られた時間をどれだけ注ぎ込んで来たか分からないくらい遊んで来たから、もしも累計のプレイ時間を聞かされでもしたら、少々凹むことだろう。

 『お前は他にやるべき事があったんじゃないのか?』

と.....



アニメや海外ドラマにしても同じことが言えるかもしれない。何かを成す主人公達をブラウン管ごしに眺め満足する暇があるなら、その時間を使って自分を彼らのようにするべく努力した方がよほど有益に違い無いのだ。聴き流すだけで英語が身につく某教材のように、ただ見ているだけでヒーローになれるアニメやドラマでもあれば話は別だが、当然そんな物はない。


しかし、そんな無為に過ごしたように思える時間は本当に充実していたし、勇者にも愚者にもなれる嘘の世界に様々な事を教わったお陰で生きて来れたのも事実だから、全てが無駄だったとは思わない。

ただ残念なことに、あまりにも色んな創作物に触れ、現実の世界をそれなりに肌で知り、そしてあらゆる娯楽が様式美から逃れられなくなりつつある現在になると、最早得るものより失うものの方が多い気がしてならない。もっと新しい刺激を身体は欲しているのだ。

そんな、ゲームだけでもドラマだけでも満足出来なくなって来た僕の中に、Quantum Breakは少しだけ踏み込んで来た作品だったかもしれない。






"兄とタイムマシンを開発した親友に呼ばれ、時間移動の実験を目の当たりにした主人公だが、思わぬ事故が発生したうえ信じられない人物に兄を殺され、事故の際身に付いた力を使い、壊れゆく時間を直そうとする...." というお話で、昔からこの手のやり直しストーリーに僕は目がない。ハッピーエンドでもバットエンドでも、現在の大切さを実感出来ている気がするからだ。何度試しても望む未来が手に入らない展開は特に胸に残るもので、Quantum Breakもスッキリ終わらないのが実に味わい深かく、誰かが過去や未来へ行って何かすることすら、全て最初から定められた流れの中での出来事であり、何人も逃れられないのだという縛りが有るから、得体も知れない存在への畏怖や憤りが湧いて悩ましかった。

無論過去改変物にありがちな都合の良い解釈が目に付く所もあるし、そもそも過去に行く時点で世界の均衡は崩れそうだと突っ込み出したらキリがない。しかし主人公だけではなく、悪役や脇役にもしっかりドラマを感じる事が出来る作りが上手いのと、長い実写パートを各章ごとに挿入していることで、仮想の世界と現実の世界を行き来しているように感じるのも新鮮だった。好みというのもあるから、これが最善の演出だとは言い切れないけれど、こういった手法を試みた心意気こそ大切だと僕は思う。今でも十分実写と見まごうCGではあるけれど、この先更に実写と見分けがつかない時代が来たら、逆にこのギャップを味わう楽しさというのが損なわれるのかもしれない。









ゲームプレイ自体はまあそこそこ普通といった所だったが、時間が止まったり乱れている時の映像表現は素晴らしかったQuantum Break。しかし、こういった手法もそれほど長くは保たないことだろう。他人が幸せになったり勇ましく戦うのを見たり操作するだけではなく、煩わしいコントローラーも使わずダイレクトに自分と自分の分身が繋がる物が必要な時期が来ていると思う。

VRが救世主となるのか、それともただ人を堕落させるだけの悪魔になるのか、どちらにせよバーチャルリアリティの中にしか刺激を感じない時代が来そうでわくわくと恐怖が僕は止まらない。

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