カメムシと引き換えで手にした風景

久しぶりの土日休みを満喫出来たからか、今日は1日気持ちにゆとりを持って仕事が出来た。

やはり自宅は良い.....カメムシが連日迎えてくれた先週の出張宿とはえらい違いである.....





出張で仕事をして来たのは、某温泉地の中でも最奥地にある温泉宿近辺で、山道の入り口から現場まで10Km近く車で入って行かねばならず、それでなくとも何処の呪泉郷に来たかと思うほど穴ぼこ水溜りだらけの未舗装路で、適当に数えただけでも70ものコーナーがある道を延々と時速20キロ前後で運転し続けるのは本当に疲れた。しかも作業になると自分の身長より背の高い笹藪に入って行かなければならないと云う仕打ちだったから、今現在膝は絶不調であります......

ただ、流石に人があまり入って来ない場所であるため、風景は本当に綺麗だった。数日前に降ったと思われる雪の白さや、荒々しい山の気候が生み出した水の流れ、そしてその流れでも押し流せないほどの大きな岩の数々に、此処は人間が入り込んで良い場所ではないなと思ってしまった。

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せめてあの宿が良かったなぁ....と思いながら終わっていく紅葉を見ていた
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車一台分ギリギリの場所も多い

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整備も行き届いていなくて、なかなかの風情である。サイレントヒルを思い出した....w




観光であれば、なかなか楽しめる環境だったかもしれない。普段から田舎に住んでいるわけだが、上には上がいるのを久々に感じた意味でも新鮮だった。たまにはこういう仕事も悪くない。

あくまでもたまにはではあるけれど.......


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posted by lain at 21:17北海道 ☔写真

うちのPCエンジンがLTになった日「ポータブルモニターLCD」コロンバスサークル/感想

WEBに上げられた「大竹まことのただいま!PCランド」を見ながらこれを書いているので、まともな文章にならないことをご容赦いただきたい。PCエンジンの話題になると、ついついこの番組のことを思い出してしまって仕方ない。

子供の頃のTVゲームと言えばファミコン、メガドライブ、そしてPCエンジンだった。それぞれ個性的なハードで、ソフトだけでなく周辺機器の差も楽しめた。ファミコンは書き換え可能な磁気ディスクを使用可能とするディスクシステムがあったしサードパーティのアイテムも豊富で、メガドライブはCDをメディアとして使うメガCD以外にも後方互換を可能とするメガアダプタや、ビット数を倍に出来るスーパー32Xのように、初代メガドライブに幾つもの周辺機器を着けることが出来た。

そしてPCエンジンはどうだったかと言えば、ライバルに先駆け80年代にCDを使用するCD-ROM2を発表したり、HuCARDの弱点であるバッテリーバックアップの面をカバーするべく”天の声”を用意しただけでなく、据え置き用のソフトを出先で簡単に遊べるようなアイテムの開発も頑張っていて、HuCARDをそのまま利用出来る携帯機PCエンジンGTや、4インチの画面を備えたラップトップ型のPCエンジンLTまであった。どちらも今では高騰していて、動作が怪しい品まで買うのは困難である。

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誰が買うかこの値段で.......



ただいまPCランド後も続いたPCエンジン番組のどれだったかは思い出せないけれど、番組内で渡辺浩弐さんが使っているのを見てからずっと欲しいと思いつつ買えるわけもなかったLT。だから自分のPCエンジンをラップトップに変えてしまえば良いじゃないかと云うコロンバスサークルさんのアイテムには即喰い付いてしまったのは言うまでもない。なにせたった1万円で満たされた気分になれるのだ。

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これと
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自前のPCエンジンを合体させると
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こうなる



初代PCエンジンにも装着出来るが、色味を考えてもコアグラⅡがしっくりくる。背面端子への差込はサードパーティ商品らしいキツさが若干あるし、画面の首の座り方が緩々で剥き出しのフレキシブルケーブルの耐久性にも不安は残るがフィット感はなかなかに良く、PCエンジン本体の電源が要らない仕様も悪くない。ただそのせいで画面それ自体をオンオフする必要があるため、レトロゲーの立ち上がりの良さが殺されているのも少々気になる。一度設定した音量もソフトを立ち上げる度に設定し直さなければならない。

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折りたたむといよいよLT感が出る。本家より1、2mm薄いかもしれない。

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普通に発色は良さげに見える





まあ純正ではないのだから、少々ネガティブなことがあっても、そこまで気にはない。ポータブルバッテリーを使えるし、HDMIで大画面への接続も出来る(TV接続時、縁に緑色のラインが入るのはちょっぴり残念)から、実機をTVに繋ぐためのツールとしても使い勝手が良く、LT化の夢をちゃんと実現してくれただけで何もかも帳消しと言って良いレベルにある。こういうアイテムを本家がやってくれたら最高なのになぁと考えてしまった。なんとか”mini”と称して中年から小遣いを巻き上げるだけではなく、既に現役を退いたハード達を彩る為のアイテムを今更と言わず発表してはどうだろう?


