サブタイトルはダサい。だが演出はすこぶるダサく無い「Gのレコンギスタ I 行け!コア・ファイター」富野由悠季(監督・脚本)/サンライズ/感想

世の中には自分の身近な人と同等か、それ以上に死んで欲しく無い人というのが居て、間違いなく富野由悠季という存在は、そういった”人”の一人として大勢に生き続けることを望まれている。

しかも御大は”ただ生きている”だけではなく、”作品”もセットで生存を望まれるのだから大変である。監督業に引退の2文字は無いとはよく聞く話だが、自分が78歳で同様の生き方を周囲に望まれたとして、果たして富野さんほどの働きが出来るだろうか?おそらく否だ。生きる張り合いにはなっても仕事としてちゃんと形になるかどうかは別の話なのだ。



兎に角想像して貰いたい。TV版放映開始時でも72歳の人が、これだけ瑞々しく情熱溢れる物を作ったのだと云うことを。そして更に寿命をすり減らしながら5部作に及ぶ劇場版を作り上げるのだと云うことを。そう考え出したら胸が熱い物でいっぱいにならないだろうか?





富野さんにとってガンダムとは、正真正銘DNA鑑定も必要無いほど自らの子供である。自分の良い面も悪い面も見せ付けてくる存在だから、愛しさと同じだけ形容し難い感情も入り混じるはず。何しろ一般人にまで知れ渡るガンダムだ、氏の制御を離れありとあらゆる形のシリーズが知らぬ間に世界中で愛されるようになっているのを、心穏やかに見守るなど富野さんでなくとも土台無理な話だ。会社(サンライズ)は会社でオリジナル作品を許さず、タイトルにガンダムと付けることを望み創作の邪魔をして来るし、Gレコに辿り着くまでの道のりは、僕らが思っている以上に大変だったことだろう。

Gレコは自他共に認めるやり過ぎた作品として世に出た。あまりにもスタッフ達のアイデアが面白かったせいで、気分を良くした監督が全部ぶっ込んでしまったのだ。お陰でテンポを早める必要が生まれ、置き去りになった部分が多々有り賛否が割れていたが、劇場版では其処がかなり修正されたように感じられた。流石に尺を削らなくてはいけないため冒頭は少しバタつくが、落ち着かせるところで落ち着かせているので今のところ置き去り感無くいっている。勢力図に関しては相変わらず映像だけで整理するのは難しそうなので、初見さんは観賞後ネットで見たところまでだけ、あらすじをおさらいするのが賢明。



個人的に富野作品は”すれ違い”が肝だと思っていて、正直あまり勢力図や戦争の流れなど昔から頭に入っておらず、そういう物を正しく認識する必要性をそこまで感じてはいない。どんなに便利な物を手にしようが、人類は”ままならない”感情に振り回されるものなのだ、というテーマさえ押さえておけば十分魅力は伝わってくるのだ。上方修正された心理描写だけでなく、絵に関してもブラッシュアップがなされているから熱心なファンにとっては、そこら中がウォーリーを探せ状態なことだろう。Gセルフの瞳も大変味わい深かった。

TV版の内容をすっかり忘れた上で観た劇場版だったが、富野さんらしい細やかな演出を再確認したり、笑いに繋がる演技付け(ヒロイン三人に見守られながらコックピッドの座席で主人公が”う◯こ”するアニメなんて俺は観たことがない(真顔))にも終始顔がにやけてしまった。全編作り直したわけではないから、最近の過剰に透明度のある美術やヌメヌメ動くキャラを演る劇場アニメに比べ見劣りする面もあるやもしれないが、通り一遍ではない演出術により、まだまだ得る物があると感じられた。こうすりゃ売れるの教科書通りでは到底作れないフィルムである。






片道2〜3時間冬道を車で移動しなければならないのが面倒で劇場鑑賞を諦め、ネット配信の存在に食い付きやっと観た人間の戯言ではあるけれど、何十年も昔の本を読んで構成や言葉選びにピリリと心が反応した時のような感覚が富野アニメにはあるので、上部だけを眺め値踏みするのだけはやめて欲しい。百聞は一見にしかず。褒めるにしても貶すにしても、まず見るところから始めようでは無いか。






関連過去記事


posted by lain at 07:06北海道 ☔アニメ