アナタの生きた証になりました「ハーモニー」/伊藤計劃/2008年/早川書房/小説/感想

 昔から「人類の歴史」は「戦争の歴史」であると言われるほどに、人間は何度も戦争を起こしては静めて来ました。

 まるで何かを調節するかのように、自主的に始め、自主的に終わらせるのです。

 何処かの誰かも言っていました。

 戦争を始める時は「命より大事な物がある」のだと声高に叫び、戦争を終える時は「命より大切なものはない」と口にするものだと。


 今作『ハーモニー』をざっくり説明すると、そんな「命より大切なものはない」と言う流れになってしまった社会が、行き過ぎた価値観に蝕まれ、自滅への道を辿ってしまうまでの物語なのです。





 この世はいつのまにか仕事を分業するのが当たり前になってしまいました。

 服を作るのも、稲を育てるのも、家畜を殺すことも、仕事だからやっている人がほとんど。

 それはひとえに効率化を目指した結果なのだけど、そんな分業・効率化が少しづつ個性を殺す結果に繋がっていると考えたことは無いでしょうか?

 コンビニやファーストフード店で出されるほぼ同じ内容物の食料を口にし、形も色も差異の少ない自転車で学校へ行き、大量生産のおかげで安価な量販店の服を着る。

 そんな御定まりな選択を自分が自然としているのだと学生の頃認識したとき、見えない何かにコントロールされているみたいで非情に不愉快な気分になったものです。

 効率化の先に「個性(自分)」は要らないと言われているのと同じですから...





 ハーモニーの舞台になる世界は、のちに『大災禍(ザ・メイルストロム)』と呼ばれることになる世界規模での争乱により、どれだけの人間の指を折り曲げても数えることが困難なほどの人命が失われた反動で、極度に人命を護る社会が構築されており、成人には”WatchMe”と呼ばれる体内監視・管理を受け持つナノマシンを組み込み、身体を徹底的に「社会」が管理している。

 勿論タバコやお酒だって駄目。世界にとって貴重な身体を痛める行為は絶対に赦されない社会なのです。



 あまりにも息苦しい極端な管理社会ではあるものの、突飛に過ぎるのではなく「あり得るかもしれない」世界の香りはプンプンします。現に今の時代はルールが乱立されていて、雁字搦め状態だと僕も感じています。

 例えば何かしらの事故が起きたら、まずAと言うルールで対策取る。次にAと言う対策では防げない事例が出ると、今度はBを。次の次にはCを。次の次の次にはDといった感じに際限なくルールは増えて来ているのが実状ではないでしょうか?

 あなたの周りのルールはどうです?

 学校では?

 会社では?

 家族間でさえ護るべきルールは増えてゆくことでしょう。

 傷口を塞ぐ白血球のように、際限なくリスクを回避しようとすれば、いずれ訪れてもおかしくない社会がハーモニーには描かれているのです。





 物語は管理社会に漠然とした違和感を持っていた少女”トァン”が、強烈なイデオロギーで武装した少女”ミャハ”との想い出を振り返るように進行します。

 どことなく”皆川博子”さんの描く百合っぽさも出ていて、少女時代の危うい陶酔が詩的に展開。とことん管理されてゆく社会で幼い反抗心の向かう場所とは何処なのか?と直ぐに夢中になりました。あり得るかもしれない未来の技術がそこに合わさってリアリティを底上げしているし、とても美しい序盤です。

 時折マークアップ言語と呼ばれる言語を付けて文面を印象付ける演出方法も、SFちっくな本作をより詩的でスタイリッシュに読ませてくれていました。

※「マークアップ言語(マークアップげんご、英: markup language)はコンピュータ言語の一種で、文章の構造(段落など)や見栄え(フォントサイズなど)に関する指定を文章とともにテキストファイルに記述するための言語である。文章に対するそれらの指定をマークアップと呼び、マークアップを記述するための文字列をタグと呼ぶ。」




 その後、身体の状態を管理するWatchMeを悪用した大きな事件が起き、成人女性へと成長していたトァンがその捜査を行うようになるのですが、その先々で『機動警察パトレイバー2 the Movie』や『メタルギアソリッド』シリーズが脳裏をよぎるような哲学的に人が人たる所以である自我の必要性の有無が語られてゆきます。戦争も飢餓も無い、何処までも平安な生き方をシステムでコントロール出来るようになってしまったら、人は意思や感情さえ必要無くなるのでは無いかと。

 大きな病に侵されたために管理された摂生生活を余儀無くされた伊藤計劃さん。皮肉にも、その不自由さこそが今作を完成へと導いてしまったわけです。ネガティブなことも、大好きな「書く」ことに活かすことが出来ただけ幸せだったのもかもしれませんが....



 トァンとミャハにはもう一人友人<同志>がいて、三人は自分が自分であると管理社会へ示すために自殺しようとするのですが、ミャハ以外は自殺を失敗し、その時の三人目”キアン”はのちにこう語ります。

「生きるって苦しくて痛いものなんだ」「この苦しさが、人間が生命である証なんだって。そう思うと、突然怖くなったの」


 病いにより苦しく痛い時間を経験した伊藤さんの生の声が登場人物に宿っているセリフの良い例です。

 幸福なことでは無いが、嘆きや哀しみ、怒りが大きければ大きいほど生き物はそれをエネルギーに出来る。無論上手くコントロール出来ればの話ですが、伊藤さんはそれが出来る人でした。病魔に奪われる物を逆手にとって、これだけの本を書いたのだから。

 途中少しB級映画のように野暮ったく感じる場面もあったけれど、序盤と終盤の静けさが僕はとても好き。伊藤さんなら最初から最後までブレない詩的な雰囲気でSFを書ける人になれたであろうから、まだまだこれからというキャリアがプッツリと途切れたのが本当に悔やまれる。あと10年経ったらどんな巨匠になっていたかしれません。せめて「屍者の帝国」だけでも最後まで書かせてあげたかった。

 誰の為でもない、伊藤計劃あなたの為に....




 不完全な魂が完全を追い求める過程で生まれるのが芸術だから、もしもハーモニーのような個性の無い世界になってしまったら、ひどく味気ないものになってゆくことだろう。それだけは絶対に嫌だなぁ。

 それにきっと伊藤さんは、ミャハになりたかったんだろうとも思う。あれだけ割り切って生きられれば、生になんの未練も残らずに済むだろうから サラサラ(・3:.;:…フワ(-...:.;::..;::: ..:.;::☆。.:*:・キラリン


もっと伊藤計劃さんの長編読みたかったな....





 関連過去記事

  『伊藤計劃と言う男の残したモノ「虐殺器官/伊藤計劃/早川書房/2007年」』
 http://lainblog.seesaa.net/article/171428150.html?1383340623

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