穏やかな今に身を委ねてはいられない.....かも「インターステラー」クリストファー・ノーラン(監督・脚本)

 ぶっちゃけ僕ら一般人は、特異点だの量子だの相対性理論がどうのと言われても話の半分も理解出来やしない。所詮高度な物理学は実生活で機能していないし、実感出来ないものは理解出来ない。それが人間なのだ。

 しかし、フィクションの装飾として物理学が欠かせない。たとえそれが実地も済まない穴だらけの理論だとしても、僕ら人間の希望的観測と哲学的陶酔を満足させるだけのポテンシャルを秘めているのは物理学を措いて無いのではなかろうか?


 いまだ観測ばかりが主流で未開と言える広大な宇宙。そこには無限に広がるロマンがある。

 地球人類の存亡が掛かった探査の果てに、見たことも無い風景を見せてくれた本作は、まさにソレを体現したサイエンス・フィクションでした。



 世界規模の環境変化により食料難に陥り、軍も機能しなくなってどんな職業よりも農業が大事になっているという近未来で、砂嵐が街を飲み込み、次々と穀物が育たなくなっている現状を受け入れて生きてゆくしかない様相が、妙にリアルで他人事に思えない。

 本作のように主人公である元宇宙飛行士の男が、数奇な宇宙の旅の果てに人類を救うようなことが、僕の次の次の次くらいの世代で実現すれば良いのですが、人類の歴史の長さから考えても、このような事態が間近に迫っていることは間違い無い気がしてしまいます。


 今はまだ、フィクションとしての物語に酔う余裕が僕らにはあります。

 相対性理論が生み出すウラシマ効果の残酷さ。それに付属する自己犠牲的のカタストロフィ。そしてそこを横断する合間に生まれる人間ドラマと、それらを彩る膨大なSF考証。どれをとっても安っぽい僕の心を熱くしてくれましたインターステラーは。去年の「ゼロ・グラビティ」といい、年末は原作無しの良質なオリジナルSF映画がやってきて嬉しいです。


 現実の社会・環境的な背景を無視した都合の良いSFも面白いですが、やはり切実な何かに追い詰められて派生した脚本のSFは骨太で良いですね。事実が虚構に重みを与えてくれますから。

 ただし、SFに重みを感じるのは良いことでは無いのかもしれませんがね。すぐそこまで当たり前の世界の終わりが近づいている証拠なのかもしれないのだから....





(´-`).。oOクリストファー・ノーラン監督は本当に夢か現かという作品が上手い。シャマランもこういう風に伏線を巧みに繋ぎ合わせる映画撮れば良いのに。昔は撮れたでしょ?......










 関連過去記事



この記事へのコメント