訴訟大国的ヒロイズムの残照「エリン・ブロコビッチ」/スティーブン・ソダーバーグ(監督)/ジュリア・ロバーツ(主演)/米国/2000年/映画/感想




 弁護士資格も持たないアメリカのシングルマザーが、汚染物質を垂れ流した大企業相手に多額の賠償金を引き出す事に成功し、一躍時の人となって映画化までされてしまったのが”エリン・ブロコビッチ”さん。


 職も見つからず、社会的立場の強い医者との交通事故に関する裁判にも負け、そんな苦い経験からアメリカの弱者に対する姿勢に不満たっっぷりな彼女は、大人の事情で動く社会へ常に怒りを露わにし続けます。


 交通事故の裁判の時に自分を弁護した男にキレ


 バイクで爆音を鳴らした隣人にキレ


 にやけ顔で調停に現れた企業側の弁護士にキレ


 とにかくキレまくるw



 女性と言うのは生の感情を剥き出しにする事により、活力を得て行動するタイプの方が多いですけど、エリンさんみたいな女性はクレイマーレベルのしつこさなので、正直訴えられた企業に同情してしまうところもありました。


 多くの女性にとってこの映画は、普通の女性が言いたい放題叫びまくって大きな事をやり遂げる痛快な気持ちになる映画だと思いますけど、汚い大人の事情も少しは理解出来る年齢になった僕にとって、エリンのような存在は正直面倒に感じてしまいます...


 劇中、被害者女性宅へ話を聴きに行ったシーンで「あんたの目当てはお金でしょう?」と言われるところがあるのですが、まさにその通りだろうと僕も思いました。


 勿論映画ですから、そんな批判を口にしてた女性もエリンに協力的になっていくし、上手く綺麗な嘘を並べ立て、負ければ一銭も手に入らず借金だけが残る大きなリスク覚悟でアナタ達のためにやっているのだと語り、自己犠牲の美しさを強調した展開にはなります。


 確かに事実の部分もある。誰かが立ち上がるべき問題でもあるだろう。一般人には法律の事は難しく、実被害にあっても何をどうして良いのかも分らないのも本当のところです。


 しかし、どうにも腑に落ちない....




 この映画の真の主役が被害者達だと言うならば、何故最後にエリンが200万ドルのボーナスを手にするシーンで終わるのだろうか?


 被害者の女性と最終的な和解内容について話をするシーンから、カメラが引いて子供達の笑い声や自然の美しさを僕らに残して終わるべきだったのでは?


 そうすればエリンが護ったものが、自身のプライドやお金の為ではなく、子供達が安心して暮らせる環境だったと綺麗に終わったのではなかろうか?結局「お金」と「自分」が大切だと開き直っているようにしか思えないのです...




 ある意味アメリカらしい欲望に素直な作品ではあるし、ここまで嫌悪する必要も無い映画かもしれませんが、今まさに放射能の驚異に晒された環境で暮らす人々がいる日本にとって、被害者を喰い物にするような人々を英雄視する作品はあまり心地良いものではありませんね。


 自分の目的を他人の目的にすり替え、自分の本心さえ騙す事が出来るエリンさんは不快だし怖いです.......


 僕ならこんなに自分を美化した映画なんて絶対作って欲しく無いですね。


 どんだけ図太いんすかエリンさん......





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