何処かに有りそうで、やっぱり無いのが人生の答え「マインド・クァンチャ」森博嗣/中央公論新社

 実に幸せな読後感であります。別に自分がその境地に達したわけでも無いのに、とうとう旅の終着を迎えたゼンノスケを見ていたら、清々しい気持ちでいっぱいになりました。

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※刊行された4月に相応しい素晴らしさ。こんな写真撮りたい...




 主人公であるゼンノスケが、育ての親を失い山を降り、様々な人々と出逢い、剣を振るいながら自分探しの旅を続けることとなる”ヴォイド・シェイパ”シリーズ第5弾にして、ほぼ完結編だと言って差し支えない本書。なれば最初の巻から読むが吉であると考えるやもしれませんが、森博嗣さんがよく口にしている通り、本書単品から読んでも楽しめる王道時代劇になっていたと思います。

 しかも今回は、まさかの記憶喪失という展開でありますから、なおのことシリーズを知らない人に相応しかった。大事なことも、嫌なことも、何もかも忘れてしまった主人公の記憶の回復と共に、このシリーズの楽しみ方を感じ取って行けるはず。


 美しい物ばかりを見ていたら、何が美しいのか分からなくなってしまうような気もするけれど、とことん研ぎ澄ました美しさなら、何度眼にしてもなかなか飽きはしません。しかもそれが現在進行形で深みを増している森博嗣作品であれば尚更であります。

 森博嗣さんの綺麗な言葉選びは、時に冷淡で心を抉り取るけれど、あえて言葉にしないことで伝わる優しさもある。特に都会から離れ、森の中へと越してからというもの、言葉から自然と溢れる温もりが増した。気がする。

 面倒。無駄。と言いつつも、他者との歩調を合わせる心遣いも分かり易くなったと思うし、良い意味で角が取れて、作家としても人間としても、熟成されて来たのではなかろうか?「暮らしの手帖」74号にて漏らした本音も以前の森さんなら文字にしなかったかもしれない。





 もう少しで本書を読み終えそうだと思っているうちに、お昼の陽気に誘われ居眠りをして夢を見ました。

 どこかの高校らしいところへたどり着き、そこかしこで学生の軽薄そうな声が響いている。誰に導かれるでもなく、とある部屋へと入ってゆくと、周囲の人々が期待の眼差しを僕に向け、口々に意味不明な言葉を投げ掛けて来る。僕は場違いなところへやって来た迂闊さを恥じて居ても立ってもいられず、廊下へと走って逃げ出した。しかし大勢追って来る。足の速さも僕よりも俊敏だ。そうしてやっぱり捕まったところで目が覚めた。

 ほんの数10分の睡眠ではあったけれど、己の器の小ささを思い出すには十分な長さの夢でした。


 本を読んだからと言って、僕の本質は変わらない。もしかしたら変わっているのかもしれないけれど、言葉にして表すような変化を認知出来ません。でも、その変われないということを知るのは大事なことだと思います。それを理解出来ずに変わったつもりになって生きていたら、恥を恥と知る機会を失ってしまう。知っていれば、変われないにしても、ある程度苦手な物事に対処し易くもなります。

 本を読み終えた時の満足感は、雨上がりの虹やオーロラのように、直ぐに消えてしまうような代物かもしれないが、そこで感じた事は何かの拍子に頭の中へ蘇ることもある。森作品は美しい詩的な内容だけではなく、色んなところへ興味が動き、それに伴い様々な問題提起がなされるから大いに考えさせられ記憶の奥底に残ります。しかも、答えを与えるのではなく、それぞれがどう思うか?を大事にしているのがまた良い。”作家”として先生と呼ぶのと同じくらいに、”教師”として先生と呼びたくなるのが森博嗣先生であります。






 ヴォイド・シェイパシリーズは、本当に本当の王道なので、単純にセリフやストーリーの筋道だけを拾って映像化してしまったら、正直普通の時代劇になってしまい、大事な物が全て抜け落ちてしまうのでは無いか?そんな風に思うほど、ゼンノスケの思考連鎖が面白い作品でした。

 今のところ、森作品を映像化して原作を超える、もしくは肩を並べた作品は見当たら無いですし、止めておいた方が良いとさえ思うものの、また漫画化やアニメ化の企画が進行中だそうな。



 もしもこのシリーズまでもが、何かしらの媒体で映像化されたら、こわいながらも通りゃんせと見てしまうのかな.....