いつからか、ゲーム機は合体しなくなった。その方が安上がりで良いのだけど、何故だか寂しい気がしてしまう自分が居て不思議である.....






posted by lain at 15:02北海道 ☔ゲーム

お前の日曜日は終わった May we meet again「The 100/ハンドレッド シーズン7完」Netflix/感想

明日から出張に行くと云うなか、部屋の掃除と本の整理を始めて止まらなくなった日曜日。どうせならと海外ドラマの消化に明け暮れていた。

ニチアサの時間帯にはウォーキングデッドのシーズン10を最新話まで目撃し、午後からは撮影再開分が配信されていたThe100の正真正銘最終話を見てしまった。





※どうせファイナルだし、ネタバレバレで書きます

核戦争が起きて地球上のほとんどの生き物が絶滅し、人類は宇宙ステーションに移り住んでいた僅かばかりの者だけが生き残り、それから100年を経て、いよいよステーションも資源の面でやばいから、人減らしついでに地球が今現在居住可能かどうか調査すると云うお題目で問題児ばかりを100人地上に送り出すと云う、バリバリSFな導入だったThe100。なんだかんだでシチュエーションは非常に好みなものだったなぁと振り返ってしまう。

地上に送られる子供達は絵に書いたかのように協調性なく自分本位で動き周り、その結果悲惨な結末を迎える度に自責の念にかられながらも同じ選択を繰り返すと云う、海外ドラマにありがちなベタ展開が、いかなるシチュエーションにおいても発揮されるため、正直途中で見るのをやめようと思った時期もあったのだが、核に冒された大地で生き残り子孫を増やしていた民や、シェルターの中で文明を維持したまま生き残っていた者達との諍い、そしてAIとの戦いを経て新天地を探しに宇宙へ戻り、親友の遺した居住可能な惑星へ辿り着くと言う流れに上手く乗せられここまで来てしまった。出来不出来に関係なく、一度見始めた物をやめる勇気が足りない俺である。

ただ終盤は、新展開を盛り込みつつも、これまでばら撒いたものをちゃんと刈り取るような流れにはなっていて、黒い血とフレームの正体や核で世界が焼かれてしまった時を知る者達とリンクして行き、どうやら人知を超えた存在に人類は試されているようだと言うのが分かってくるのが面白かった。新天地で意識だけを移し替え延々と人々の上に君臨していた者達や、過去の亡霊との生存競争に明け暮れていただけと言えばそうなのだが、ここまで拗れてくると”結末をどうすんだ?”と云う意地の悪い好奇心が刺激され楽しくなってしまうのだ。

結末としては、まさかのエヴァというかイデオンというか、個で居続けても滅亡するだけだから、もしもお前らに生きる価値があるというなら意識だけの集合体にして生かしてやんよ的な上から目線話になる。しかも主人公お前だけは赦されないことをやらかしたからたった独りで生きていけや状態となり、ワンちゃんだけが寄り添ってくれるのかよという切ないオチになるかと思いきや、そうはならないところが、良かったような悪かったような、どうにも収まりの怪しい終焉だった気がしてならない。




まあ、ここまで複雑に事象が絡み合った作品になると、着地点を決めるのは至難の技ではあったと思う。それでなくとも云うことを聞かないキャラクターばかりだったのだから。クリフハンガーで打ち切りになった数多の作品たちよりは、このコロナ渦であっても完結出来たことは喜ばしいことではある。

振り返れば死なせるのが惜しいキャラが多くて気が遠くなる。主人公であるクラークと一緒にメインを張るかと思っていたら即死んだあいつ(名前が思い出せない)や、そのクラークを愛し過ぎて身を滅ぼしたレクサ、オクタビアが狂おしいほど愛したリンカーン、浮き沈みは激しいが優しい男だったジャスパー、女という女に良いようにされて散った氷の国の王子、重積と息子の死で悟りを開いてしまったジャハ、生みの親であるベッカの姿を借りたAIだって消えてしまえば寂しい気分にさせてくれた。他にも大勢の命を犠牲にして物語は完結したのだと思うと、なんだか感慨深いものがあるのは確かだ。



コロナだけではなく、様々な事象が人類を試しているかのように思えてしまう時代である。果たして我々はThe100の連中の選択を責めたり笑ったり出来るほどの生き方を出来ているだろうか?

ドラマのように誰かが助けてくれるなんて旨い話はないだろうけれど、せめて化けて出たくなるような死に方だけはしたくないものだ。

悔いはあっても悔いはない。そうだったらいいなと切に思う。








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