手に残る温もりは、命の証明。

 生きてゆくうえで、絶対に避けられないのが「死」

 どんな生き物にも等しくそれは訪れて、それだけが平等な権利でもあります。

 
 若く先の不安など物ともしない時期は、その存在に悩む事も少ないですが、身体的な伸びが止まる年齢を迎え徐々に衰える身体を意識するようになると、いずれ訪れる「死」と言う避けられない終わりを、どうやって受け入れてゆくのかが「生きる」上で大事位置を占めるようになってゆきます。



 
 今日僕は、一匹の小さな生き物を葬りました。まだ幼く、か細い子猫でした。

 おそらく道路を横断しようとして撥ねられたのでしょう。道路の中央付近に横たわっていました。
 
 直ぐ近くで仕事をするところでしたし、しかも既にカラスが狙っているのも見えましたから流石にそのままにしておけませんでした。

 出血もなく、まるで寝ているかのようなその姿。しかし抱きかかえても身動きしない猫。脈打つ鼓動もしないのに、まだ残る温もりだけが手に伝わって、一気に感情が押し寄せて来ました...


 この猫を哀れむ事は、死から逃れられない自分を哀れむ事。自分がこうだったらと考えた自己愛です。

 でも、それでも、葬って良かった。自分と同じく、有限の命を大地から預かる仲間を、慈しむ事が出来なければ、きっと自分だって愛せないのだから....



 こうして一つ一つ死を間近にする事で、自分の死をイメージ出来るようになってゆくのかもしれません。これからも沢山の死を目にする事でしょう。それは数え切れないほどに。いつか自分の命が果てるその時まで...



 あの体温を僕は忘れない。あの猫が生きた証拠だから。