自分が選ぶ。それが一番難しい世界「馬鹿と嘘の弓 Fool Lie Bow」森博嗣/講談社/感想

日曜日を迎える度、自分はクズだなと思う。

連休が少ないのを言い訳にし、家事全部を放っぽり出して汚い部屋に篭り、食事と居眠りの合間にゲームと動画でだらだら過ごし、0時を越えて月曜になっても寝るのを惜しんでパソコンに向かっているのだから、そりゃ誰がどう考えても駄目人間である。



しかし、駄目とはなんなのか?誰から見て駄目なのか?どうして駄目だと思ったのか?本当に優先すべきことだと信じているのなら、それは駄目なことではないのでは?今回の休日の過ごし方だけの話をするならば、自分自身が気持ち良く過ごす為にも、本当は家事をやりたかったと云う思いがあるのだから駄目で間違いないが、誰かの思い込みや押し付けで駄目と云うのが社会には付き纏うものである。

ルールで許されていないから。他の大多数がそうしているから。そして最後には「あなたのためだから」と社会は個人を制御する。しかし、そう決められているからって、守らなきゃいけないと云うのは少し違うだろう。人間にはやりたいことをやれるだけの自由はある。その結果がどうなるにしてもだ。そこを履き違えているから、間違ったルールすら受け入れて頼りに生きてしまう。日本人には特に当て嵌まる光景だ。

もしも自分がそのような沼に嵌まり込んでいることに、気付いていない人がいたとしたら、本作を読んでどう感じるのだろうか?


"探偵は匿名の依頼を受け、ホームレス青年の調査を開始した。対象は穏やかで理知的。危険のない人物と判断し、嵐の夜、街を彷徨う彼に声をかけた。その生い立ちや暮らしぶりを知るにつれ、何のために彼の調査を続けるのか、探偵は疑問に感じ始める。青年と面識のあった老ホームレスが、路上で倒れ、死亡した。彼は、1年半まえまで大学で教鞭を執っていた元教授で、遺品からは青年の写真が見つかった。それは依頼人から送られたのと同じものだった。"
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あらゆる常識に対し「本当にそうだろうか?」と客観的に思考する森博嗣さんがホームレスの青年を介し放り投げた疑問は、自分が昔から抱えているもやもやと重なるものがあって、たかが社会不適合者の末路だと切って捨てるのは無理だった。森さんが小説家を始めた頃の実験的ミステリーの遊びも無ければ、Xシリーズでお馴染みの2人でほんわかする暇も殆どないまま、淡々と世捨て人と成り果てた青年と、その周辺の人間模様が繰り広げられ、”彼”が最後に自らの意思で成し遂げるまでの渇いた感じが非常に美しかった。

ハードボイルドで片付けるのも勿体ない気がするほど、キレキレの思想が恐ろしくもあり、本当にこんな本を書ける人が小説家を引退する日が来てしまうのだろうか?と思ってしまった。カリスマ製造機としてまだまだ活躍して欲しいのがファンとしての正直なところではあるけれど、本当にどうなのか?まだ辞めたいのだろうか?



人間はどうしても他者と関わらないで生きるのが難しい。特に今のように、何処でどう生きていても誰かの管理下に置かれてしまう社会であれば尚のことである。真に自分の意思で行動すると云うことは不可能に近い。僕は日頃自由過ぎる同僚や上司に腹を立てることも日常茶飯事で、云うこと聞いてくれよと嘆いているけれど、それだって社会の枠組みに呑まれているだけに過ぎない。

自らの自由意志を貫きながらも、社会と上手く付き合うなんて離れ業が可能なのは、ルールを押し付けている側だけなのでは?そんな世界だから「馬鹿と嘘の弓」の青年はホームレスになったのではないのか?

永遠のジレンマとでも云うべき森博嗣さんからの課題に、初老を迎えた自分の脳細胞が軋む音まで聞こえてきそうである.....






posted by lain at 21:08北海道 ☔小説