過去の自分にこんにちわ♪

 「色んな事から逃げ続けて来たこんな日々に、疲れてしまった。 死ぬまでに”誇り”を取り戻せるだろうか? 眩しい人々を見るたび荒んでいく心... 弱い心に押しつぶされていく”自分”を受け入れる”勇気”が足りない。
 僕は長い間勘違いしていた。与えるものが無いから、与えられないと思っていた。本当は、与えないから与えられないものだったんだ。
 少しづつでも前を向いて、自分の周りに居てくれる人々を、笑顔で迎え入れる事の出来る”人”になりたい。」


 十数年前の自分が書きなぐった文面。この頃の僕は、自分の可能性から目を背け、何度もあったチャンスを全て無にしていた。世間を達観して、馬鹿にし、何かに打ち込む事から逃げ続けていた。でもそんな自分にも限界が来た。その時の感情をぶちまけたかったのかもしれません。 
 
 世間が思うほど、逃げるという行為は楽なものではありません。とにかく人が望む物事に反して生きる。自分が本当は望んでいる事に反して生きる。そんな必要が何処にあるのかさえ、自分でも分らなくなるまで、世界と逆の立場に自分を置く事になる。
 自分が分らなくなってくれば、不安でアタマは一杯になり、周りの笑い声や視線が自分を嘲笑しているように見えてくる。もうそうなったら完全に心を病んでしまっていると思いませんか?

 そんな状態の自分をなんとか維持する為にも、”自分”を文字に書き留めて、無理にでも正当化しなければここまで生きて来れたかさえ自信がありません。しかし今読んでみればなんの事はない、まだ社会を知らない青二才の泣き言ですなww

 働くようになればこんな泣き言言ってられないですよね!毎日同じような繰り返しを、疲れを引きずりながらも続けなければならないのが仕事なのですから、自己満足に溺れて生活なんてしてる暇さえ無いのが現状です...(´・ω・`)ショボーン

 
 こんな事を書いていた自分を振り返ると、当時にtwitterがあればまた違う自分になっていたかな?と思ったりしますね。twitterなら周りの反応もあるし、大人の方の意見も聞けた事でしょう。
 楽しい事も、真剣な事も、語り合えるtwitterの素晴らしさを、実感してしまう過去の恥ずかしいメモにまつわる、お話でした...ε=(´ο`*)))ハアー