不完全とは、可能性の宝庫である「一九七二年のレイニー・ラウ」打海文三/小学館/2004年/小説/感想

 また一つ、打海さんの遺産を受け取った。

 今回の「一九七二年のレイニー・ラウ」は、骨太な群像劇だった「ハルビン・カフェ」と打って変わって小難しいことは一切無しの、大人な恋愛が粒ぞろいの一冊。


『香港でわかれた女性レイニー・ラウに主人公が二十五年ぶりに再会を果たす表題作をはじめ、借金とりたてに訪れたやくざと主婦の危険な関係を描いた「花におう日曜日」、美しい背中の女性と知り合い、著者自身の小説観まで投影される「ここから遠く離れて」など、静かに心を打つ八篇所収。あなたが出逢えたかもしれない「恋人」たちがきっとここにいる―珠玉の恋愛小説集。』
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 恋とか愛に何度となく敗れて来たような中高年の老いらくの恋であったり、淡い恋の傷を負った娘を持つ母親の同姓相手な火遊びだったり、互いの傷に親近感を憶えて始まる恋だったり、何処か断念した過去を引きずって生きているような者達の、互いの体温を恋しいと思いつつも距離を取ろうとする焦れったさや、身体を貪りあった後の別れの切なさが狂おしいほど伝わって来て最高でした。成就しない関係性であっても、その一瞬一瞬の情熱だけは嘘では無いと言う幻想が美しいのです。完成された恋の行き詰まった姿より、不安定で不完全な恋の行方の方がわくわくするでしょ?


 性も年齢も生き方も超えた、打海文三さんらしい愛の数々は本当に面白い。最後に自伝では無いかと思える二編と、あとがきも合わせて、これほど打海文三という人が出ている作品は無かったかもしれません。

 『恋愛小説を書いてみたいと思うなら、あなたが<出逢えなかった人>について書けばいい。』

 と、打海文三さんは言う。

 しかし、こうであったら、こうであったかも、こうであって欲しかった、そんな想いが次々と架空の物語を紡ぎ、愛しい登場人物達と鋭く刺さる言葉の数々を生み出して来たのだとしても、それだけの価値観に到達する経験を打海さんはして来たのだろうと僕は思う。少なくとも、僕のような薄っぺらい人生を送って来た人間よりは濃い生き方だったはずだ。



 希望的観測ではあるけれど、そんな幻想を押し付けたくなる作品を遺したあなたが悪いのですよ打海文三さん。

 文句があったら新作で語ってください.....(/_;)

今回も良い打海文三さんでした。大人達のありえたかもしれない出逢いの数々素敵やん。


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