Twitterでフォロワーと揉め絶縁した男の業は、そこそこ深い(浅い)

昨日久しぶりに一人のフォロワー(Twitter)と絶縁した。

この呟きが気に入らなかったらしい。





例のダムで女性の遺体が見つかったニュースで、女性が自分を害するであろう男と仲良く歓楽街を歩く様子を目にした時の呟きだ。

生前”人生はやっぱり金”という価値観で、女であることを利用して稼いでいたという女性が、いずれ自分をダムに捨てる男と身体を寄せ合い歩いているのを観て、彼女に1ミリの落ち度もなかったと考える方が無理な話だと思うのだが、そのフォロワーにはそうではなかったようだ。

なんのかんのと託けて、結局のところ女性を指名するようなお店で働く人への偏見を感じて腹を立てたような口ぶりだった。正直言って僕には全くもって誇らしい仕事には思えないし、金を稼ぐならもっと違うやり方だってある。犯人は当然”そういう”職種の女性を狙ったわけだから、そんな仕事をしていなければ死なずに済んだのは事実だろう。犯人が無作為に選んだというのなら身を守るのは難しいが、今回の件は少なからず被害者にも地雷原に入っていくような迂闊さが微々たるものでも存在しているわけで、それをあっさり否定出来るものではないだろう。




犯人は当然クズだ。夜のお店だってお客さんと良い関係性を築いているところだって沢山あるだろう。だが、それはそれ、これはこれだ。もしかしたらこんな結末は避けられたのではないか?という遣る瀬無い気持ちが被害者に向いてしまっただけの話である。

そもそも、そのフォロワーはいちいち人様の考えを改めさせたくて仕方ない様子だった。自分が見る光景は自分の望む通りで無ければならないらしい。ならブロックでもなんでもすれば話が早いのに、僕との不毛なやりとりを望んだ。自分は偏見も差別もする人間で、快く思わないものは誰に言われようが変わらない。当然それが気に入らない人もいるだろう。だがそれはそれで良い。僕を嫌いな人にいちいち自分を好きになって貰ったり、好きになって貰おうだなんて思わない。違う人間なのだ、考えが違って当たり前である。でも、その人の考えを押し付けられるのだけはまっぴらごめんだ。他人にも自分と同じであって欲しいと願うのなら、ヒットラーでもフォローすれば良い。あの時代にはTwitterどころかネットも無いだろうけれど。





「人のふり見て我がふり直せ」という言葉があるが、「人のふり見て他人のふり直せ」の方が近年目立つ。

相手と死ぬ時までの付き合いになるくらいの関係であればそれも良いだろう。情の為せるわざだ。だがTwitterはそんな場所ではない。

互いに好き勝手に呟き、それが気に入ればフォローして、気に入らなければフォローを外したりブロックして風景を変える場だと僕は思っている。

当然僕が思っているだけなので、そう思わない人はそれで良い。


ただ、僕の見る風景にそう思わない人は必要ない。

それだけは確かだ。
posted by lain at 06:44北海道 ☔雑記