生きるってのは、綺麗事で語っちゃイケねぇものなのさぁ「トゥルー・グリット」ジョエル・コーエン/イーサン・コーエン/スティーヴン・スピルバーグ(製作総指揮)/2010年/米国/映画/感想

 俺の名前はコグバーン。


 こ汚い大酒呑みだが、こうみえても保安官だ。


 その昔は泥棒をして生活してたこともあるが、今じゃ悪党に鉛弾をぶち込むのだけが生き甲斐さ。


 俺の銃の腕はピカイチ。1対7で撃ち合いをして勝ったこともある凄腕だぜ。



 しかしそんな俺が、たった一人の餓鬼にたじたじになってやがる。


 父親を殺された14才の餓鬼にだ。




 そいつは女のくせに度胸満点で、がめつい仲介屋の”ストーンヒル”から大金をせしめることにも成功したらしい。


 しかもその金で俺を雇うと言いやがるんだ。


 50ドルよこせ。100ドルよこせと無理難題を押し付けていれば、そのうち居なくなるだろうと思ったが、あのお嬢ちゃんはしつこいのなんのって。便所まで押し掛けて来た時の勢いそのままに、街に置き去りにしても追い付いてきやがった...




 まあいい。


 荒野で生きるってことの虚しさをその身に刻むがいいさ。


 自分の浅はかさを思い知るには良い頃合いだろう。



 それに俺は酒代のための賞金さえ手に入ればそれで良いしな( ゚Д゚)y─┛~~プハァ 






 善悪の判別さえ難しい過酷な西部時代に、ただ一つ確かなことがあったとするまらば、生きようとする者の後ろには、必ず誰かの死体が残されていたと言うことだろう。


 必要以上の欲を得るために原住民を傷つけ


 家畜を奪われた報復のために私刑を行い


 浮気の真っ最中な恋人の頭を打ち抜き


 手っ取り早く金にありつく為に旅人を襲う



 当時を良く知る人などもう誰も生きていないのだから真実はハッキリ分らないけれど、あの時代の混迷っぷりは記録を読むだけでも充分に伝わって来ます。


 誰もが「俺が正義だっ!」と言わんばかりに命のやり取りをしていたのだと。



 そんなとんでも無い時代に仇討ちを14才の女の子が果たそうというのだから、そりゃ〜無法者達も驚くわけで、一緒に父親の仇を捕まえに行くことになる保安官どころか、仇の男の仲間達さえ感心する始末w(この悪党どもにも妙な愛嬌がある)


 しかし、最終的にはそんな連中も地に還ることになり、少女も瀕死の状態に落ち入ることになってしまう。


 少女は保安官の非情なやり方に触れ、復讐を果たした結果、生きることの責任と覚悟を身を持って知り、成長することになります。


 そこら辺りの非情さがなんとも言えず良い作品でした。




 生きるために死が必要なのか


 死のために生が必要なのか



 僕らは身体が機能を停止するその日まで、いつまでもそう問い続ける。


 そして、答えは出ないまま生きるために何かを殺し続けるのです。


 けして西部時代の人間が特別だったのではありません。まだあの頃から200年も経っていないのだから。



 実際に家畜を殺していなくとも、肉を貪っている現代の僕らも命を奪って生きている。


 菜食家だって植物と言う生物を殺しているのに違いは無い。


 厳密に言えば目に見えない生物さえ日々殺しているのだし。




 嫌なことは他人に任せ。


 自分の意識の外で、自分の利益の為に誰かや何かが死んでも知らん顔。


 それが現代の生きるということ。



 直接自分の手を汚して人を、生き物を、殺していた西部時代の方が、ある意味健全な気がしなくもないなと思ってしまいましたね.....






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