お前の日曜日は終わった May we meet again「The 100/ハンドレッド シーズン7完」Netflix/感想

明日から出張に行くと云うなか、部屋の掃除と本の整理を始めて止まらなくなった日曜日。どうせならと海外ドラマの消化に明け暮れていた。

ニチアサの時間帯にはウォーキングデッドのシーズン10を最新話まで目撃し、午後からは撮影再開分が配信されていたThe100の正真正銘最終話を見てしまった。





※どうせファイナルだし、ネタバレバレで書きます

核戦争が起きて地球上のほとんどの生き物が絶滅し、人類は宇宙ステーションに移り住んでいた僅かばかりの者だけが生き残り、それから100年を経て、いよいよステーションも資源の面でやばいから、人減らしついでに地球が今現在居住可能かどうか調査すると云うお題目で問題児ばかりを100人地上に送り出すと云う、バリバリSFな導入だったThe100。なんだかんだでシチュエーションは非常に好みなものだったなぁと振り返ってしまう。

地上に送られる子供達は絵に書いたかのように協調性なく自分本位で動き周り、その結果悲惨な結末を迎える度に自責の念にかられながらも同じ選択を繰り返すと云う、海外ドラマにありがちなベタ展開が、いかなるシチュエーションにおいても発揮されるため、正直途中で見るのをやめようと思った時期もあったのだが、核に冒された大地で生き残り子孫を増やしていた民や、シェルターの中で文明を維持したまま生き残っていた者達との諍い、そしてAIとの戦いを経て新天地を探しに宇宙へ戻り、親友の遺した居住可能な惑星へ辿り着くと言う流れに上手く乗せられここまで来てしまった。出来不出来に関係なく、一度見始めた物をやめる勇気が足りない俺である。

ただ終盤は、新展開を盛り込みつつも、これまでばら撒いたものをちゃんと刈り取るような流れにはなっていて、黒い血とフレームの正体や核で世界が焼かれてしまった時を知る者達とリンクして行き、どうやら人知を超えた存在に人類は試されているようだと言うのが分かってくるのが面白かった。新天地で意識だけを移し替え延々と人々の上に君臨していた者達や、過去の亡霊との生存競争に明け暮れていただけと言えばそうなのだが、ここまで拗れてくると”結末をどうすんだ?”と云う意地の悪い好奇心が刺激され楽しくなってしまうのだ。

結末としては、まさかのエヴァというかイデオンというか、個で居続けても滅亡するだけだから、もしもお前らに生きる価値があるというなら意識だけの集合体にして生かしてやんよ的な上から目線話になる。しかも主人公お前だけは赦されないことをやらかしたからたった独りで生きていけや状態となり、ワンちゃんだけが寄り添ってくれるのかよという切ないオチになるかと思いきや、そうはならないところが、良かったような悪かったような、どうにも収まりの怪しい終焉だった気がしてならない。




まあ、ここまで複雑に事象が絡み合った作品になると、着地点を決めるのは至難の技ではあったと思う。それでなくとも云うことを聞かないキャラクターばかりだったのだから。クリフハンガーで打ち切りになった数多の作品たちよりは、このコロナ渦であっても完結出来たことは喜ばしいことではある。

振り返れば死なせるのが惜しいキャラが多くて気が遠くなる。主人公であるクラークと一緒にメインを張るかと思っていたら即死んだあいつ(名前が思い出せない)や、そのクラークを愛し過ぎて身を滅ぼしたレクサ、オクタビアが狂おしいほど愛したリンカーン、浮き沈みは激しいが優しい男だったジャスパー、女という女に良いようにされて散った氷の国の王子、重積と息子の死で悟りを開いてしまったジャハ、生みの親であるベッカの姿を借りたAIだって消えてしまえば寂しい気分にさせてくれた。他にも大勢の命を犠牲にして物語は完結したのだと思うと、なんだか感慨深いものがあるのは確かだ。



コロナだけではなく、様々な事象が人類を試しているかのように思えてしまう時代である。果たして我々はThe100の連中の選択を責めたり笑ったり出来るほどの生き方を出来ているだろうか?

ドラマのように誰かが助けてくれるなんて旨い話はないだろうけれど、せめて化けて出たくなるような死に方だけはしたくないものだ。

悔いはあっても悔いはない。そうだったらいいなと切に思う。








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