無神論者は孔雀と九字を切る

「孔雀王」の作者として有名だった漫画家”荻野真”さんがつい先日亡くなられたが、孔雀王と言えばエログロな内容だけでなく、宗教色を強く感じる呪文が魅力的な作品として記憶に残っている。「臨兵闘者皆陣烈在前」「オンマユキラテイソバカ」などなど、作中主人公が化け物を退治するため唱える呪文を自分も成り切って暗唱をしていたりしたものである.....

こういうのは誰でも通るものなのではないかと思っている。古くは悪魔くんのエロイムエッサイムなんてのもあれば、みんな大好きジブリの「天空の城ラピュタ」にも有名な呪文はある。孔雀王より先に九字を取り入れ宗教をライトなユーザーに向け発信した「宇宙皇子」も大いに沢山の人を中二病へと誘った。そういう意味でいうと、実に罪深い人たちなのかもしれないw



孔雀王は何度となくシリーズを休めては名を変えて続いて来た作品のため、正直自分は”退魔聖伝”までしかちゃんと読んだことがない。亡くなられたのをきっかけに新し目な孔雀王を読んでみたが、馴染みのキャラが軒並み若返っているうえ、絵のタッチは当然のように変わっていた。しかし荻野さんらしいプロットや作画の味は残っていたから、10数年振りでも普通に孔雀王として楽しめてしまった。これはちょっと退魔聖伝後を順に追ってみたくなる。



もう続きが読めないのは寂しいことかもしれないが、ごめんなさい、もうこれ以上新刊が増えないからこそ、これから読むのが楽という気持ちも少しあります。先が見えない山への登頂は結構しんどいものなので......ファイブスター物........


まだお若いうちに亡くなられたことは、本人が一番残念に思っていることでしょう。

お疲れ様でした....

posted by lain at 07:21北海道 ☔雑記

また中国に差を付けられたなというのが正直な気持ち「流転の地球」フラント・グォ(監督)/劉慈欣(原作)/Netflix/感想

どの国のSF映画でもそうなのだけど、世界規模の危機に際し何故か国内の人間ばかりが活躍しがち。日本も例外ではなく、どう考えても一国の技術レベルで実現不可能な大型合体ロボットを駆使して毎週日曜の朝悪の組織を迎え撃つあのシリーズも国内でばかり戦っている。アメリカ産も当たり前のように国内が舞台の場合が多いけれど、人種性別のバランスには気をつかっているし、あの国の性格上世界規模のテロだの宇宙人襲来だのの中心であってもまるで不思議には感じない。

そういった人によっては些細な問題でしかないリアリティの欠如が気になりがちである自分としては、エヴァのように各国に支部がある的な設定がほんの少しでも有るだけで気分は左右される。本作も一応多国籍なモブキャラは出ているし、世界中で同じような苦境を乗り越えようとしているのが伝わる描写はあるものの、重要なことを左右するのはやっぱり中国人で、こんな大変なことがあったけれど、これからも中国は偉大な国家と人民が一丸となって生き抜いていく的なニュアンスの締めくくりを見せるのが、ちょっぴり残念だったかもしれない。映画は映画会社やスポンサーが口出しするとロクなことにならないが、国家が口出しするともっとロクなことにならない。実際国からの影響があったのか、原作通りなのかは分からないものの、少なからずプロパガンダとして機能している点があることを無視出来なかった。




どうやら太陽の寿命が尽きるのが近いらしいことが分かり、地球ごと他所に移動させてしまおうという壮大なプロジェクトがスタートするも、木星の引力の影響で地球を動かしていた1万基におよぶエンジンが停止してしまい、このままだと木星にぶつかってしまうぞという実にSFらしい壮大さとピンチの演出が普通によく出来ていて、馬鹿でかいエンジンや凍てついた上海等のVFXもかなりの代物。一万基の光が生み出す帯を従えながら宇宙を征く地球の姿は本当に綺麗だった。

地球をナビゲートするステーションへ行ったまま帰らない父への愛憎を募らせていた少年が地球を救う一計を思いつくという出来すぎ具合にはまあ目を瞑るとして、まるで世界中のお偉方の意向が見えて来ないのには「ん?」と思ってしまった。もう一人の主役とも言える主人公の父が、息子達の作戦を確実なものとするため孤軍奮闘している時に、人類の代表のような人間とのやり取りをするシーンはあったが、物分かりが良すぎてまるで現実味がなかった。ステーションのAIすら無理と断言する作戦に、とりあえず自分たちの安全が確保出来るならという前提を口にしないのはあり得ないのではなかろうか?


