ぼくが愛したあなたの嘘「ぼくが愛したゴウスト」打海文三/中央公論新社/2005年

こことは少し違う場所

僕らはそんな案外直ぐ馴染んでしまいそうな異世界へ逃避し続けて来た。

耳が無いくせにネコ型だと言い張るロボットが机から出て来る世界。一頻り暴れまわったらさっさと寝ぐらに帰ってゆく巨大生物が崇拝されている世界。どこからともなく現れ、非日常へと誘う美少女の甘い罠が張り巡らされた世界などは、最早常套句過ぎて欠伸が出るほどだ。

そんな異世界物を、打海さんが書いた。



『臆病で生真面目だけど、十一歳のごく普通の少年・田之上翔太。生まれてはじめて、ひとりで行った人気ロックバンドのコンサートの帰り、翔太は駅で人身事故発生の瞬間に居あわせてしまう。それを境に彼は、この世界に微かな違和感を抱きはじめるのだが―。残酷で理不尽な世界に立ち向かう少年の、愛と恐怖の旅立ちの物語。』
byBOOKデータベース




打海さんの綴って来た作品達は、ありえたかもしれない未来や過去の話が中心で、フィクションではあっても現実世界のルールに則って描かれて来ました。

ところが本作は完全に異世界に迷い込んだ男の子が主人公だったので、珍しくファンタジックな童話的ジュブナイルになるかと思ったのですが、やはり打海さんだなと思わされる論調になってゆき、自分を自分足らしめているものを科学するような哲学も濃厚でした。いつものように美しいものを美しいままに帰結するから後味も素晴らしかった。

異世界物と言っても、元の世界と異世界の違いは体臭・心・尻尾の3つだけのパラレルワールドでしたが、それらの違いが生み出す思春期の少年の繊細な心模様や、彼と同じように異世界に来てしまった男の浮き沈み。そして心が無いとされている世界の人々の感情の在り方についつい引き込まれました。自分の足元が揺らいでしまうくらい心という酷く曖昧で証明困難な存在について踏み込んでいるのです。心の無い世界で「心」の意味を辞書でひくとどんなことが書いてあるのか少年が調べるシーンは実に印象的でした。




こことは違う異世界に紛れ込んでしまった人間への政府対応の仕方。本物そっくりな家族と少年の複雑な心境。心無き者達の偽りな温もり。どれもこれも胸をえぐられました。本当の記憶や体験では無いのに、僕はどうしてこんなにも心を乱してしまうのか?偽りの世界を心底愛しく思えるなら、現実になんの意味があるというのか?


たとえそれが一時の勘違いや陶酔でしかないとしても、美しさに偽物も本物も無い。それで良いのかもしれません。



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