葬送の跡に

 昨夜、十数年振りに喪服を着た。

 毎年のように父の地元へ帰ったら顔を見に行っていた曾祖母の葬儀に行って以来だった。


 普段仕事で背広も着ないし、ネクタイも締めないので、すっかりネクタイを締めるところから思い出さねばならないと言う失態を演じながら、最近は疎遠になっていた叔母のお通夜へと向かいました。

 叔母と言っても、母とは10歳以上歳が離れており、母自身も姉妹と言う感覚が無いらしく、知り合いのお姉さんが亡くなったくらいの感覚のようでした。

 脳の関係で倒れ、失語や記憶障害等の様々な症状に見舞われてからは、なおの事疎遠になっていたのですが、子供の頃ちょくちょく顔を合わせており、人当たりの優しい叔母の笑い顔を今でも想い出します。


 僕は派手な葬送は好きでは無いし、一切宗教にも関わりたくない人ですが、会場の啜り泣く声と故人と元々縁があったお坊さんの感情が籠った言葉を耳にしていて、誰かの披露宴を観て自分も結婚式を挙げたいと感じてしまう世の女性のように、こんな心の籠った儀式ならば、悪く無いなと素直に感じました。

 葬送は死した者の為ではなく、遺された者達のけじめとも言える行為ですから、死者がどう考えていようとも、遺された人々の想いのままに執り行う事こそ大事なのかもしれませんね。




 追伸、奇しくも叔母と同じような病いに苦しみ、ほぼ同じ年齢で亡くなられた ”大島渚”

 生前良いところも悪いところもあった大島渚さんですが、僕らくらいの世代にとっては、いつもニコニコしながらバラエティ番組に出ていたイメージが大きかったです。


 叔母と共に監督のご冥福もお祈り致します....




自分の死後、「あの人も悪い人じゃ無かったね」って、酒の肴にしてもらえれば嬉しい限りですね。

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