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まあなんにせよ、なにかと引っかかるものはあったが、概ね面白い映画ではあった。日本でもし同じプロットを映画化しても、こうはならないだろう。確実に中国のSF映画は前進していると認めざる得ない。もう日本映画は予算やVFX技術で勝負するのは無理だろう。現に海外で評価される日本映画は秀逸なヒューマンドラマを持つ作品ばかりである。無駄に金をかけて役者に格好悪いコスプレをさせる暇があったら、着飾りを捨てた抜き身の心を切り取ってフィルムに収めた方がよほど良いように思う。


それとも、まさかの日本のSFが世界を席巻するような時代が来たりするのだろうか?.......ナイナ(ヾノ・∀・`)ナイナイ

posted by lain at 21:08北海道 ☔映画

実は新手のハーレム物だったのでは!?「人間のように泣いたのか? Did She Cry Humanly?」森博嗣/講談社/感想

10連休とはいかなかったが、6日間連続で休めば十分身体は鈍るもので、休み明け初日は全く言うことを聞かなかった。そもそも言うことを聞かせる気に心はなっていなかったわけだが.....



心と身体は切っても切れない、なんて偉そうに並べ立てるのも気がひけるけれど、確かに心と身体の境目なんて本人には分からないし、自分が動かしているという証拠を示せと言われても、体が勝手に僕が動かしていると誤認するよう”フリ”をしているだけかもしれないからなんともいえない。何かしらの機器を身体に取り付け電気信号を測定する以外に自らの意思で身体を動かしているのだと説明すら出来ず、しかも”そんなもの”があっても本人が実感できなければなんの意味もない。

要するに何が言いたいのかというと、心だけでも身体だけでも僕らが人間である証拠にはならないということ。そしてその両方が揃っていても人間かどうかは分からないという世界がこの先待っているかもしれない。





森博嗣さんの「すべてがFになる」から連なる一連のサーガにおける、もっとも未来を描いてきた”百年シリーズ”との親和性があったWシリーズ。これまでのどの作品よりもSFをやっているものだから、こんな新規開拓が出来るうちは作家引退など先のことになりそうだと胸を撫で下ろしたのが正直なところだった。最終巻である本書では主人公であるハギリが本人の望むと望まざるとに関わらず、AIの一勢力(本作内では複数のAIが勢力争いをしており、属する国家を越えて共闘したり反目したり中立を選んだりしている)から脅威判定を受け排除されそうになるというもので、区切りを付ける一冊としてはかなり派手な展開が待ち受けていた。ストーリー全体を見れば酷く古典的なものなのかもしれないが、別人が同じ内容を書いても、この味わいには絶対にならないだろう。なんというか、良い意味で呑気な印象を受ける主人公像が森博嗣ワールドの魅力をいつも支えているような気がしてならない。




真賀田四季という天才がシリーズ同士を繋ぐことが多い森博嗣作品なので「じゃあ過去作品に明るくないと楽しめない のか?」という点に関してもWシリーズはNoと言える作品だったと思う。AIと人そして人口細胞から作られた存在の中で、生き残っていくのが人間である必要性への純然たる疑問こそが見所である限り、それらは予備知識など一切関係なく単独で堪能出来る。無論今まで様々な形で投げかけられてきたものを知っていると、違う何かがこみ上げてくるのはあるだろう。

いっそのことシリーズを何処から読んでも楽しめそうな気すらするが、ついでに言ってしまうとラノベのハーレム物のように楽しむことすら可能である。実際僕は最後も頬が緩みっ放しで読んでいた。機械的でありながら空気を読むことすら出来るトランスファーや、人間と見紛うレベルのロボットの姿を借りて現れるAI等に人間性を感じて心を奪われたり、人造人間同然のウォーカロンの不遇に胸を揺さぶられつつも、ウォーカロンの如く笑わない正真正銘の人間の女性に惹かれていく主人公など羨ましいとしか思えない。時折ご褒美のように真賀田四季が彼の前に現れるのも含め、こんな贅沢で品の良いハーレム物など滅多にお目にかかれないはずだ。

童貞で大した恋愛経験もない40男が本作を愛の観点から語るなど烏滸がましいにも程があるが、自分が誰かを愛する前提が何処にあるのかを考えさせられるような側面もあったのは確かなことだった。恋愛脳で読めば読むほど、未来の愛の形を真っ先に受け入れる土壌を持つのは2次元を愛するオタク達だろうという確信も深まる。


本シリーズはWがWWとなって新シーズンが始まる様子。技術の進歩と共に衰退する人類とハギリ先生の愛の行方はどうなっていくのか実に楽しみでしかない。
posted by lain at 07:19北海道 ☔小説