逃げちゃ駄目だと言いながら、20年逃げ続けた世界と僕

 何か人生にとって建設的なことをするわけでもなく、いつも通りな日曜を過ごし、ふとTwitterに疲れ目を向けると、初号機がリビングで「本当に明日使徒くるのかよ」と、ぼやいている画像が出回っていた。

 そう、2015年の6月22日だったのだ、迷える青少年達を救うどころか、厨二病へと深く誘うこととなった「新世紀エヴァンゲリオン」の主人公”碇シンジ”が使徒を目の当たりにしたのは。あれから20年近く経ったとは信じたくない話である....




 1995年。

 あの頃の僕は思春期にも別れを告げ、つまらない大人になる準備が着々と出来上がりつつあった。面白くも何ともない男しかいないクラスに出勤でもしているつもりになって通う毎日だった。

 それから1、2年後、二人目の姉が大学へ進級したタイミングで、父が長年勤めた親族経営の会社から退職金も無しで居場所を奪われ、しかもそれなりに大きな借金も発覚。理由はいまだに聞いた事も無いが、とてもまだ学生を続けたいと言える空気では無かったのを思い出した。学校にも第一志望の会社が受かったら絶対行け!と言われるくらい、就職希望者と求人の割合がギリギリ=な時代でもあったし、何より知識よりお金が必要だったのだ。



 そんな先行きが不安な時代に生まれたエヴァに、テレビ放送開始前から興味津々だった。「王立宇宙軍オネアミスの翼」「トップをねらえ!」「ふしぎの海のナディア」等でがっちり僕の心を掴んでいたガイナックスと”庵野秀明”監督が久々に放つ大作ということで、アニメ雑誌にリークされる世界観や”貞本義行”さんのキャラ原案を見るたび、どれだけ胸が高鳴り本放送が待ち遠しかったかしれない。

 いざ始まると、以前の貞本義行さんの絵とは少しだけ違う作画の感じや、跳ねっ返りで元気一杯な役が多かった”林原めぐみ”さんが一言二言喋ると黙りこくる”綾波レイ”を演じていることに戸惑いを覚えたりもしたけれど、アニメ畑に特撮要素を盛り込んだ圧倒される戦闘シーンや印象的なカメラアングル。そして何気ない間の取り方の上手さであったり、作り物でしか出せない生々しい心理描写の数々等に直ぐ夢中になった。






 あれから20年ほど経った今、エヴァとはなんだったのか?となんとなしに考えると、陽炎のように漂う好景気の残り香をかき集めようと必死なあの時代に、たった一人立ち尽くし、それを眺めているような虚しさを描いていたような気がして来る。一度崩壊しかけた世界が、もう一度繁栄を取り戻そうとしている時に、またもそれを壊しに来る連中がいて、必死にそれを退けようとするものの、そこまでして退ける確たる理由をなかなか見つけられないというストーリーからして、かなり時代にマッチした作品だったのではなかろうか?

何の為に作り、何の為に生きるのか?庵野秀明さんが悩み抜いた末に導き出した私的な答えがエヴァだったに違いない。そして本物になりたい偽物の足掻いた姿に僕らは本物を見たのだろう。





 大人達の無計画な火遊びのツケを払わされる子供達の物語は、今まさに現実になってしまった。破綻した新旧世代の共存システム。一緒になる必要性を見出せ無い男女の幻想と嫌悪。責任回避で個性を握り潰すルール。どこもかしこも押し売りの愛と正義で息苦しいばかりだ。

 誰もが正しくて、誰もが間違っている様を見ていると、人類補完計画は必要なのかもしれないとさえ思えて来て時々怖くなる。



 あれから何も世界の本質は変わっていない。むしろ悪化している。結局エヴァが有ろうと無かろうと、僕と世界は大事なことから逃げ続けているのかもしれない....


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