笑いの便秘に効く男だった

子供の頃の娯楽の頂点と云えばTVだった。学校から帰って来てからの夕方アニメや、夕食時のバラエティ、親が良いと云う時だけ観れた21時からの2時間物の映画やドラマ等々、暇さえあればTVを観ていたような気がする。

とは云え、あの当時は今のように各部屋、家族それぞれが好き勝手に観れる環境に無かった。貧乏で何台も買えなかったと云うのもあるが、妙に家族一緒に観たがる癖が昭和の家にはあった。一家団欒どころか日本全国が一緒になって特定の何かを観たり聴いたりしたがる時代だったのだ。だから当然チャンネル争いも熾烈で、好きな番組を毎週欠かさず見るのはまず不可能。ビデオデッキが増えてもそれは変わらなかった。結局”それ”も取り合いになるからである。1人っ子の同級生がどれほど羨ましかったかしれない......お年玉的にも........




そんな子供時代に、本当に沢山笑わせてくれたのが”ドリフターズ”であり”志村けん”さんだった。今更説明の必要すらない(若い子はググってくれ)”8時だョ!全員集合”の編集での誤魔化しが効かない生放送(生でない場合もあった)のテンポ感を維持したままセットとネタを入れ替え続け、お茶の間に笑いを届けると云う挑戦的な試みは未だに超える物がないくらい凄いものだった。懐古趣味だの老害だの言われても良い。こればっかりは信じて疑わない。トラブルが起きてもそれを即興で笑いに変える機転が本当に素晴らしかったのだ。特に志村けんは調子に乗り過ぎてミラクルを起こす天才だったように思う。人間関係や番組作りの行き詰まりもあって週単位の全員集合は終わってしまったが、その後もSP枠で放送されていたし、”加トちゃんケンちゃんごきげんテレビ”や”志村けんのだいじょうぶだぁ”でも沢山お世話になった。あの頃の俺の笑顔のほとんどは彼が生産していたと言っても過言じゃない。

現在ならきっと深夜アニメを親の方々は見せたくない番組と名指ししそうだが、僕らの時は志村けんの番組全般が親が子に見せたくない番組だった。何度も親に「そんなくだらない番組見るのやめなさい」と言われてもお構いなし。TVを消されたりもしたけれど、それでも次週の同じ時間になればチャンネルを合わせた。そんなの観てたら馬鹿になると言いつつも、自分だって笑っていたのを俺は知っていた。

様々な事柄が多様化して、大勢が一つのことに夢中になる機会は減った。去年のラグビーのようなことは本当に稀なことである。皆が自分に合ったコンテンツを手にし易くなったと云えば聞こえが良いが、個人行動が好きな割りに寂しがり屋なところはまるで変わっていないのが人間だ。たまには誰もが同じ話題で盛り上がるのも悪いことでは無いように思う。ただ、それが訃報と云う形で無ければだ......




志村けんは死んだ。普通にあっさりと流行病が原因で。

貪欲でお調子者できっと憎まれたことも沢山あったろう。歳をとってからは動物の番組で良いオジさんをやっていたけれど、それだけの人生ではなかったはずだ。でもこんな死に方をするだなんて露程も思わなかった。なんだかんだで志村けんだから仕方ないと許されてしまうような愛されキャラだったから、ウイルスもしゃーないなぁと居なくなってくれるような気がしていた。

イギリスの首相が感染しようが、もしも安倍晋三が倒れたとしても、もしかすると『自分は大丈夫』と思っていたかもしれない人々の心が今日まさに動いたに違いない。一刻も早くこの事態が収束して欲しい。自分が感染するのも嫌だが、まだ死ななくて良い人達が死んでゆくような様を見せられるのはもっと嫌だ。




いつからかまるで笑えない。笑っても愛想笑いばかりだ。眼が笑っていないと言われるのは前々からだが、心底身体の力が抜けるくらい笑っていた時期だってあった。無理に笑う必要などないが、笑って過ごせるならそれにこしたことはない。

こんな俺のような人間を笑わせるために自分の笑顔を殺すのが、芸人という職業なのかもしれないなと思った。
posted by lain at 21:44北海道 ☔雑記